第3話 「阿澄綾目」




「な、な、な、な、なぁあああ!?」



 音楽室に響くほぼ初めましての声。

 俺の存在に気がついてしまった阿澄が慌てふためきガタガタと震えていた。


「い、い、い、一体、い、い、いつからそこに居たんですか!?」


「……………最初から」


 正直に答えると阿澄が更に頬を赤らめる。

 手で顔を覆いながら小さな声で唸っていた、そんなに恥ずかしいものか。


「居るなら居るって言ってくださいよ!」


「こっちにも事情がある。音楽室から追い出されたら他に隠れる場所がなくなるし。まさか歌いだすだなんて思わなかったんだよ」


「ひぃっ……ひぐ……この変態!」


 キッと睨み付けられる。

 変態とは心外な、別に下心があって眺めていたわけじゃないし彼女の考えるようなことはしない。


「誰にも言わないよ、約束する」


「保証がありません。だってアナタも陽キャの端くれ、きっと明日には噂になっているはずです……」


 阿澄が涙目になりながら絶望した表情を浮かべていた。


「陽キャ? 俺が?」


「だってあの人気者のユリさんとツルんでいるじゃないですか……彼女に気に入られる男子は極少数と聞きますし、もうそれ陽キャと言っても良いのでは?」 


「安心しろ、俺は陽キャの「よ」の字にも属していない、ただの平凡な男子高校生だ」


 誰が好き好んでユリとつるむか。

 こっちから願い下げだ。


「信じられませんよ……」


「本当だ。ここに居たのもユリから隠れる為だ」


「は?」


「毎日毎日、飽き足らず絡んでくるから嫌気がさして逃げてきたんだよ」


「それを信じろと……?」


「信じないのならご勝手にどうぞ。だけど誰かのプライバシーを易々と他人に共有するような馬鹿とは一緒にしないでくれ、吐き気がする」


 全部本当だ。

 決して動揺せず真っ直ぐに阿澄の目を見ながら告げる。


「……分かりました。信用しましょう」


 俺の話を聞いて納得してくれたようで安心した。


「ここで見たことは他言無用でお願いします。あともう二度と来ないでください」


「断る」


「は!?」


 生憎、せっかくの隠れ場を手放すつもりはない。

 この曜日になれば幼馴染から隠れる為にまた来るつもりだ。


「阿澄さんの歌、聴き惚れちゃったから。また聴きに来るかも」


「……!!」


 眼鏡の奥に潜む彼女の瞳が震えているのが見えた。

 言葉を失ったのか阿澄は唇をギュッと閉じ恥ずかしそうにしていた。

 正面から目を合わせたことが一度も無かったが、よく見ると地味な印象を覆すほどの可愛いさだ。


「その歌唱力なら………」


 プロになれるとは安易には言えなかった。

 その心ない言葉が時に凶器になり得ることを知っているからだ。


「なんですか?」


「いや、何でもない」


「そうですか。なら早く帰ってください」


 一刻も早く音楽室から追い出すために背中を押される。


「まだ続ける感じ?」


「ええ、当然です。まだこの程度じゃ足りない。だからもっと練習しなきゃいけないんです」


 進行方向を止める。

 音楽室の扉で踏ん張り、勢いよく振りかえる。


「なら聴かせてよ、阿澄さんの歌声!!」


 数年ぶりに昂った声が出た。

 阿澄の歌声によって生まれる、どこまでも雄大な淡青の空を見たい。

 彼女ならもう一度あの景色を見せてくれるはずだ———

 

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