第2話 「歌姫と空」


 俺の名前は雨宮空あまみやそら

 温かく優しい家庭に生まれた普通の少年だ。

 そんな俺がユリのことを嫌いになったキッカケは単純なものだった。嫉妬だ。

 幼いころは妹のように可愛がっていた。

 後ろを必死に追いかける姿があまりにも健気で、そんな彼女をこの先も守ってやりたいと本気で思っていた。


 ……自分が追い抜かれるまでは。



 ユリの才能が開花したのは中学生に上がった時である。

 小学生の頃から身体能力が高かったユリは興味のあったサッカー部に所属して、早々にレギュラーの座を獲得したのだ。


 元々可愛いで有名だった彼女の知名度は他校に伝わるほど凄まじく、市内の中学校に通うならユリの名前を知らない生徒がいない程だ。

 しかも成績も優秀ときた。

 前期、期末テストの結果はいつもほぼ満点。

 成績は高校に上がるまでトップをキープしたままだった。


 クラスメイトに囲まれ順風満帆そうにしているユリを教室の後方で眺めている俺の内心は心地いいものではなかった。

 劣等塗れだ、何も知らないユリに馴々しくされればされるほど薄汚れた感情が膨張していく。 

普通は幼馴染が周りから祝福されていたら喜ぶべきだが自分でも不思議なぐらい、そのような感情が一切湧いてこなかった。


 いっそのこと関わらない選択肢もあるが彼女はそれを許さない。自分の側にいなきゃ俺は駄目らしい。その心ない言葉でさえ俺をズタボロするには十分な凶器となっていた。


「………」



 ユリに付き纏われると一日の体感は本当に短い。

 放課後なんてあっという間である。

 そそくさに帰宅しようとした荷物をまとめる。

 まるで何かから逃げようとする俺をすぐそばの席に座るクラスメイトらは妙なものを見るような目を向けられたが構っている場合ではない。


 教科書を鞄に入れ教室を出ようとした俺の進路を防ぐ者がいた。

 見覚えのある一番勘づかれたくなかった相手だ。


「もうっ、可愛い幼馴染を置いて先に帰るとは生意気だぞっ」


 頬を膨らませ子供のような言動のユリに背筋を凍えさせながらも言い訳をする。


「今日……部活じゃなかったのか?」


「水曜日は基本オフだって知っているでしょ。私と一緒に帰れる特別な曜日だからそろそろ覚えた方がいいぞっ」


 鼻先を指でツンと触られ、身体が拒絶反応によって震えてしまう。部活オフだということぐらい把握している、だから急いで帰ろうとしたんだよ。


 涙目になりながらもユリとの下校を切り抜ける方法を頭の中で探す。そういえば六時間目の授業は音楽室で行われていた。今もまだ鍵を閉められていないのかもしれない。

 あることを思いつき、それを口にする。



「ああ! 悪い! ちよっと催してきたんだけど、トイレ行ってきてもいいか?」


「ええ〜本当かなぁ〜?」


 真っ先に疑われたがこのまま引くわけにはいかない。家に着いても続くであろうどうでもいい話に付き合わされるぐらいなら、とことんやってやる。


「マジ! マジ! 正門で待っていてくれないかな、すぐに済ませるからさ」


「んん……」


「目の前で漏らす幼馴染の悲惨な姿、見たくないだろ?」


「……分かった」


 勝ち取った大勝利に自身を胴上げする。

 表に出した瞬間に嘘だということが一発でバレてしまうので平常心を必死に装ってみせた。


「あまり待たせないでよね」


 頷き、まるで急いでいるかのようにその場を後にして、音楽室へとむかう。

 このまま帰るという手段もあるが両親のいないこの時間帯だと、ユリがお構いなしに押しかけてくる可能性がある。

 どこかに遊びに行く金もない。

 音楽室で待つことにした。




 音楽室の倉庫に座りスマホをいじる。

 十九時までまだ二時間もあるので暇だ。

 ゲームをしたりSNSのイラストや漫画を読んだりして時間を潰す。

 音楽室は別棟にあるため二階、三階の渡り廊下を使わなければならない。


「……」


 今頃ユリは慌てふためいているだろう。

 せっかくのオフ日、一緒に下校しようとした幼馴染が来ないからだ。女性を長時間放置するだなんて残酷に思われるだろう。

 だが後悔はない。

 むしろ彼女が困っているのを想像するだけで昂ってきた。いつでも自分の思い通りになると思い込んでいるユリにはちょうどいい教訓だ。


「……!!」



 ガララ、と唐突に音楽室の扉が開かれる。

 驚きのあまり身体が跳ねていた。

 すぐそばにあった大きめの楽器の間に隠れ、誰が入ってきたのかを恐る恐る確認する。

 女子生徒だ、それも見覚えのある奴。

 紫の長髪の眼鏡をかけた地味な女子である。

 名前は確か阿澄綾目あすみあやめ

 大人しい生徒で喋ったところをあまり見たことがない。


 周りをキョロキョロ見回してから音楽室に入ってきた。忘れ物でもしたのだろうか。

 ならどっかに行くまで隠れておこう。

 流石にもうこのタイミングで出ては驚かせてしまうからな。


 誰もいないことを確認すると阿澄は鞄を教室の隅に置き、深呼吸していた。

 おいおい、忘れ物じゃないのか。




「………ふぅ」


 次に発声をしだした。

 さっさと帰れよという不快感が吹き飛ばされるほどの直に伝わる彼女の声に、俺は目を見開いていた。

 鼓膜と胸が振動していた、彼女の声が響いているのだ。まだウォーミングアップ段階であろうというのに、すっかりと俺は魅了されていた。


 発声を終えた彼女は咳払いする。

 次に何がくるのかを本能で分かっていたかのように無意識に俺は身構えていた。

 息を大きく吸い上げる阿澄、唾を飲む俺。

 二人っきりの空間が、彼女が歌いだすと同時に一変した———





 果てない地平が見える何処までも青い海に座りこむ俺は、視線の先にいる白いドレスを着たベールに包まれているかのような神々しい少女。彼女の奏でる美声にこの上なく夢中になっていた。



 ———どれだけ続いたのかは分からない。

 長いようで短い。

 偉大なようで儚い、彼女の歌声に感動して俺は拍手をしていた。心の中ではなく現実でだ。




「……………………………………ふぇっ!?」



 自分が拍手したことにより隠れていた意味が無くなってしまったのだ。拍手に気がついた阿澄は変な声を漏らしながらこちらを凝視する。

 世界が滅亡することを知らされた後のような表情を向け、次第に彼女の目が潤んでいく。




 ———ただの地味な生徒だと思いこんでいた阿澄綾目の本当の姿を知ってしまったのだ。

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