第4話 「夢の肯定」
「……遅いじゃない」
「……」
午後七時半。
自宅前でユリに待ち伏せされていた。
いつもの笑顔はなく真剣に起こっている様子だ。
適当に返事をして家に飛び込もうとしたが、そうもいかない。
通り過ぎようとした俺のネクタイを掴んできたのだ。それもかなり強い力で。
「どこに行ってたの、心配したじゃない!」
恋人でもなんでもないのに遠慮なく腕を背中にまわされ抱きしめられる。
恐怖と気持ち悪さが同時に湧いてきた。
「お、おい、家の前だぞ。親に見られたらどうすんだよ」
「……別にいいじゃん、遅かれ早かれだし。そのときは責任とってよね」
「お前から抱きついてきてんだろうが!!」
発言がいちいち謎めいている。
当てる必要もない胸を当ててくるし、キスを求めているかのように桜色の唇を近づけてくるし。
ユリに対してそんな気分になれる筈のない俺は彼女を突き飛ばした。
軽めなのでユリは驚くだけだ。
彼女の方は完全にそっちムードで関係を進めようとしたのだろうが、お断りだね。
「あっ……ソラ」
「夜遅いし、早く帰れよ。女の子一人出歩いてたら危ねぇから」
本音を言いたかったが、まだその時ではない。
怒り任せに開こうとした口を閉じツバを飲む。
唖然としているユリから目をそらしながら適当な忠告をして家の門を開ける。
「あっ、怒らせちゃったら、ごめんね、でも分かって欲しいの。私ね………ソラのことが———」
「おやすみ」
その先は絶対に言わせてたまるか。
頬を赤らめながら何かを告げようとしたユリの言葉を強い口調で遮る。
ドロドロの劣等感が胸の中で渦巻き破裂寸前になっていた。これ以上、コイツと喋っていたら変な気を起こしそうだ。
面白くもないのに微笑しながら悲しそうにするユリをそのままにして家の中に逃げ込む。
母親が「やっと帰ってきた、今日は遅いね」とリビングの方から声をかけてきたが俺は返事をせず玄関で腰を降ろしていた。
せっかく良い気分で自宅に直行しようとしたのに、どうしてあの幼馴染はいつも無神経に邪魔をするのか。
『———ソラお兄ちゃん、待ってよ!』
かつて自分の名を呼びながら追ってきていた気弱な頃のユリを思いだしながら情けない声を漏らす。
泣きそうだった。
何度も祈りながら隣を確かめてみるが、必ずそこには同じ笑顔をみせるユリが立っている。
そのたび、いつも落胆していた。
終わりにしたい気持ちで一杯だったが、まだその時期ではない。
徹底的に彼女を打ち負かすための機会がやってくるまで我慢するしかないのだ。
————
数週間後の水曜日。
放課後になると椅子に座りながら阿澄の練習の様子を眺めることが当たり前になっていた。
最初は何度も「こないでください」って音楽室から蹴り出されていたのだが、しつこく聴きにこようとする俺の前では意味を成さないと理解してくれたのかここ最近何も言わなくなった。
「今日も早いですね」
後から音楽室にきた阿澄に購買で買ったお茶を差し出す。呆れてため息を吐かれながらも受け取ってくれた。
「放課後すぐ来ないと幼馴染に捕まるから」
「なにそれ自慢ですか?」
相変わらず無愛想だな。
せっかく一人で練習できる場に異分子がやってきたのだから当然の接し方だろうけど。
「今日はなにを歌うの?」
「思いつくならなんでも……聴きたくないなら帰ってください」
「聴く」
恒例のようにいつものやり取りをしてから阿澄は練習を開始した。途端に俺の目の前の景色が一変する。
雨に濡れた木々の香りがする。
気づけば霧のかかった森林の真ん中に俺は座っていた。
目の前には阿澄の姿はない。
ただ何処からか木霊する彼女の歌声が聴こえるだけ。
ときどき吹く風によって揺れる木の環境音も気にならない、ゆるやかな歌声に包まれた俺はすぐ傍に置いてあったスケッチブックと先端が歪に削られた鉛筆を手にする。
そして、いまある表現を描き残そうと手を動かす。
「何をやっているんですか?」
唐突に歌が中断され阿澄に声をかけられた。
せっかく良い調子だったのに、と惜しく思いながら右の方を見上げると興味津々に覗き込んでくる阿澄の横顔があった。
「絵描いている」
「すごいですね、すごく上手い。この才能なら画家になれますよ」
阿澄らしくない称賛に驚きながら、自分の絵を見て鼻で笑う。
「……この程度じゃなれないよ。大それた夢はとっくに諦めたし」
「夢ですか?」
「昔、漫画家になりたかったんだ」
「イラストレーターや画家ではなく?」
「昔から漫画を一人読むのが好きだったんだよ。なにより自分の感じたこと表現したいこと、それらを言葉に出来るし絵にだってできる。それを知ってから取り憑かれたように毎日、飽き足らず漫画を描きまくったよ。中学では周りに褒められまくっていたし両親も応援してくれていたんだ。自分なら出来るんじゃねって自信がついた………けど結果、全て失敗に終わったよ」
去年、憧れの出版社に漫画を持ち込んで最初に言われたのが『結局、なにを伝えたかったの?』という初めての辛辣な言葉だった。
中学の連中や親とは比べものにならないプロの世界がそこにはあった。
立ち直れないほどまで打ちひしがれた俺は部屋にあった漫画道具や絵を全部捨てた。
自暴自棄になっていた俺を両親は宥めようとしたのだが、心ないの言葉では到底傷は癒えない。
夢を諦めることだけが俺のもてる手段だった。
「こんなにも将来有望な才能があるというのにドブに捨てるだなんて、勿体ないですよ」
阿澄の声は冷たく、同情も含まれていた。
「お前のような一般的な目線から見たら人並み以上の画力だろうが、それだけじゃ足りないんだよ。何も知らない癖にお世辞は辞めてくれ」
苛つき、声を荒げる。
俺はいつだってそうだ。
気に入らないことがあったら他人にばかり八つ当たりする。
本当に馬鹿な人間だ。
「———でも価値はあるでしょう?」
意外な返しに息を呑み込む。
「ないよ」
優しい言葉に揺らがないように自分を抑え込みながら震えた声で返す。
「ありますよ。誰にも褒められない、存在そのものが喜ばれないものなら確かに無価値でしょう。けど私が凄いと思った時点で、その才能には多少なりでも価値はあるんです」
「………」
「人が躓くのはいつだって価値を見出す開始時点をまだ踏んでいない時なんです。まだ始まりにもたどり着けていないのに、一度サジを投げ捨てたら終わりって勝手に決めつけて、輝かしい舞台から目を逸らしてしまう。だから何度でも言いましょう———」
窓の方へと歩きだす阿澄を目で追う。
悪戯っぽく微笑みながら彼女は言った。
「勿体ないですよ」
首の後ろを掻き、阿澄から目をそらす。
心臓の鼓動が段々と速くなっていくのを、俺は確かに感じていた。
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