第二部 第四章 渭南県鄭城・南岳衡山・二仙山(一)

「いったいどこへ行ったのだ、檮杌とうごつめ!  」

 張天師の命を受け、渭南のてい県城に姿を見せた龍虎山道士筆頭、王道堅おうどうけんは苛立ちを隠しきれなかった。


 総勢二十人の道士を引き連れ、縮地法で到着してすぐに、惨劇のあった鄭城門前の広場を中心に聞き込みを開始したのだが、とにかく目撃者が当てにならない。立ち向かった兵士は皆殺され、連絡を受け城内の道士が駆けつけた時にはすでに檮杌の姿はなく、肉塊と血溜まりと、食べ残された骨が散乱しているばかり。この時殺害されたのは全部で二十三人。うち十八人が県城の衛兵である。


 目撃者はいずれも家屋の中から震えながら様子をうかがっていた町人ばかりで、檮杌の情報を聞こうとしても全然言っていることがちぐはぐで要領を得ないのだ。

 

 大きさは二丈(6m)くらいあった。いや四丈は越えていた。全体が白かった。いや黒かった。ちがうちがう、縞があった。毛が生えていた。いや生えていなかった。鼻が長かった。なんの短かった。人の顔のようだった。いや猪のようだった。羽が生えていた。そんなものはなかった……


 人間恐怖にかられると正確に物事を見極めることが難しくなる。ただし、目の前で次々に人が食われていった、その証言だけは全員一致していた。


 そもそも檮杌については、「神異経」「春秋左氏伝」にわずかな記述が残るのみの、得体の知れない魔物である。はっきりしているのは、人を殺しその肉を食らうということだけなのだ。


 最初の襲撃の後姿を消し、その後の行方は不明だが、夜になると必ずこの鄭城内で数人の食いちぎられたような死体が見つかる。まだこの県城内にいるのに相違ないが、少なくとも二丈はあるだろうその巨体を目撃した者がいない。

  

「復活して最初の襲撃で大量の肉を食らって満足した後は、空腹を満たしては隠れ、ということか。狡猾な奴だ。何にしてもこの城内、もしくは近辺にいるに違いない。何人かで手分けして魔物の気を探れ。」

 

 夕暮れ時、県の政庁に居を構えた王道堅の元に、配下の道士たちが集まってきた。

 情報と地図を突き合わせると、人々が食われたと思しき場所は、太宁街たいちょがいにある城隍神廟じょうこうしんびょう辺りを中心に、円を描くように展開していることが分かった。


(城隍神廟をねぐらにしているのだとすると、随分なめたことをしてくれる。まぁ四凶と呼ばれる魔物ならば無理もないが) 


 城隍神とは土地神のことである。それぞれの地域で功績のあった古人が、神として祀られていることが多い。その神の住まいに、魔物が巣くっているのは皮肉な話である。


 とはいえ、土地神くらいで四凶にかなうはずもなく、また曲がりなりにも神の御座ござに魔物がいるとは思わないだろう。


 檮杌は最初の襲撃は逢魔が時、その後は夜に出没している。やはり陰の気の強くなる夜に活発化するのであろう。

 次の朝、王道堅は配下二十名と馬を駆り、問題の城隍神廟にやってきた。


 近づくにつれ、やはり中からただならぬ瘴気が漂っているのがわかる。

(いるな、間違いなく)

 王道堅は確信し、明るいうちに再封印の為の八卦陣を張るよう命じた。


 再び西岳華山に檮杌を封じるには、まずもう一度破壊された華山の封印穴を塞ぎ、転移を受け入れる為の八卦陣を描き、魔穴から出てこぬよう、再度白虎の要石かなめいしを置かねばならないが、その準備は別働隊が既に済ませてある。


 実働隊のほうでは、まず檮杌を弱体化させなければならない。その後転移用の八卦陣に追い込み、縮地法を発動させ再度華山に送り込む。そうして再封印を行うのだ。


 幸か不幸か、今檮杌がいると思われるこの廟は龍穴の上に建てられていて、ここに罠を仕掛けて弱体化させられれば、華山に送り込むこと自体は十分に可能である。


 問題なのは檮杌を弱体化させられるかどうか、ということである。もちろん退治してしまったほうが、後腐れがないわけが、仙術だけで息の根を止めるのは難しい。


 仙術、あるいは物理攻撃で倒した場合、四凶ほどの魔物であればたとえ体が雲散霧消して消えても、瘴気の残滓として散らばり、いつ何時どこかで復活するかしれたものではない。


 そのように時間も場所も分からぬ脅威を後世に残すよりは、着実に魔物がどこに居てどんな状態でいるのかがはっきり把握できるほうがよい。こういう理由で、四凶は滅ぼすより封印することを求められるのである。


 城隍神廟の前の草むらが刈り込まれ、朱墨で八卦陣が描かれた。ただし、通常の物とは違い、内側に陰陽太極図ではなく、五行相生の大円と、五行相剋の五芒星が描かれている。


 二十人の道士がざっと分かれ、八卦陣の五芒星の先にそれぞれ二人ずつ、残りの十人は廟を取り囲むように散らばった。


 各性の筆頭が準備完了の合図を送ったのを見て王道堅は軽く頷き、城隍神廟のきざはしをのぼり、線香に火をつけ深々と頭を下げたあと、廟内の薄暗がりに向かって咒を唱え始めた。   


「此間土地、神之最霊、通天達地、出幽入冥、為吾関奏、不得留停、有功之日、名書上清、急急如律令……」


 まず唱えたのは「安土地神咒」である。本来土地神たる城隍神に礼節を示す咒なのだが、今回はこの後起きるであろう廟での乱暴狼藉らんぼうろうぜきについて、前もってわびを入れる意味合いになる。


 続いて本題の「浄天地神咒」を詠唱し始めた。

「天地自然、穢気分散、洞中玄虚、晃朗太元、八方威神、使吾自然、霊宝符命、普告九天、乾羅答那、洞罡太玄、斬妖縛邪、殺鬼万千、中山神咒、元始玉文、持誦一遍、却鬼延年、按行五嶽、八海知聞、魔王束手、侍衛我軒、凶穢消散、道炁常存、命魔摂穢天尊……」



 文字通り五岳八海の魔王を捕らえ、穢れを祓う為の咒である。これで廟内に潜んでいるとおぼしき檮杌を追い出すのだ。


 一回目は王道堅単独で、二回目からは廟前の二十人の道士全員がそれに合わせた。丹田の気を体内で回しながらの詠唱は、轟々と響き渡り廟がびりびりと震えはじめる。


 五回目の詠唱の途中で、廟全体がぐらぐら揺れはじめ、とうとう屋根を突き破って巨大な影が姿を現した。屋根の上で仁王立ちになったそれは、眼下の道士たちをぎょろりと睨みつけ、大口を開けて「ぐぎゃぎゃあがぁぁぁ! 」と叫んだ。


(やはり! )

 虎のような縞、二丈ほどの体、さらにそれと同じくらい長い尾。人のような目

に、猪ににた鼻梁、長く突き出た牙、虎の足。まさしく西岳華山の厳鐘宮げんしょうきゅうに封印されていた四凶のうちのひとつ。魔獣檮杌まじゅうとうごつである。  


金雷こんらいを撃て! 八卦陣は五雷正法ごらいせいほうの詠唱を開始! 」

 王道堅が喇叭ラッパのようないい声で指示を響き渡らせた。

 城隍神廟を取り囲んだ道士が檮杌に両掌を向け、金雷招来咒を唱え始める。


「震下艮上 山雷頤さんらいい! 頤、貞吉。觀頤自求口實。彖曰、頤貞吉、養正則吉也。觀頤、觀其所養也。自求口實、觀其自養也。天地養萬物、聖人養賢以及萬民。頤之時大矣哉。象曰、山下有雷頤。君子以愼言語、節飲食……」 


 檮杌に向けた掌の内側に白色の光の玉が生じ、徐々に蹴鞠けまりほどの大きさに膨れていった。中のひとりが声をあげた。

「放て! 」


 四方八方から光の玉が矢のように檮杌に向けて次々に飛び、魔獣の巨体に命中する。体の表面で次々にぜ、煙が立ちのぼり毛の焼ける匂いがあたりに立ちこめた。


(やったか! )

 道士たちは勢い込んだが、煙が消えてみると毛の表面が焦げただけ、むしろ檮杌は怒り狂い、目が真っ赤に充血している。


 道士たちは慌てて金雷第二弾を放つが、魔獣は着弾し毛が焦げてもひるむ様子をみせず、廟の裏側に飛び降り道士のひとりの腹に長い爪を突き刺した。


「がはぁっ! 」

 腹から背中に一尺ほどもある爪を突き通され、血反吐を吐いて道士が絶命する。同時に長い尾を振り回し、別の道士の頭を横から弾いた。ぱん、と音を立てて道士の頭が容易く破裂した。


「く、来るなくるなぁ! 」

 近くの道士が闇雲に金雷の玉を撃ちまくるが、慣れてきたのか檮杌が立ち上がり、前足で左右に弾き始める。


 後ろ足で立ったまま近づいてくる魔獣を恐れ、腰を抜かしてしまった道士を、前足の鋭い爪で横殴り。頭がすぱっとみっつに切断され血しぶきがあがる…… 


 次から次に道士たちが殺されていくのを目の当たりにした王道堅は、八卦陣の周りにいる道士たちに声をかけた。

「五雷正法の準備は! 」

「放てます! 」

「よし! 」


 五雷天罡正法とは、妖物の性に合わせた祓いに使う木雷もくらい火雷からい土雷どらい金雷こんらい水雷すいらいの五雷を、一斉に発動することによって生じる「第六の性」である純粋なかみなりを、任意の場所に落とす究極の攻撃法である。


 術力の強い道士ならば、ひとりで発生させることが可能だが、それができるのは中華広しといえども羅真人、一清道人、張天師その他ごく限られた数人である。


 今この場で術を練っているのは、各性に秀でた道士が、それぞれ相生、相剋のらいを、ふたりひと組で術を錬っている。普通一般の道士であれば、五人もしくは十人がかりでやっと発動できるほどの秘技である。


 王道堅はいわば避雷針のような役割を果たす。発動した雷を、指で指し示す場所に落とすことができるのだ。 


「食らえ!」

 強烈な爆発音とともに、一瞬辺りが閃光に包まれ真っ白に輝いた。思わず目を閉じ、ずしん、という地響きを感じて目を開けてみると檮杌の居た地面が真っ黒焦げになっているが、その巨体は見えない。


「なにっ!」

 後ろを振り返った王道堅の目に、どうやって雷を避けたものか、次々に五芒星の外側に居た道士たちが殴られ、噛まれ、切り裂かれて倒れていく姿がとびこんできた。八卦陣は既に壊滅し、こうなってしまうとも二発目の雷を落とすことはできない。


 王道堅ひとりでは、五雷天罡正法を発動させるほどの術力はないのである。

「くそっ、失敗だ、引け、引けぇ! 」


 王道堅は撤退するしかなかった。途中かろうじて息のある道士二人を脇に抱え、城隍神廟の外へ飛び出す時に後ろを振り返ると、檮杌が悠々と道士たちの腹部を、次々に食いちぎっている惨状が見えた。


二十人いた道士のうち、廟の外に出られたのは王道堅以外に四人のみであった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る