第二部 第二章 康永金夢楼・金軍陣幕内・西岳華山(二)

「それで、御使者の方々よ。久しく会っておらんが、黄熊こうゆう殿はご健勝かな? 」


 陣幕の中央にしつらえた床几に腰掛け、左右に近衛兵を従え、甲冑に身を包んだ威風堂々たる男が、跪いていた男たちに声をかけた。


 前に3人の道服をまとった男。そのうしろに道士たちよりふたまわりは大きな体の、長い髪を後ろに無造作にまとめ、袖無しの胴着からごりごりとした肩の筋肉をはみ出させた褐色の肌の男。仰せに応じ一斉に伏せていた顔を上げた。いずれも漢人であり、前の3人は服装から道士であることがわかる。後ろの大男はさしずめ道士たちの鏢師ごえいであろう。


「ははっ、もったいなきお言葉。主人黄熊、くれぐれも将軍によろしくと申しておりました。お忙しい中時間を取っていただき恐悦至極に存じます。ネメガ将軍におかれましてもご機嫌麗しゅう……」

「ああ、堅苦しい挨拶は抜きにせよ。さっさと本題に入れ」


 4人の目の前に居るのは、金軍の重鎮じゅうちんであり、のちに遼国を滅ぼす大活躍をする名将「粘罕ネメガ」将軍である。


 前年、長い間女真族を苦しめてきた遼国の天祚帝てんそていを、金国初代皇帝、太祖たいそ「(完顔わんやん阿骨打アクダ」が入来山の戦いで大敗させた。


 その後病没した兄のアクダの後を継いだ第2代皇帝、太宗たいそう呉乞買ウキマイ」の命を受け、現在天祚帝及び遼国の残党を追撃中なのだ。


「失礼いたしました。私は黄熊こうゆうさまにお仕えしております礼山れいざん道人どうじん、後ろに控えしは道士胡亮こりょうと道士李静りせいと申します。また後ろに控えし体の大きな男は、黄熊さまの護衛で趙壮ちょうそうと申します。此度こたび参上いたしましたのは、陛下に折り入ってお願いがございましてまかり越しました」


「なんだその願いとは? 」

「実は……我ら3人はもともと燕京えんけい天長観てんちょうかんに居た道士なのですが、同じ漢人である宋国の軍隊に理不尽な目に遭い、命まで取られそうになった者たちです。我らの仲間も数多く殺されました。この恨みを少々特殊な手段で晴らしたいと思ったのですが、のちに金国の作戦のお邪魔にならぬよう、前もってお知らせし、ご了解を得られればと思った次第です」


 彼ら元天長観の道士が遭った惨劇の背景には、実はこのような社会情勢があった。


 ほぼ金軍の功績によって遼国が支配していた燕京が落ちた後、戦後の契約として燕京とその周辺の地域は宋国が手に入れ、替わりに万里の長城以北の住民は金国のものとすることになっていた。


 ところが、この契約通りになると、宋軍に投降した元燕京の守備部隊で、大半が遼東地方出身者からなる「常勝軍」という強力な軍隊をも、金軍に引き渡さなければならなくなる。


 そこで宋軍は、燕京在住の官僚や富裕階級、職人などを金軍に渡す代わりに、常勝軍を燕京にとめおく計略を立てた。そうすることで燕京内の土地や家屋が手に入り、常勝軍を養うことができるからである。


 しかしそうなると北方に連れて行かれた燕京の人々にはたまったものではない。燕京はかなり昔から遼国のものであり、今回も宋国が自力で奪還したわけでもない。その宋軍に売られた形で、住み慣れた燕京から見知らぬ北方の寂しい地域にむりやり移されることになったのだ。


 当時、むしろ燕京の人々は金の支配を歓迎していたという。なぜなら強力な金軍が生命や財産を守ってくれるだろうし、何よりも税金が宋国とは比べものにならぬほど安かったからだ。


 ところが結果、金軍は燕京の財宝を根こそぎ持ち去り、職人や官僚などの燕京人とともに北方に引き上げていった。その後には、人影が失せ閑散とした町があるばかり。


 にもかかわらず、その後燕京に入った宋軍は、歓喜して大祝宴を開き、童貫はこれを功績として大いに褒賞を受けたのである。


 北方に拉致された燕京人の中には、途中で張覚ちょうかくなる金国の漢人官僚をそそのかして反乱を起こし、脱走して燕京に戻った者もいる。


 だが戻ってみると土地や家屋は常勝軍のものとなっていた。さらに駐留する宋軍もあてにはならず、もとは富裕層だったり、知識人階級や官吏だったはずなのに、乞食に成り下がる者すら多発した。


 彼らの怨嗟えんさが、おいしいところだけ取ろうとして、結局しくじってばかりいる宋軍に向けられるのも無理はなかった。


 そして今、ネメガの前に跪いている3人こそが、まさに古巣の燕京に戻ってきたのに、宋の軍隊にないがしろにされたことで、宋国に恨みを持った、元燕京の知識人の代表格なのである。


 礼山道人が、絞り出すように訴えた。

「ウキマイ陛下の元から逃げた身が言うのも何ですが、我々は古巣の天長観てんちょうかんに戻ってみました。金目かねめのものを金国の方々が持ち去った、これはもう致し方ありません。ですが、戻ってみれば後からやって来た宋の兵隊どもが、金目の物が残っていないことに八つ当たりし、天長観を破壊しまくったのです」


 続けて胡亮道士も

「戻っても暮らすすべがない。にもかかわらず宋軍は我々の所に税金を取り立てにやってくるのです。こんな馬鹿な話がありますか! ・・・・・・力も無いくせに汚い手ばかり使い、無責任に我々に塗炭の苦しみをを味わわせた宋の奴らに目に物見せてやりたい。ただその一心なのです! 」 


(ふぅむ、裏切りは好かんが、まあ一応筋道は通っているな……)

 ネメガは腕組みをしながら思考を巡らしてから、揺さぶりをかけることにした。

「お主ら、宋を裏切ると申すか? そんな二股膏薬ふたまたこうやくは信頼できんな 」


 礼山道人がさらに続けた。

「裏切りとは思っておりません。古来『君、君たらざれば即ち臣、臣たらず』と申します。遼国も金国も、支配していた時、天長観のことを尊重してくださり、廟や我々を冒涜することはありませんでした。ところが宋軍は、尊像は引き倒すわ、糞尿はところかまわず垂れ流すわ、あまつさえ扉や柱をたたき壊し、燃やして暖を取るなどという、神をも恐れぬ乱暴狼藉をはたらいたのです」


 李静道士があとを続け

「その状況を見て我々道士一同は、天長観に駐留していた兵士たちに強硬に抗議しました。しかし奴らは、『文句は童貫どうかん大尉に言え』とうそぶきよったのです。あまりの物言いに堪忍袋の緒が切れた弟子達が、『ならば道教の信仰に篤いみかどに直訴しようではないか』と言い始めたのを聞きつけた兵士達が、我々の口封じに斬りかかってきたのです


(醜い……実に醜いのお、宋国のやつらは)

 聞いたネメガは、聞こえぬように軽く舌打ちした。


 金国こと女真族は、各部族同士の、民族的な団結心が薄かったため遼の属国化していたが、戦闘においては勇猛無比な民族で、「女真は万に満たないが、もし万に満てば敵すべからず」と恐れられていた。


 そして何と言っても義理堅い。太祖アクダは、いつまでも来ない宋国に変わって燕京を攻め落とした際に、配下がしきりに「渡してやる必要はない」と訴えたが、「契約だから」と宋軍が到着するまで待ち、到着とともに燕京を明け渡したほどだ。


 戦場いくさばで計略を使うことはあっても、国と国、人と人の繋がりは信を持って為すべし。少なくとも太祖アクダはそう考えていた


 礼山道人が続ける。

「本来我々道士は、鬼や魔物を祓うことはあっても、生きた人間と争うための修行はしておりません。もし戦いのため仙術を使うにしても、発動するのにはそれなりに時間がかかるので、襲ってくる兵隊にどうしても後れを取ります。結果仲間は皆『死人に口なし』とばかりに殺されてしまいました。我ら3人だけが、隙を見て逃げましたが追っ手をかけられ、捕まって殺されそうになったところを、黄熊こうゆうさまの荷を運ぶ途中だったこちらの趙壮ちょうそうどのに助けていただきました。そして黄熊様の庇護下に入れていただき、今に至ります」


「なるほど、それは腹立たしい話だな」


「黄熊さまはネメガ将軍とは旧知の仲とのことで、そのえにしにおすがりし、こうして参りました。いかがでしょう。我らが宋国に復讐することをお認めいただけませんか」


 「ふむ、だがおぬしらが宋の軍隊やら役人やらに意趣返しをするにしても、なぜわざわざ我らに許可を得にきたのか、勝手にやればよいではないか」


 礼山道人が大きく頷いた

「ごもっともでございます。先ほども申し上げましたが、宋国及び宋の軍隊への復讐として我らの考えた方法がかなり特殊なものでありまして、ひょっとして金国の今後の戦略にご迷惑をおかけしてはいけないと、前もってご相談に参った次第で」


「よかろう、聞かせてもらおうか、その特殊な方法とやらを」

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