第二部 第二章 康永金夢楼・金国軍幕内・西岳華山(三)

「将軍は『四凶しきょう』をご存じでしょうか? 」


「しきょう? 知らぬな、なんじゃそれは」


 ここで図らずも3人の道士は、篭山炭鉱に向かう途中で、祝四娘や秦玉林が燕青に話したのと同じ内容を、ネメガ将軍に説明することになった。


「ほう、その『窮奇きゅうき』というのは、そんなに厄介な魔物やつだったのか」

「はい、西安の守備兵数百人、町人にいたっては千の単位で殺されたとのことです」


「だが結局は退治できたのであろう? 兵隊が殺したのか? 」

「いえ、殺すには至らず、再封印を施すことしかできませんでした」


「封印? では道士が? おぬしらがやったのか? 」

 3人は赤面し首を振った。


「手前どもの腕前で四凶を封じるなど、とてもとても。やったのは龍虎山の張天師ちょうてんしと、二仙山の羅真人らしんじんのふたりがかりでなんとか、だったそうです」

「おぬしらとそのふたりは何が違うのだ?」


 3人は悔しそうに

「われらは、秘技『五雷天罡正法ごらいてんこうせいほう』が使えませぬ。また、さきほどのふたりにしても、それで窮奇を殺すことは叶わず、できたのはしばらくの間動きを止めることだけでした。動きの止まっている間に、縮地法で再び北岳崋山の地下に転移させ、やっと封印できたという話です」


「で、結局わしらに許可を得たいというのは何なのだ」

「再封印された窮奇きゅうきは、魔力の回復のため数百年は身動きが取れないと思われます。恐れながら、我らに四凶の残り、即ち檮杌とうごつ饕餮とうてつ渾敦こんとんらの封印を解かせていただきたく、お願いたてまつる」


 3人の道士は揃ってその場に平伏した。

「ますますもってわからぬ。そんなことをすればおぬしらの国の民が苦しむだけではないか」


ながら、何よりまず宋国の軍隊と朝廷を苦しめられます」

 頭を上げ答えた3人は、道士のそれというより、覚悟を決めた狂信者そのものの、深淵を覗きこむようなどす黒い目の色でウキマイを見上げた。


(この目は……)

 百戦錬磨のネメガにしても、その暗い情念の炎を秘めた視線は、何度も戦場で見てきた「死兵しへい」のそれを想起させ、少々背筋が冷える思いがした。


「我らはもう宋国に何の未練もございません。むしろ風前の灯火ともしびの遼国めを滅ぼしたあとは、ウキマイ陛下にこの胸くその悪い宋国の朝廷を平らげていただきたいとすら思っておるのです」

 

 李静道士が言を替わる。

「四凶を解き放つのは、ひとつには宋国内の攪乱かくらん、ふたつには宋国朝廷の権威の失墜を狙ったものです。昔から麒麟など霊獣が現れるのは吉兆であり善政のあかしと言われます。それに対し我々は『悪政ある所必ず四凶あり。既に窮奇あらわる。これ国滅ぶきざしなり』という流言うわさを、すでにあちこちで流しております。遼軍が北岳恒山の窮奇きゅうきを解き放ったのは意図せぬ事故ですが、窮奇が暴れ回った西安は、人々が流出し治安は悪化し、既に廃都の趣すらあります」


 ネメガは腕を組み思考を巡らした。

(なるほど……宋の奴らは、待てど暮らせど我らが燕京を落とした時の協力金を払おうとせず、のらりくらりと時間稼ぎばかり。我らを舐めるとどうなるか、わからせてやる必要があるが、今はまず遼国を叩き潰すのが先。おまけに宋国に余裕を与えると、我らを裏切って背後から攻めてくることも十分考えられる。ならば遼国を滅ぼすのと同時進行で、宋国が余計なことを企まぬように攪乱かくらんしておくのは、よい手かもしれん)


「ふたつ確認しよう。その四凶という魔物は金国内にまで害をおよぼすことはないのか。また残り3匹はいつ解き放つつもりなのか」


 礼山道人が答える。

「恐れながら、まず四凶が長城を越えてまで北に向かうことは無いと存じます。近くに大きな都市が幾つもありますので、人を喰らうには十分かと。また、檮杌、饕餮、渾敦は1匹ずつ間を置いて解き放つ所存でございます。収まってほとぼりがさめた頃にまた次、と解き放った方が、混乱が長引いてよいかと」


「ところで、東岳泰山の蚩尤しゆうとかいう魔物はどうするのだ? 四凶とやらのあとで解き放つのか? 」


 聞かれた3人の道士は、もの凄い勢いで一斉にかぶりを振る。

「滅相もない! あれの封印は我ら程度では解けませんし、もし解いてしまったら誰の手にも負えません! 」


「ほお、それほどの化け物であるか……よかろう、おぬしらがその魔物を解き放ち、宋国内を攪乱することを認めよう。ただし、表向き我らは宋国と共闘していることになっておる。我らが後ろにいることを知られてならぬ。また、決して金国の領民に被害を出してはならぬ。以上心得よ 」


「有り難きしあわせ! ではさっそく、西岳衡山の檮杌とうごつめを解き放ちに参ります! 」

 4人の宋人は深々と頭を下げ陣幕を出て行った。


 その4人と入れ替わるように、伝令の兵士が陣幕内に跳び込んできた。

「申し上げます。間者かんじゃからの知らせで、遼国軍に耶律大石やりつたいせきが合流したとのことです」


「なにっ!」 

 普段冷静沈着なネメガが思わず声を上げた。

(くそっ、愚鈍な耶律阿果やりつあか(天祚帝)など恐るるに足らぬが、耶律大石は相当な切れ者……少し慎重に作戦を練り直さねば)

 この段階で四凶などという得体の知れないものの存在は、ネメガの頭の片隅に追いやられたのである。



 それより二週間後、西岳華山、深夜。


 古代から信仰を集める五岳の一つである華山は、古都西安(長安)から東へ約二百六十里(130キロ)にある。最高峰の南峰(2,154m)をはじめ、2000m級の5つの主峰からなるこの霊山は、全体が花崗岩に覆われ、急峻な切り立った断崖絶壁が連なっている。


 山のあちこちに道観が建てられ、多数の道士が修行を行っている聖地である。そのうちの中峰(2,037m)に向かう尾根道を歩く一団があった。深夜、月が雲に覆われ辺りが闇に包まれている中、わずかに揺れる明かりを頼りに、「蒼龍嶺そうりゅうれい」と呼ばれる細い尾根道を、黒衣に身を包んだ男たちが8人。


檮杌とうごつ」の封印を解きにやってきた、礼山道人を初めとする一団である。


 「蒼龍嶺」は、一丈にも満たぬ細道で、両側は切り立った崖になっている。深さは優に三百丈(900m)以上あり、雲がかかって底が見えないほどである。万一足を踏み外せば当然命はない。花崗岩の道は滑りやすく、実際この一団はすでに一人仲間を失っていた。そんな危険な道を、月明かりもない闇夜に登っているのだ。


「礼山師、鐘厳宮しょうげんきゅうまでまもなくでございますが、そろそろ明かりを消させていただきますが、ここから道が細くなりますのでお気をつけください」

 先頭の明かりを持った案内人が、一団を振り向き小声で話しかけた。杖の代わりに六尺棒を持った男が、返事として軽く手を上げる。それを見て男は明かりを吹き消した。


 程なくして黒衣の一団は、行く手に小体こていな道観を認めた。そもそも岩だらけの華山には、広い土地がさほど多くない。自然と各道観は小さめなものになるが、彼らの目指す「鐘厳宮しょうげんきゅう」は、特にこじんまりとしていた。一丈ほどの幅の小さな門の奥には、岩肌をくり抜いて作ったらしく、岩盤から直接軒先が突き出している建物が見える。


 だが、そんな小さな道観のわりには、深夜にもかかわらず門の前には篝火かがりびがたかれ、屈強な道士姿の男が数人、槍を握りしめて立番をしている。やはり「檮杌とうごつ」の封印の警備にあたっているのだ。

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