第二部 第一章 二仙山~篭山炭鉱(八)

「おい、何匹くらいいるんだ」

「3匹じゃが、1匹飛び抜けて大きいのがいるぞえ、群れの親玉かも知れんな」

(ふむ、妖物あやかしとはいえ実体があるならば戦いようはある! )


 背後で戦っている四娘と玉林もその声を聞きつけたとみえ、剣を叩きつけ術を仕掛けながら声を掛けてきた。

「こっちはあと4匹ってとこ、祓ったら行くからそれまで何とか持ちこたえて」

讙平かんぺいもあと少しがんばって! 」

(頑張ってるなあの子ら。よし、きやがれ化け物め! )

 

 やがて闇の中から。狍鴞ほうきょうだろうと玉林が目星をつけた魔物が2匹、ゆっくりと姿を現し、ぱかりと大きな口を開け、ぐがぁと咆哮ほうこうした。

 

 燕青は膝を緩め、半眼はんがんで2匹の狍鴞ほうきょうを待ち構えた。思い浮かべるのは、飲馬川で周侗しゅうとう老人が大猪をほふった動きである。


「あるじどの、左のはわらわが足止めを」  

 己五尾が小声で話しかけたのに小さくうなづきいた。それを見るなり己五尾は、電光のように狍鴞に飛びかかり、噛みついては跳び退き足元をくぐり抜けてはまた噛みつき、散々に翻弄ほんろうしはじめた。


 もう1匹の狍鴞は、燕青めがけて大口を開け、噛みつこうと走り込んできた。ぎりぎりまで引きつけてからすい、と足を入れ替え、狍鴞の側面に回り込み首筋に掌打をたたき込んだ……のだが(入った)と思った瞬間、狍鴞は横に大きく跳び退いた。


 燕青の掌打は空を切った。それを前足の付け根の、灰色の体毛の中に光る眼が睨み、そのまま体を回転させ、太い尻尾で燕青をなぎ払いに来た。ぶん、と鈍い音がして、人の腕ほどもある尻尾が襲いかかり、燕青は跳んで距離をとるしかなかった。


後ろ足に体重をかけ、前足はつま先立ちになり、虚歩きょほの姿勢を取ってもう一度構えた。

(くそっ、横に目がついてやがる。側面に回り込んでも死角にはならないか? )


 今まで数多くの人間とは戦ってきたが、横に目がついている四本足の魔物と戦うのは初めてである。急所も分からないが、とにかく有効な打撃を入れて、少しでも弱らせるしかない。


 大きな口だけの顔面は、目もついていないのに正確に噛みつきにくる。今度は狍鴞の体ギリギリにすり抜けながら、すれ違いざまに灰色の毛で覆われた体に正拳を叩き込んだのだが、手応えがまるでないのだ。


 2発、3発と打ち込んでもびくともしない。どうやら狍鴞の体を覆う分厚い体毛は、打撃を吸収してしまうようだ。となると、顔面を攻撃するしかないが、下手に攻撃すれば噛みつきが飛んでくる。


 隣では己五尾が小さな体で動き回りながら、隙を見て足元に噛みついては跳び退く、とうことを繰り返している。狍鴞は四肢の膝から下を噛み裂かれ、青緑色の液体を垂れ流しているのが見えた。


(む! )

 羊のような体をした狍鴞は、首から体全体が分厚い体毛で覆われているが、足は膝から下に毛が生えておらず、皮膚がそのまま見えている。足先は人のように長い指がついていて、鋭い爪が伸びている。あそこを狙えばどうだ?


 虚歩きょほの構えからそのまま後ろ足を伸ばし前足の膝を上げ、金鶏独立歩きんけいどくりつほの構えに移行した。重心を上にあげると、狍鴞も眼の無い顔でどうやって見ているのか、首を持ち上げて口を開け飛びかかってきた。


 噛みつかれる寸前まで金鶏独立歩きんけいどくりつほで構えていた燕青は、急に身を屈め重心を前に乗せると同時に、後ろ足の足刀で狍鴞の前足のすねに正面から蹴りをいれた。


 みしり、という音をさせたと同時に、低い態勢のままさらに体を反転させ、もう一本の前足に今度はかかとで横から蹴りとばした。後掃腿こうそうたいの動きだが、足払いというより強力な踵の回し蹴りである。


 二連続の蹴りを入れたあとすかさず身を翻し、狍鴞から跳びのいて見れば、両足のすねをへし折られたとみえ、苦しげな声をあげながら突っ伏して立ち上がれないでいる。


(好機! )

 地面に押しつけられたままになっている顔面を、上から強く震脚しんきゃくの要領で踏みつけると、顔面はぐしゃりと潰れ、耳のような穴から、青緑色の液体を吹き出して、狍鴞はようやく動きを止めた。


(もう1匹は? )

 己五尾の方を見ると、傷こそ負っていないが、やはり小さな体で動き続けているため、かなり苦しそうな様子で、肩で息をしている。


「こっちだ! 」

 残る狍鴞の横から滑るように飛び込み、体側たいそくに中段の突きを入れた。肩口についた眼がぎょろりと睨みつけ、ひょいと跳ねて顔面をこちらに向け、大口を開けて威嚇する。これは横からの攻撃は通用しないことを承知の上で、己五尾から狍鴞を引き離すための突きだ。


「己五尾、ご苦労だった、少し休め」

 燕青の言葉に荒い息で頭を下げ、少し距離を取りながら油断なく身構えたまま、呼吸を整える己五尾。そこに奥の狍鴞を片付けたらしき四娘と玉林が駆けつけてきた。


「あとはあたいらにまかせて!」

 玉林が、駆け寄りながら狍鴞の顔面めがけ霊符を飛ばした。直線的に飛んだ黄色い霊符が、顔面にへばりつく寸前、狍鴞はとんと跳ね、横に一丈も跳び退いた。だがその足元に走り寄る黒い影。天狗てんこう讙平かんぺいが、隙を見て狍鴞の前足に噛みついた。


 みしり、と手の平ほどの皮膚を噛みちぎったかと思うと、そのまま玉林の足元に駆け寄り、くちゃくちゃと咀嚼そしゃくしはじめた。狍鴞は「うんぎゃぁぁあお!」と、また赤子のような叫び声をあげ、痛みに耐えかねたのか、後ろ足で立ち上がった。


 そのとき初めて気づいたが、立ち上がった狍鴞の腹部に、前足の間から後ろ足の間にかけて、幅三寸ほど体毛が生えていない部分がある。すかさず走り込んだ四娘が、下段から狍鴞の喉元まで、東王父の桃剣で一気に切り上げた。「ぞぶりっ」と泥のような音を立てて狍鴞の腹が縦に切断される。


 返り血を避けて四娘が後ろに跳んだその前を、1歩、2歩と歩いてどう、と狍鴞が倒れ伏した。痙攣している頭部に、四娘がとどめのひと刺しを加え、狍鴞は完全に動きを止めた。 

 

「やったね! 」

 玉林が声を弾ませたが、後ろから己五尾がすぐに叫んだ。

「いや、まだじゃ、親玉が来よるぞ! 」

 

 そのとおり。副道から回り込んだ狍鴞の最後の1匹が、休憩所の広間に続く坑道からぬう、と顔を出した。


(でかい! )

 一同は思わず息をのんだ。今までの狍鴞は、大きくても羊ほどの体軀であったが、こいつは小型の象ほどもある。全身を現すと、ほぼ広間の半分が埋め尽くされるほどである。


 しかも今までの狍鴞とは違い、顔面はわにほどもある大きな口があり、真ん中には大きな目が一つ。前脚と後ろ脚の付け根にもそれぞれ眼がある。攻撃を受け付けない体毛は長く伸び、脚の先まで覆われていて、指の爪は長さ一尺ほどあり、鋭く黒光りしている。そいつがいきなりがばぁと大口を開けた。


 ぐぅぇぇぇぇええ! 

 他の場所より広いとはいえ、三丈(9m)四方ほどの小さな空間である。おもわず耳を塞ぎたくなるような大音響が響き渡ったと思うと、いきなり鰐のような口が3人めがけ噛みついてきた。


 慌てて左右に跳び退く3人。玉林は「讙平、戻って! 」と叫び、草で編んだ依代よりしろを突き出す。天狗てんこうが依代に跳びつくと、そのまま姿が溶け込むように消えた。己五尾は素早く狍鴞の足元をすり抜け、入口側の坑道に走り込み、背後から隙をうかがう。


 親玉とおぼしき5つ眼の狍鴞は、口を閉じてぐぶぐぶと妙な音を立て始めた。

 

 口を閉じた顔面に、斬撃を加えようと身構えた四娘が膝を曲げた瞬間、ごぼぉと音を立て狍鴞の口が開いたと同時に、口の中から直径三尺ほどの火の玉が飛び出して四娘を襲った。四娘は横っ飛びに転げて、かろうじて難を逃れた。


風山漸ふうさんざん!  木雷招来もくらいしょうらい霊符貫妖れいふかんよう急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう、破っ!」  


 玉林が横から霊符を飛ばす。霊符は顔面にへばりつき、先ほどと同様にとげを生やす、と思ったのだが、何故かぼっ、と燃え尽きてしまった。それだけでなく、むしろ狍鴞は勢いづき、さらに火の玉を続けて吐きだしたのだ。

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