第二部 第一章 二仙山~篭山炭鉱(九)

「玉林! そいつ土性どしょうから火性かしょう変化へんげしてる! 木性もくしょうを使うと木生火もくしょうかになっちゃう! 」

 四娘が叫ぶ。


「わかった、水性すいしょうの術を使う! 」

 玉林は懐をまさぐり別の霊符を3枚抜き出し、次々に吐き出される火の玉を避けながら咒文を唱えた。


離下坎上りかかんじょう!  水火既済すいかきさい水雷招来すいらいしょうらい滅火消伏めっかしょうぶく急急如律令きゅうきゅうにょりつりょうちん! 」


 飛ばした3枚の霊符は狍鴞ほうきょうの顔面と背中に貼りついた。と同時に「ぶしゃあああ」と凄まじい蒸発音が響き、坑道内にもうもうと湯気が立ちこめた。


水剋火すいこくかっ! 金生水きんしょうすいっ! 」

 四娘は西王母せいおうぼも抜き放ち、目の前で東王父とうおうふと交差させて身構えた。


 狍鴞は叫び声をあげながら前足の長い爪で四娘を切り払う。がちり、と2本の桃剣で受け止めるが勢いに押されて弾きとばされた。


 とばされた四娘、一丈ほども浮かび上がったが、空中でくるりと一回転して着地し、その勢いを利用して弾丸のように狍鴞に飛びかかった。鰐のような牙が噛みつきに来、辛くも避けたその道服の袖を僅かにかすった。その一瞬で袖が縄のれんのように切り裂かれる。


「このぉ、一張羅いっちょうらなのに! 」

 四娘の浄眼が、怒りに輝いた。振り回す前足をかい潜って腹の下に飛び込み、西王母で後押しをしながら、下から腹部に東王父を深々と突き立てた。


(てごたえありっ! ) 

 すぐに引き抜き、腹の下から転げるように飛び出し、そのまま前足の肩についた眼をめがけて切りかかる。たまらず狍鴞は腹からだらだらと青緑色の血を垂れ流しながら四娘から離れた。


 そこをめがけて玉林がさらに2枚霊符を飛ばす。背中に貼りついた霊符から、またじゅうじゅうと音を立てて水蒸気があがる。


 少しずつではあるが着実に、2人の少女道士は連携を取りながらこの巨大な狍鴞に傷を負わせ続けている。己五尾もまた少女たちの邪魔にならぬよう、噛みついては離れを繰り返し、狍鴞の動きを撹乱している。


 狍鴞もこの2人と1匹の小さな敵に意識が向いていて、燕青のことなどすっかり眼中にないようだ。燕青も隙を見て腹部に突きや蹴りを入れているのだが、全く意に介する様子がない。


 先ほど倒した羊ほどの大きさの狍鴞ですら、体には有効な打撃を与えられなかった。ましてやこの親玉は、足の先まで体毛で覆われている。すねや指を狙う戦法が効くとは思われない。少女たちの鏢師としての役割を全然果たせていないのだ。


 彼女らに経験を積ませるのは大事だが、万一怪我をさせたり、命を落とすようなことになったら悔やんでも悔やみきれない。燕青は焦り珍しく冷静さを欠いた。その時、四娘の声が響いた。


「青兄ぃ、陽の気を錬って体内に送り込む感じで打ってみて! 」  


 その声に燕青ははっと我に返った。足を開いて腰を落とし、両手を肩の高さに挙げ馬歩まほ立ちの姿勢をとった。


 深く息を吸い地面を踏みしめ、丹田たんでんに気を満たす。十分に気が満ちたのを感じとるとくわっと目を見開いた。


 飛燕が地面すれすれを飛ぶがごとく、ひと呼吸で狍鴞の脇腹に近づき、ふわりと両手の掌を押しつけたかと思うと、ずしりと右足で地面を踏みしめた。

ふん! 」


 足の裏から伝わってきた地の気が丹田を通り、丹田の気とともに脊椎から両のてのひらに通って、そのまま狍鴞の体毛から体内に吸い込まれていくのを感じた。次の瞬間!


 象ほどの巨体を持つ狍鴞が、ふわりと地面から浮きあがり、一丈ほども飛ばされて坑道の壁にたたきつけられた。狍鴞は横倒しになり、どぼっと音を立てて、四娘が切り裂いた腹の傷からおびただしい量の青緑色の液体がこぼれ出た。


「今っ! 」


 四娘がもう一度腹部の傷に斬りかかった。十文字に切り裂かれた腹部の傷に、さらに跳び込んだ玉林が霊符を投げ込む。黄色の霊符が見えなくなったと思うと急激に狍鴞の体が膨れ上がった。


「爆発する! 下がって!  」


 副道に3人と己五尾が跳びこむと同時に、狍鴞の体が爆発し、おびただしい水蒸気とともに坑道の広間に、肉片と青緑の血液が豪雨のようにばしゃばしゃ降り注いだ。


「……やったね」

 四娘と玉林が顔を見合わせて親指を立てた。坑道から出てみると、狍鴞の親玉は腹部から真っ二つにちぎれ、鰐のような口が力なく断末魔のあえぎを見せていた。それを見た玉林が懐から天狗てんこう依代よりしろを引き出し、再び讙平かんぺい顕現けんげんさせた。

  

「行け、讙平」


 讙平は口をぱくぱくさせている狍鴞の頭部に近づき、喉元に噛みついた。何度も何度も肉を食いちぎり、やがて狍鴞は全く動かなくなった。


「よし、おいで」

 讙平は誇らしげな顔つきで戻ってきたのだが、不思議なことにたぬきほどだった体が、むくむくとふた回りほど大きくなり、まるで狼ほどに成長したのである。


「これはいったい? 」

 玉林が笑顔で教えてくれた。

「あたいの使鬼神しきがみは、自分より強い敵の肉を喰らって、とどめを刺すことで成長するんだよ。最初は鼠くらいの大きさだったんだ」

「へぇ、そんな感じなんだ」

「戻れ、讙平」


 一行は警戒しつつ、坑道の一番奥まで進んでみたが、やはりこの個体が親玉だったらしく、狍鴞の気配はまったく感じられなくなった。祓いは完了したとみてよかろう。退治したあかしに親玉の首を切り落とし、3人と己五尾は出口に向かった。 


 坑道から出てみると、入坑口の前に炭鉱夫たちが一行の帰りを待ち構えていた。あちこちぼろぼろになりながら出てきた少女道士たちを見て安堵の表情を浮かべた。そのうしろから燕青が、高々と狍鴞の首を掲げたので、一斉に歓喜の雄叫おたけびをあげたのである。


「よく無事で戻ってきたな、ありがとうよお嬢ちゃんたち」

 辛岱しんたい親方が真っ先に駆け寄り、顔をくしゃくしゃにし涙を浮かべながら四娘と玉林の手を握りしめた。他の鉱夫も口々に感謝の言葉を述べるため近寄ってきた。


 3人はすっかり取り囲まれ、もみくちゃにされたのである。そのまま3人は町の居酒屋に担ぎ込まれた。そしてうたげが始まった。


 興奮した鉱夫らは次から次へと肉やら野菜やら、酒やら点心おつまみやらをどんどん勧めてくる。四娘と玉林は、肉や魚は固辞し、点心や茶、菓子などをたらふく食べた。


 燕青は酒は一口だけ飲み、久しぶりの肉にかぶりついたが、鉱夫らの目を盗んで肉や魚を窓から外に放り投げた。窓の外では己五尾が、次々に飛んでくるおかずをどんどん平らげているのだ。


 うたげもかれこれ半刻はんときも過ぎた頃、突然居酒屋の扉が乱暴に押し開けられ、一団の兵士たちがどやどやとなだれ込んできた。昨日嫌みを言いに来た穆叟ぼくそうを先頭に、討伐に参加しなかったらしき、景州の兵士が5人続いて入ってきた。鬱憤のたまっていた鉱夫らは、口々に罵りあざ笑った。


「よぉよぉ穆叟ぼくそうの旦那よ、良かったなまた石炭が掘れるぜ」

「この可愛いお嬢ちゃんたちが、ちゃあんとあの化け物を退治してくれたからよ」

「おめぇんとこの兵隊さんも気の毒なことをしたが、まぁ終わりよければ全て良し、ってことで」

 穆叟は悔しげに唇をかみしめながら、燕青たちに近づいて話しかけてきた。


「このたびは無事化け物を退治してくださったそうでありがとうございます」

 と袖を合わせるのに対し、四娘と玉林は

「ガキ2人でもやれば出来るんだからね、舐めないでもらいたいわね」

優男やさおとこにしてやられて、ねぇねぇ、今どんな気持ち?」

 ニヤニヤ笑って見せた。


(こいつら、敵に回したくない奴らだな。何言われるかわかったもんじゃない)

 燕青は苦笑いするしかなかった。


 聞いて穆叟は、こめかみに青筋を立て、顔面を紅潮させながらも

「つきましてはちょっとお話があるのですが」

 と絞り出すように行った。

(ん?)

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