第二部 第一章 二仙山~篭山炭鉱(六)

 己五尾によれば……

 兵士のあとを追って狐姿で坑道に入った己五尾は、兵士たちの持つ松明たいまつの明かりがかろうじて見えるくらいの距離をとって尾行した。


 途中幾つもの分かれ道があったが、兵士たちはあまり左右の枝道を警戒せず、中央の太い本道をどんどん進んでいく。だが己五尾の鼻は、途中の枝道に残る獣臭けものしゅうを感じ取っていた。


(こやつら全然後ろの警戒をしていないが、挟撃はさみうちにされたらどうするつもりじゃろ? ) 

 己五尾の心配を余所よそに、兵士たちは無造作に奥へと進んでいく。坑道はどんどん深くなり、やがて身震いするような寒さになってきた。


 本来、多くの鉱夫が松明を灯して働いていれば、暑いぐらいのはずだが、もう2週間も人が入っていないのですっかり冷え切っているのだ。


「おい、これ以上は寒くてやってらんねぇぞ。引き返そうぜ」

「ああ、化け物はいなかったんだから仕方ねえよな。戻って一杯やろう」 


 兵士らはどうやら諦めて引き返すことになったらしく、話し声と明かりが戻ってきたので、己五尾は枝道に身を隠し様子をうかがうことにした。


 ところがそのあとすぐ、

「うあぁあなんだこいつは! 」


 叫び声に続いて明かりが目まぐるしく揺れ、金属が壁や床に当たる音が続いた。それとともに獣のうなり声や歯がみする音、兵士達が互いに掛け合う声が響いた。その合間には何故か赤子の泣くような甲高い声も聞こえてきた。


(あれが人を食う魔物か?! )

 己五尾は枝道から静かに抜けだし、明かりの方へと近づき、岩陰から覗くと、片手に松明を持ったまま、もう片手で刺叉や剣を振り回す兵士たちの間を、羊ほどの大きさの、4本足の何かが2匹、素早くすり抜けては兵士に噛みつき、蹴飛ばし、頭突きを喰らわしているのだ。


 狭い坑道の中では長柄ながえの武器は振り回しづらく、むしろふところに入られてしまい身動きが取れないでいる。さらに何度刺叉さすまたで殴りつけても、剣で切りつけても、体毛が邪魔で刃が通らないらしく血の一滴も流れない。


 手をこまねいているところに、己五尾のすぐ前の枝道からもう1匹、同じ魔物が飛び出してきて、兵士たちは挟撃きょうげきされる形になってしまった。すでに逃げ腰だった兵士は完全に恐慌に陥った。


 誰言うともなく退却することになったとみえ、入口に向け闇雲に武器を振り回し、大声を上げて逃げ出したのである。


 松明は投げ捨てられ、踏みにじられ、真っ暗闇になった坑道を兵士が走る。だが何も見えない中でつまづいて転び、そして噛みつかれる。


 そんなことがなんども繰り返され、闇の中に点々と兵士の食いちぎられた手足や臓物が散らばっている。


 そんな中どうやら4人だけは入口まで逃げのびたようだ。諦めて引き返してきた魔物を枝道から観察する己五尾。戻ってきた3匹が、あちこち散らばった兵士たちの体を、夢中になってごりごりくちゃくちゃと囓り始めたのを確認し、坑道を抜け出して宿に戻ってきたのである。


「で、どんな奴だったその化け物は? 」

「そうさのお。わらわは夜目が利くとはいえ、なかなか動きが早かったから、しかと見られたわけではないが、まぁ妙ちくりんなけだものだったぞえ」


 羊のように毛深い体、大きさも羊くらい。だが顔は人間のようにのっぺりとしていて、それでいて目が無く、虎のような牙が生えていて、4本の足の指は人の手指のように長かった。顔に目が無いかわりに、なぜか前足の付け根、わきの下あたりに大きな目がついていたという。


「そして赤ん坊のような鳴き声……か。どうだふたりとも、思い当たる魔物はいるか? 」

 四娘と玉林は顔を見合わせた。


「どうなんだろ玉林、いくつか思い当たる魔物はいるんだけど」

「あたいは狍鴞ほうきょうじゃないか、と思うんだけどな? 」

「なるほど、特徴は合うね」


 狍鴞ほうきょう……山海経さんがいきょうに曰く、「獣あり。その状は羊身。人面のごとく、その目は腋の下にあり。虎の歯、人の爪あり。その音は嬰児えいじのごとし。なづけて狍鴞ほうきょうという。これ人を食う。」という魔物である。


 実際に見てみぬことには確定できない。しかし暗くて狭い坑道の中での祓いとなると、慎重の上にも慎重を期さねばなるまい。


 幸いかつての猲狙かっしょとは違い、最初から実態を持っている魔物のようだ。それならば燕青にも戦いようがある。そんなことを話しているところへ、海東青かいとうせいらんが戻ってきて、空いた窓の縁に止まった。


「どうだい、鸞にもういち往復してもらって、二仙山に指示を仰ぐってのは?」

「だめっ! 」

 ふたりが声を合わせて拒否した。


「せっかくあたいらだけに祓いの仕事が来たのに、何でもお伺いを立ててたらいつまでも独り立ちできないじゃん! 」

 玉林がふくれっ面で抗議する。


 なるほど。慎重になりすぎて、むしろ過保護になってたかもしれない。燕青は申し訳ないと思いつつ、このいたいけな少女ふたりの意外なたくましさを見た思いがした。


「小娘のわりにはあっぱれな気概きがいじゃのぉ、少し見直したぞえ」

 寝台に座り、扇子で顔をあおぎながら己五尾も艶やかに微笑んでみせた。そしてすぐに表情を引き締めて続けた。


「とはいえ、暗く狭い中での戦いはなかなかに厄介じゃぞ。わらわも、あと2本尻尾が復活すれば、せんだってそちたちと闘った形態になって手を貸せるのじゃがの」


「いや、こんだけ情報を集めてくれれば十分役に立った。何と言っても魔物の様子が分かったのは大きい。礼を言うぞ」

「礼なぞいらぬが、ご褒美に一晩のお情けをいただけないかのぉ、あるじさまよ」

「どさくさに紛れて何言ってんのよ、この助平狐! 」

 四娘に叱られてペロリと舌を出す己五尾。


 翌日早朝から祓いのための準備にとりかかった。足りないものは辛岱しんたい親方にお願いしたところ、快くそろえてくれた。


 四娘と玉林は道士の正装である濃紺の道服の上に、膝まである長羽織。羽織の内側には四娘は飛刀ひとうを、玉林は黄色の紙に丹砂たんさで様々な咒文を書きこんだ霊符と、草を編み込んで作った依代よりしろを隠してある。


 2人とも髪を小さくまとめて結い上げ、四娘は例によって5寸ほどの棒でかんざしのようにまとめ、玉林は赤い布でくるみ、黒の天鵞絨ビロードの半長靴を履いた。さらに四娘は西王母、東王父の雌雄の剣を背負い、玉林も短剣を腰に挿した。


 燕青は腹にさらしを締め、戦袍せんぽうの上から手甲てっこうだけをはめ、ひたい鉢金はちがねを巻きつけた。甲冑の防御力よりも、動きやすさを優先しての装備である。


 燕青から見ると、四娘や玉林の道服は非常に動きづらそうに見えるが、少女らに言わせると、仙術で一番大切な「気合」が違うのだという。


 燕青はさらに金創薬きずぐすりと止血用の布、消毒用の焼酎を入れた小瓶、瓢箪ひょうたんに入れた飲み水などをまとめて革袋に入れ、背中に背負った。


 短刀を帯に差し、さらに松明たいまつの束を持ち上げるのを見て四娘が

「松明なららないわよ。あたしたちの仙術で照らせるから」

 と言う。


 松明の火ぐらいで坑道の石炭に引火する可能性は低いが、火傷の心配もなくなり、松明を持つことで片手がふさがるのを避けられるのは非常に有利になる。


 ひと通りの準備が済み、一行は宿を出て坑口こうこうへと向かった。待ち受けていた辛岱親方や鉱夫たちが口々に激励や気遣いの言葉をかけてくれ、3人は軽く手を振って応えた。


「いいか、絶対無理すんなよ。甲冑つけた兵隊があれだけ食われたんだ。お前たちが逃げ帰ってきたって、誰も文句なんて言わないからな。絶対に死ぬなよ」


 辛岱親方は目に涙を浮かべんばかりである。

 四娘と玉林は、顔を見合わせてから親方に向け親指を立て、

「任せといて! 」

 と笑顔で一言。


 そして3人(と後から1匹)は、篭山炭鉱の坑道へと姿を消したのである。

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