第二部 第一章 二仙山~篭山炭鉱(五)

「これはこれは辛岱しんたい親方、お元気そうで何よりですな」

 穆叟ぼくそうと呼ばれた男は、言葉遣いこそ丁寧だが、唇はねじ曲がり目は皮肉に光り、明らかに辛親方を見下していた。


 辛岱はこめかみに青筋を立てながら怒鳴る。

「心にもないお世辞はいい! 何の用だと聞いているんだこの裏切り者! 」


「はは、これはご挨拶ですな。せっかく知県の郭さまがお前らのために便宜を図ってくれたと伝えに来てやったのだぞ、有難く承ったらどうだ」


「何を言ってやがる、いつまでたっても化け物退治の兵隊はよこさねぇし、そのくせ採掘は再開しろと矢の催促だし、何もしてくれてねぇじゃねえか! 」


「まぁ話を聞け。お前が鉱夫たちを止めたせいで、せっかくの石炭の収入が激減してしまい、郭さまも困っておいでだ」


「だから県の兵隊を寄越してくれと何度もお願いしたではないか! 」

「そのことよ。やっと郭さまも県の軍隊を送るとおっしゃってくれたのだ。今日明日にも到着するだろう。ちゃんとおもてなししろよ」


「なにぃ! あいつがいつまでも何もしないから、俺たちで金を集めてこちらの道士さまに来ていただいたんだぞ! ふざけるな! 」

 聞いて穆叟ぼくそう、燕青らをちらりと見て、ふんと鼻で笑った。


「そんなみすぼらしい格好の優男やさおとことガキふたりで何ができる? それだったらお前らが総出でかかった方がよっぽどましだろうに」


 話の腰を折られたうえに見くびられた玉林が、憤懣ふんまんやるかたない表情で食ってかかる。

「何がガキふたりよ! 兵隊が何人来たって、相手が魔物だったらやられちゃうんだからね!」   


「まぁ、何にしてもまず郭さまの送ってくださった兵隊に退治してもらって、とっとと採炭を始めてもらおうか、辛親方よ。万一兵隊がしくじったら、そのときは改めてそこの有難い道士さまにお願いすればいいさ。いいか、決して兵隊の邪魔をするなよ! 」


 取り巻き数人を引き連れ、高笑いを残して穆叟ぼくそうは出て行った。

 その背中を見送って、辛岱しんたい親方が肩を落として

「せっかく来てもらったのに済まねぇ。しびれを切らしてお願いしたが、まさか郭の野郎とかぶっちまうとは思わなかった」


 手を合わせて頭を下げる。四娘と玉林は顔を見合わせて

「気にしないでください、親方。それにしてもなんかあのぼくって奴、腹が立つわねぇ」

「そうそう、何者なんですあいつ、裏切り者とか言ってたけど」

 

 穆叟はかつて篭山炭鉱の現場責任者だったが、おごり高ぶり採掘人夫たちをこきつかい、体を壊したり怪我したりしても我関せずの苛烈な扱いをしてきたため、辛岱をはじめとする人夫たちによって追い出された。


 だがそのあと、そのまま知県ちけんの《かうしょうえい》郭照叡のところに言葉巧みに取り入り、後ろ盾を得て手下を引き連れ、再びこの炭鉱に戻ってきたという。


 まさに虎の威を借る狐そのままに、反抗する人夫を働けなくなる寸前まで痛めつけたり、家族に脅しをかけるなど有形無形の圧力をかけてきたそうだ。

 

「あの野郎はついこないだまで俺たちの仲間だったくせに、ちょっと頭が回るし口も立つんで親方にしていたら、すっかり調子に乗って郭の野郎の腰巾着になってでけえ面し放題でよ。化け物に殺された仲間の弔いにも来やしねえ。あんなくそ野郎の言うことなんぞ聞きたくないんだが」  


 涙を流さんばかりである。役人や兵隊の横車には、燕青とて何度も苦汁を飲まされてきたから、親方の気持ちはよくわかる。


「親方、どうせ兵隊が来たって何もできないわよ。そしたらあたいらがやっつけてやるから、まかせといて!」

 どん、と玉林は胸を叩いてみせた。


「そうかい、ありがとうよ嬢ちゃんたち。頼りにしてるぜ。でも絶対無理すんなよ。」

 親方は少し目を潤ませ、2人の頭を静かに撫でる。やはり見かけよりも優しい性格なのだろう。


 その後3人は、町の宿に案内された。部屋の寝台に腰をおろし、四娘と玉林は大きな伸びをして寝転がった。

「ねぇ青兄ぃ、その郭が送ってきた兵隊って、ひょっとして?」

「ああ、おそらく昨日の宿にいた奴らだろうな」


 15人ほどの兵士たちは、本来なら自分たちと時を同じくしてこの町に到着していただろう。だが昨夜の己五尾の働き、というか偶然の妨害工作によって腰も立たない状態になり、幸か不幸か燕青一行が先に到着したわけだ。


 明日にでも坑道の正体不明の化け物を祓いにいく予定だったが、しがらみによって兵隊たちより先に入るわけにはいかなくなった。逆に言えばお手並み拝見ともいえるし、敵の情報も手に入るかもしれない。


 考えようによっては儲けものである。もし兵隊が退治してしまったら、無駄足になってしまうがそれは仕方ない、ということで意見の一致を見た。


 3人は夕食を済ませ、海東青かいとうせいらんに、到着した旨の通信文をくくりつけ夕方の空に離してやると、らんは西の空目がけて一直線に飛んでいった。


 入れ替わるように狐姿の己五尾が窓から飛び込んできたので、もし兵隊が到着しても、また精気を吸い尽くしてはならぬと釘を刺し、例によって寝台に四娘と玉林、二人の足下に狐姿の己五尾が、長椅子で燕青が、それぞれ眠りについた。 


 次の日の昼過ぎ、町の飯店めしやで饅頭やうどんの昼食を摂っていると、甲冑かっちゅうこすれる音が聞こえてきた。1日遅れで郭照叡の命を受けた一団の兵士が到着したようである。飯店の前を通り過ぎる姿をこっそり横目で見ると、案の定昨日横暴にも旅人たちを宿から追い出した連中であった。


「やっぱあいつらだったね、またあたいら追い出されたりしないよね?」

「しっ! 昨日の穆叟って奴が来たよ」


 密かに後をつけた己五尾によると、兵士たちの前に穆叟と数人の取り巻きが現れ、もみ手しながら何やら話をしたのち、兵隊たちは穆叟につき従い、町の奥にある郭照叡の別宅へと入っていった。よっぽど儲かっているらしく、かなりの大きさの屋敷である。兵士の10人や20人泊まってもびくともしないだろう。


 報告を聞いて四娘や玉林は、人をこき使って私腹を肥やしやがってと、郭照叡に対して怒りを募らせたが、そんな例はどこにでも転がっている話である。腹立たしいがそういう世の中だと、燕青は歯がゆい思いをしつつもふたりをなだめた。


 いよいよ捕り物の朝である。辛岱の親方をはじめ、林で酒を食らっていた屈強な炭鉱員などが見守る中、刺叉さすまた袖搦そでがらみ、短槍たんそうや剣などをこれ見よがしに光らせながら、兵士たちが郭の別宅から出てきた。

 10人の兵士たちは全員松明に火を灯し、次々に坑道へと消えていった。5人は行動の前で待機している。後詰めのつもりなのだろうが、全体的に怠惰な雰囲気が漂っている。


「坑道の中は狭ぇんだ。あんな長え刺叉さすまた袖搦そでがらみはかえって邪魔になる。穆叟の馬鹿野郎が、そんなことも伝えていないのか。あんたらも気をつけろよ」


 辛岱親方が小声でつぶやくのを聞き、燕青も僅かうなづいた。松明の明かりが坑道の壁に反射し、やがて全く見えなくなったころ、目にもとまらぬ早さで己五尾も坑道に侵入していったのである。 


 四半時しはんときも経ったであろうか。穆叟は坑道の入り口近くに床几しょうぎを置き、腰を下ろして取り巻きと酒など飲んで待っていたのだが、奥から光が近づいてきたのを見つけ、慌てて酒碗を置き入り口へと走った。坑道に入った兵士が戻ってきたのだ。

 

 やがて肩を支え合って4人の兵士が日差しの中に姿を現した。と同時に、安心したのかどっとその場に倒れ込んだ。見れば皆全身血塗れで、1人の兵士にいたっては左手の肘から先がくいちぎられたように無くなっていて、すでに身動きもしていない。


「だ、大丈夫でございますか! ほかの方々は 」


 穆叟が慌てて駆け寄り、1人の兵士を抱き起こしたが、

「……みんな……食われた……黒い影が何匹もいて……俺たちだけ逃げた……」

 と言い残し、がっと血を吐いて事切れた。


 残る2人の兵士も、ぜいぜい荒い呼吸をするだけで瀕死の状態である。

 見ていた炭鉱夫はてんでに戸板を持ってきて息のある2人を乗せ、震えながら固まっている穆叟をひっぱたき正気を取り戻させ、死体もろとも4人の兵士を郭照叡の屋敷に運んでいった。


 唖然として見送る人々の後ろに、坑道内部の偵察に行っていた己五尾がこっそり出てきたのに気づいた燕青は、少女2人に目配せして一度宿に戻った。己五尾は人間の姿に変化へんげしてから、坑道の中で目撃したことを話し始めたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る