第七章 青州観山寺(一)

 飲馬川いんばせんを後にした燕青えんせい四娘しじょうは、それから十日ほどかけ,雄州ゆうしゅう莫州ばくしゅう滄州そうしゅうと旅を続け、大きな川をふたつ渡り、やっと青洲せいしゅうへと辿り着いた。


 渡し舟では、川の真ん中で船頭の振りをした賊に脅され、金品を要求される一幕もあったが、「星持ち」の仲間であるげん兄弟や「浪裏白跳ろうりはくちょう張順ちょうじゅん、「混江龍こんこうりゅう李俊りしゅんなどから川賊の話を聞いていたので前もって警戒していたこともあり、結果4人ほどの賊を川に投げ込む大立ち回りの末、事なきを得たのである。


 青州に入ってからは、博興はくこう千乗せんじょう寿光じゅこう臨淄りんし、州都である益都えきとと、町を次々に通りすぎ、やっと観山寺かんざんじのある臨眗りんくへとたどりついた。


 観山寺は臨眗の町に入る手前の、小高い山の中腹にあった。いかにも古刹こさつらしく松柏しょうはくの巨木に囲まれた、荘厳そうごんたたずまいの寺である。


 寺は二百段ほどの石段を登った先に建っていた。もう秋だがかなり暑い日で、昼過ぎの強い日差しが、木々の間に差し込み、階段を登るふたりを時折照らしている。


汗まみれになりながら山門さんもんにたどりついた。燕青に促され、四娘が門番の黄衣の僧侶に羅真人からの紹介状を渡すと、僧侶はうやうやしく常廉和尚じょうれんおしょうの元へとふたりをいざなった。


 山門をくぐると、大きな庭が広がり、その奥の中央には本堂、左に金堂こんどう、右に五重塔が建っていた。本堂の裏手にはさらに宿坊しゅくぼう食堂じきどう経堂きょうどうなどがある。


 常廉和尚は本堂で読経どきょう中で、程なく終わるとのことなので、二人は本堂の階段に腰掛けて待つことにした。2頭の馬は、案内の僧侶に引かれて宿坊の方へと消えていった。


 観山寺は、嵩山少林寺すうざんしょうりんじの流れを汲む禅宗の寺である。少林拳の様々な「こう」で鍛えた僧侶たちが読む「観音経」は、本堂を揺るがし階段に腰掛けたふたりの尻をビリビリと震わせる。これだけでも僧侶たちの「内功ないこう」の度合いが知れるというものである。


 やがて読経が終わり、十数名の僧侶が本堂から出てきた後、紅錦こうきん袈裟けさを掛けた、ひときわ大きな体格の男が現れた。


歳の頃なら四十代半ばぐらいか。てらてらと光る頭の下には、太く濃い眉毛と、ぎょろりと大きな、だがどことなくいたずら小僧のような愛嬌のある目。鼻も口も大きく、がっしりとした顎がそれを支えている。


盛り上がった筋肉に埋もれた、これまた太い首は、どこまでが肩なのか首なのかわからないほどだ。燕青より頭ふたつは大きい、堂々たる豪傑であった。


「これはこれは、祝四娘どのに燕青どのでござるか。遠路はるばるお越し頂きかたじけない。私が当寺を預かる常廉でござる。ささ、まずはこちらにお入りください」


 鐘楼しょうろうの大鐘をついたような、それでいて全く不愉快さを感じさせない大声で、常廉和尚は本堂の中を示し、にっかと笑った。


笑うといかつい顔がまるで子供のようで、それを見た四娘はいっぺんでこの和尚が好きになった。

 燕青は燕青で、その声の圧力に、ただならぬ内功の強さを感じ取っていた。


 本堂の隅の円卓に3人が座ったところに典座てんぞ(配膳係)が茶を運んできた。四娘はさっそく寺に出る妖物ばけものについて聞きたがったが、急がなくても怪異の起きる場所にさえ近づかなければ大丈夫だという。


常廉和尚は聞き上手で、四娘は機嫌よくこれまでの苦労や出来事を、講釈師もかくや、とばかりの口調で語ったものだから、常廉和尚は面白くて仕方がない様子である。


特に王扇大夫おうせんだゆうを二仙山にかくまったくだりでは、膝を叩いて大笑いしたものだ。

「がっはっはぁ愉快愉快! それは良いことをしたなお嬢ちゃん」


 頭をごしごし撫でられて、四娘は照れながらまんざらでもない顔つきである。そして話が飲馬川いんばせん周侗しゅうとうのことに移ったとき、


「何っ! 周侗とおっしゃるかそのご老人? 」

 常廉和尚の目がくわっと見開かれた。


「周侗どのをご存じでしたか? 」

「いや、直接は知らぬ。わしが先代の住職に言われて、嵩山少林寺に修行に出たのがはたち過ぎじゃったが、その時にはもうすでに山を降りられていた。だが凄い使い手だと話には聞いていた。ぜひお会いして、一手ご教授願いたいと思っていたのだ。そうか、飲馬川にいらっしゃるのか」


 感慨深げに腕組みをして考え込む常廉。四娘は、飲馬川の龍脈は覚えたから、この仕事が終わったら「縮地法しゅくちほう」で一緒に行ってみよう、と提案した。


「ほお、それはありがたい。四娘どのはその若さで縮地法が使えるのか、大したものだな。わしは拳法ばかりで、そういう術にはさっぱりうといいものでな」


小融しょうゆうでいいですよ。でもそのためにはまず、ここのお祓いを済ませなければ」

「おっと、そうじゃったな」


 やっと話が、寺に出るあやかしの話題に移った。常廉の説明によると、ことの起こりは2ヶ月ほど前。寺の学僧だった常栄じょうえいという者が、経堂の中で干からびた状態で死んでいたのが発見されたのだ。常栄は亡くなる数週間前から様子がおかしくなったという。


 非常に真面目な僧侶で、拳法には全く興味を示さず、もっぱら様々な経典を読みあさっていたのだが、亡くなる数週間前から、日中だけでなく毎晩夜明け近くまで経堂に籠もるようになった。


 そのうちだんだんとせ細り目は落ちくぼみ、見るからに体調を崩している様子だったが、食事などはきちんと食べていたし、時間的に短いとはいえ、夜明け前には宿坊しゅくぼうに戻って泥のように眠っていたという。


「これだけならば、過労がたたって何かの拍子に心の臓が止まってしまった、とも考えられるのだが」

「他にも何か?」


 常廉は四娘を見て寸時すんじ困ったような顔をし、咳払いを一つしてから言いづらそうに

「じつはその常栄、発見された時に、あー……ゆ、床一面に広がるほど、おびただしい量の精を放った上に、これ以上ないほどの愉悦の表情を浮かべて死んでいたのだよ」 


(うーん……そりゃぁ言いづらいわなぁ)

 燕青はちらりと四娘の方を見ると、少し頬が強ばっているが、必死に平静を装っているのがわかった。

(……頑張ってるな、おい)


 一人前の道士になろうと懸命に努力していることが伝わってきて、つい微笑んでしまいそうになり、必死に真面目な顔を装う燕青である。

「そのあとどうなりました? 」


「その後しばらくは特に何もなかったのだがな。4日後別の弟子に、必要な経を取りに行かせたら、それきり出てこない。様子を見に行かせたら、半死半生で倒れていて、やはりその……おびただ」

「あああ、そのあたりはあまり詳しくおっしゃらなくても」


「今度はふたりの弟子に入らせて、経堂の外から様子を見ていたのだが、そやつらは入ってすぐにふらふら倒れたかと思うと、ふたりともいきなり衣を脱ぎだして、抱き合ったかと思うと……顔と顔を寄せ合い」

「ど、どうなったんですか! せせせ、接吻せっぷんとか? 詳しく 」

(そこには食いつくのかよ? )

 燕青は顔色にこそ出さないが心の中で大声でツッコミをいれていた。    


 常廉は常廉で、四娘が妙に興奮した面持ちで食い気味に尋ねてきたのを見、少々引きつった表情を浮かべつつも

「あ、ああもちろん、そんなことをさせてしまっては後々大変だから、外にいた弟子が大勢で飛び込んで引きずり出したのだが、ほんのとおも数えないほどなのに、出てきた者全員怪しげな雰囲気になってしまっていた」


「怪しげな?」

「ああ、みんなみだららな表情でな。顔を紅潮させるわ、息づかいは荒いわ、目をうるませて股間を押さえてるわ、我が弟子ながらもう見ておられなんだ。一度全員経堂から引き離し、池に放り込んでやっと目が覚めたというていたらく」


「それはまたずいぶんと妙なことに」

「遂にはわしも入ってみたのだが、みっともないことにわしもその……入ってすぐ妙な気分になったらしく衣を脱ぎ始めたところで、弟子たちに引きずり出され、水をぶっかけられて正気をとりもどしたというお粗末じゃ」


「失礼ながら、近くの道士に来てもらったりは?」

「うむ、こういったことは正直お手上げだったので、恥ずかしながら来てもらったのだが、その道士も経堂に入ったとたんおかしくなって、いきなり服を脱ぎだして、その……一物いちもつを握りしめ、怪しげな行為に及び始めたので、わしがあわてて飛び込んで引きずり出したのよ。」


「そうですか、道士でも駄目でしたか」

「最近はお堂の中だけでなく、経堂に近づくだけでも妙な気分になるようになってきての。大事な経文を取り出すことも出来ずに困っていたのだ。それで以前から懇意にしていただいている羅真人様に助けてもらおうとお願いした次第じゃ」

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