第六章 飲馬川山塞(五)
そもそもこの周老人、20年前に土地の役人といさかいを起こしてしまい、その責任を取って少林寺を抜けた。
その内容というのも、少林寺の門前町の小さな居酒屋に、酔っ払った宋軍の兵士が数名押しかけ、老主人の対応が気に入らないと店を壊すわ、老人に暴行を加えるわ、というところに通りかかった
後日、少林寺を
その旅の途中、
ところがこの若者、遼やら金やらがたびたび宋国に侵入し、領土を侵していることに我慢ならなくなって、故郷を出て宋国のために戦う、と言い出したのだ。
「自分の国を守りたい、というのは当たり前の気持ちじゃが、あやつはあまりにもその気持ちが純粋すぎた。漢人ならば誠心誠意、忠義を尽くして宋国に報いるべきだ、そう信じて疑わなかった。たとえ自分の命を捨ててでも、とな。それを聞いたときのわしの気持ち、おぬしならわかるじゃろ」
「ふぅ、そうですね。誰だって自分の国が
「わしもそう言ったのだ。お前の国を愛する気持ちは当然だし貴いが、国は必ずしもお前を愛してはくれんぞ、行っても裏切られて、お前が辛い思いをするだけじゃと。すると」
「すると? 」
「あやつはだまって衣を脱ぎ、わしに背中を見せよった。黒々と『
「……梁山泊とは正反対の覚悟ですね」
「今までありがとうございます、御達者で、と言って出て行ったきり、いちども会っておらん。何やら
梁山泊の
本来、国とは忠義を尽くしたくなる存在であってほしい。だが燕青が見聞きし体験してきた国の上層部、役人、官軍の腐敗し堕落した実情を知れば知るほど、到底そんな気持ちにはなれないのである。
とはいえ、話を聞けば頑固だが一本気な青年。そして仁義の心、
「周先輩、そのお弟子さんのお名前は?」
「姓は
「はい、ぜひ会ってみたいものです」
「
やがて日が昇り、目を覚ました祝四娘が寝ぼけ眼を擦りながら身支度をし、見慣れぬ館の回廊を歩いてくると、何やら激しく肉と肉がぶつかり合う音が聞こえてきた。
「え! ちょ待って! 」
いっぺんに目が覚めた四娘は慌てて走り出した。昨夜焚き火をしていた前庭に出てみると、燕青と周侗老人が激しく打ち合いをしている。慌てて加勢をしようと、懐に隠した飛刀を抜き出したところで、はたと気づいた。
ふたりともめまぐるしく打ち合いをしているのだが、楽しくてたまらないと言わんばかりに、口元に笑みを浮かべているのである。
(争っている……んじゃないようね)
飛刀を納め改めてよく見ていると、片方が攻め片方が受ける、次に全く同じ技で逆側が攻め、同じ技で受ける。これを交互に凄まじい速さで打ち合っているのだ。
中国拳法では決まった型の打ち合いを「
ひとつ間違えば急所に決まりそうに見えるのだが、全てぎりぎりの呼吸で当たらず、逆に相手の急所への反撃が来る。それをひたすら繰り返す様は、舞踊にも似た美しさがあった。
やがてふたりは距離を取って向かい合い、両足をそろえて直立し、腕を真っ直ぐ下ろした後、互いに
「周先輩、久しぶりに良い稽古をつけていただきありがとうございます」
「なに、わしのような老いぼれには付いていくのがやっとじゃ。もうわしでは敵わん、
上蓋を開けてみると、中蓋の上で具の入っていない饅頭が蒸されていた。下の器では、昨日の猪肉を一口大の賽の目に切ったものを、
猪肉の
続いて同じく角煮と野菜を挟み込んだ饅頭をふたち作り、ひとつを周老人に渡して、自分も一緒にかぶりついた。朝食としては少々脂っこいが、食べたら出発する予定なのである。この不思議な老人とのお別れの、ちょっとした
三者とも朝から和やかに食事をし、茶の葉を煮出して啜ったころには、もう日は高く登っていた。名残惜しいが出発の時である。
「それでは周先輩、これでお暇します。ご教授ありがとうございました」
「お爺ちゃん、また会おうね。それまで元気でね」
「応、道中気をつけてな」
門扉の内側から、立ち去るふたりに手を振り、姿が見えなくなってから周老人はふぅとため息をつき、自分の両腕を見た。
燕青の突きや蹴りを受け流したはずの前腕部が、あちこち青黒く腫れ上がってきたのである。
(わしが衰えたのか、あの男が凄いのか。なんにせよおもしろい奴じゃったの)
周老人の脳裏に、
(それにしても、ちょっと教えただけで「あれ」が使えるようになるとは。もし岳飛と戦わば、どうなることやら)
老人は
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