第六章 飲馬川山塞(三)

 四娘と馬を連れて戻ってくると、周は肉をすっかり平らげたらしく、筵の上に寝そべり、頬杖ほおづえをついてへその辺りを掻いていた。


「周先輩、これはわたしの妹で小融といいます。お見知りおきを」

 四娘がぺこりと頭をさげながら小声で


(ねぇ、なんかちょっと臭いんだけど)

 とぼやいた。聞こえるはずもない距離と声の大きさだったのだが、いきなり周化子しゅうかしが笑い始めた。


「そうかそうか、くさいか。たしかにひと月くらい体を洗ってないからなぁ、すまんすまん」


 驚いて四娘「あ、ごめんなさい、失礼なこと言っちゃって」

「いいさ、くさいのは確かだし、悪気があって言ったんでもなかろう」

 見た目の怪しさとは違い、意外と気さくな老人である。


 燕青は、老人の前の焚き火を使わせてもらい、夕食の支度に取りかかった。


 馬につけてあった振り分け袋をおろし、中から「金銭豹子きんせんびょうし湯隆とうりゅう特製の鉄器を取り出した。井戸の水を汲み、器に入れた米を研ぎ、焚き火の前に戻ってきて暫く水を吸わせる。


 底の深めの器には、中蓋と上蓋がついている。中蓋には小さな隙間が開けてあり、下で米を炊く蒸気がそのまま上がってきて、米炊きと同時に蒸し料理ができるよう工夫されていた。


 燕青は米と一緒に買ってきた、蓮の葉にくるまれた鶏肉をぶつ切りにしてから中蓋にのせ、豆鼓とうち(黒豆で作った調味料)を潰して軽く水で溶いたものを上からかけまわし、そのまま上蓋を閉めて火にかけた。


 周老人は筵の上に寝そべったまま、興味深げにその様子を見ている。さらに燕青は、四娘に命じてねぎを細かく刻ませ、さらに布で挟んで水抜きをしてあった豆腐を、小指ほどの薄さで、数枚に分けて切らせておいた。


 やがて鉄の器からしゅうしゅうと湯気が吹き出て、上蓋が持ち上がってきたので、その上に手頃な石を乗せてやや暫く。木の枝で器を触り、振動が無くなったのを確認して火から遠ざけた。一度中蓋だけ取り出し、また上蓋をかぶせ、米を蒸らしておく。


 中蓋の上の鶏肉は、蒸されてしっかり中まで熱が通っていて、そこに豆鼓の薄茶色のたれがかかった部分に照りが出、美味そうに湯気を立てている。


 燕青は木の枝を拾い上げて小刀で細く削り、鶏肉を数片突き刺してから周化子に差し出した。さらに、

「こちらも一緒に、よろしければいかがですか? 」


 鶏肉とともに、瓢箪ひょうたんに入れてあった焼酎を、薄金うすがねの器に注ぎ差し出すと、ぷうんと漂う酒精アルコールの匂いに周老人は相好そうごうを崩した。


「おっとこいつはありがたやもったいなや。盲亀もうき浮木ふぼく優曇華うどんげの花、この先いつ会えるやらの甘露かんろときたかよ。遠慮なしにいただこう」

 

鶏肉にかぶりつき焼酎をひと口、あふれる肉汁で汚れた口の周りを舐め回し、かじっては飲み飲んでは頬張り、幸せそうな顔であっという間に鶏肉と焼酎を平らげた。


 これほど美味そうに食べてくれれば、出した方もうれしいものだ。さらに焼酎を注ぎ、残った鶏肉を半分、中蓋にのせたままで勧めた。


 最初のうちこそ「それは済まない」と手を振っていた周老人だったが、燕青がして勧めるのにほだされ、何度も礼を言いながら今度はゆっくりと味わいつつ、ちびりちびりと焼酎を楽しんでいる。

 

 その間に燕青は、上蓋を外した上から布を掛けて米を蒸らしておく。

 外した上蓋は裏返して火にかけ、熱が通ったところで油を垂らし、水を切って薄切りにした豆腐を並べて焼く。


 片面に焼き目がついたらひっくり返し、荷物の小袋から磁器の小瓶を取り出した。焼き上がった豆腐の薄切りに、小瓶からジャン(中華調味料)を振りかけ、刻んだ葱をたっぷりと乗せる。


 豆腐醤焼とうふステーキや鶏肉照り焼きの残りをおかずに、燕青と四娘は炊き上がった米を平らげた。もうすでに日は沈み、雲一つない空に満天の星。おまけに満月である。


 月明かりの下で、焚き火を囲みながらのゆったりとした時間が過ぎてゆく。四娘は野宿はすでにこれで5度めなのだが、第三者がいるのは初めてである。ちびちびと愛おしげに焼酎を飲んでいる周老人に、子供らしい屈託くったくのなさと好奇心で話しかけた。


「ねぇお爺ちゃん、お爺ちゃんはずっとここでひとりで暮らしているの? 」

「そうさのお、ここにはもうふた月ばかり居るかな。最初わしが来たときには、何人か山賊みたいのがいたんだが、ちょいとどいてもらってからは、ずっとひとりじゃな」


「へぇ、お爺ちゃん強いんだ?」

「違う違う、やつらが弱かっただけじゃよ」

「その前は?」

「わはは、忘れてしまったが、とにかく飽きたら別の所へ行くだけじゃよ、暑ければ北へ、寒ければ南へ行くだけ。化子こじきってのは気楽なもんじゃぞ、嬢ちゃんも一緒にどうかね?」

「嫌だよそんなの。わたしまだ夢も希望もあるし」


 他愛たあいのない会話が続く。燕青も酔って動きに支障が出ない程度に、焼酎をちびちび飲みながら老人と少女の会話を聞いている。


「嬢ちゃんは何をやりたいのかね? 見たところお前さんたちは商人かな? 」

「あたしね、こんな格好しているけど、本当は道士なんだよ」


 言ってから(しまった! )という顔をしてぱっと燕青を見る四娘。燕青も一瞬焦ったが、この化子こじきしゅうという老人の、憎めない雰囲気の前では警戒心を緩めてしまうのはわかる。


 迂闊うかつだったことには本人も気づいているようだから、叱責しっせきするほどのこともない。あとでたしなめるくらいでよいだろう。燕青は軽くうなづいた。


「へぇ、すごいなお嬢ちゃん。こんな小さいのに道士なんだ」

「小さくないわよ! これでも13歳なんだからね、失礼しちゃう! 」

「おやそれはすまんすまん、老い先短いジジイに免じて勘弁しておくれ」

「謝ったって遅いよぉだ! べぇ! 」と舌を出す。


 まるで祖父と孫のやりとりである。羅真人といい、ずいぶん祝四娘は老人と相性がいいらしい。この様子なら、それほどこの周老人を警戒しなくてもよさそうだ。

 とはいえ……

(山賊数名を追い払った、というのが気になるが)


 酔って気分が良くなったものか、周老人がいきなり立ち上がって天を仰ぎ、

「ははは久しぶりに愉快な気分じゃ、幸い今宵こよいは雲ひとつない満月、おぬしらちょっとつきあえ、いいものを見せてやろう。おっと、まだ残っていれば、焼酎も持って来てくれい」

 

 周老人は少々酔ったらしい足取りで門扉もんぴの方へと歩き出した。

 燕青は慌てて瓢箪を拾いあげ、器を持って老人のあとを追う。さらにそのあとを四娘が小走りで追う。


 門扉から出て、すっかり木々の間に隠れている小道を歩き出した。ふたりはとんでいる藪蚊やぶかを手で払っているが、周老人は気にも留めない様子でずんずん歩いていく。いくら月明かりがあるとはいえ、暗がりの中、細い道を迷うこともなく歩いていく様子は、よほど目が良いのかあるいは歩きなれているのか。

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