第五章 康永金夢楼(四)
「なんだよ、なにが分かったんだよ? 」
「まぁまぁ、まずはさっきの案を試してみたいんだけど、大夫、どうでしょう? 」
「ええ、もういろいろと試してみて、
頭を下げられた燕青、赤くなるほど
「なによ、鼻の下こーんなにのばしちゃってさ、腹立つわぁ! 」
と脇腹に
「では、夕食をいただいて、夜が更けるまでお話などさせていただきましょうか」
少しは気が楽になったのか、王扇大夫は本来の艶然たる表情で二人に微笑みかけてきた。
やがて
大夫が気を使って、すべての料理を先に少しずつ毒見をしてくれたこともあり、久しぶりにゆったりとした気分で食事ができた。
食事のあいだも、大夫がふたりに絶えず話題を振り、楽しそうに話を聞き、うまく相槌をうち、思わず答えたくなるような質問をしてくれるので、いささかも話が停滞せず、それでいて誰も取り残されることのない、名人芸と言っていい会話の転がし方の中で、すっかり白い影のことも、時の経つことも忘れてしまっていた。
ただし、大夫も燕青も、当然四娘も酒は一切飲まなかった。もちろん深夜に備えての心構えだ。
とはいえ、大夫が煮てくれた
夕食が済み、食器が下げられ一息ついたとき、燕青が何気なく
その脇の棚に、ひと張の
「あの
太夫ははっと目を見開き、
「はい、もとは
当時を思い出したのか、寂しげな目で箏を見つめる太夫の様子に、燕青は自責の念にかられた。
「太夫、余計なことを思い出させてしまい申し訳ありません」
頭を下げると、太夫は慌てて、
「いえ、かえってお気を使わせてしまい、こちらこそ恐縮です。でも、あの箏も弾き手がいなくなってしまって、可哀想なことをしました」
と目を伏せた。
それを聞いた燕青は意を決したように背筋を伸ばし、
「なんであれ楽器は弾いてやらないとすぐに
と問うた。
それを聞いた太夫、椅子から立ち上がり深々と頭を下げる。
「わたしも弾いてやろうと思いましたが、どうしても手に取ることができませんでした。あの娘の
頷いた燕青、棚から箏を丁寧に卓の上に運び、弦の張りを確かめ、一礼してから弾き始めた。
すでに夜もとっぷりと
押し手、後押し、押し離し、突き色。
亡くなった李承にとどけとばかりの、燕青の渾身の演奏を聞き、四娘は鳥肌が立った。
太夫は
そして元の椅子に戻り、燕青の演奏に合わせて、自分も笛の音を乗せ始めたのである。
(最後に箏を弾いたのは2年前だったか、3年前だったか。確か
奏でながら燕青は昔を思い出していた。自然と、別れの哀しさ辛さの気持ちが音色に乗る。感じ取った王扇太夫も、自分を慕ってくれた李承の生前を思い出し、覚えず涙がにじみでてくる。
2回、3回と曲が繰り返され、やがて消え入るように箏と笛の音が止んだ。
燕青の箏も太夫の笛も名人の域である。そのふたりが、対象は違えど別れの哀しみを思い切り音色に乗せたのだ。
聴いていた四娘はすでに
(ったく泣かせないでよね。色男で腕っ節がめっぽう強くてそのうえ
聞き終えて四娘は涙を拭き、軽く燕青を
「久しぶりに思い切り吹かせていただきました。李承もきっと満足してくれたことでしょう。小乙さま、ありがとうございます」
「いえいえ、とんだお耳汚しでお恥ずかしい。太夫の笛のおかげで気持ちよく弾かせていただきました」
棚に箏と笛を戻しながら、にっこりと笑い合う
大人同士の視線が
(そりゃ確かに太夫は美人だし優しいしさ。出るとこは出て引っ込むとこは引っ込んでてすごく素敵よね。そもそも
すっかりおかんむりである。こめかみに青筋を立てながら
「はいはい、そろそろ夜も更けてきたことですし、
(良く聞いてよスケベ
(どういうことだ?)
(まだ確信は持てないけど、太夫がぐっすり眠ったらきっと白い服の鬼が現れるはず。で、きっと青兄の方を向くはず。でも恐らく知ってる人の顔だと思うんだ。だから驚いて逃げたりしないでよ)
(誰だそれは?)
(確信はないっていったでしょ。とにかく出たらあとはわたしがなんとかするから。まずは太夫が深く眠れるように工夫してみて)
(わかった、やってみよう)
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