第五章 康永金夢楼(三)

「最初に妖物ばけものが出た時のお客が、あの唐回とうかいってひどい奴だと聞きましたが、そのときなにか変わったことはありませんでしたか? 」


「ひどい奴って、あの、唐回様がまた何か? 」 


 四娘しじょうは、まさか「傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いを見て腹が立ったから、取りいている亡者もうじゃを可視化させてやった」と言うわけにはいかないのでそこは除き、先刻路上で見た果物売りとその孫娘への振る舞いのこと、が姿を現したのに驚いて逃げ帰ったことだけを説明した。


「唐回様はまたそんなご無体むたいなことを」

 聞いた太夫は、袖で口元を覆い、眉をしかめた。


「また? 街の人が、若い娘を攫って手籠てごめにしてるとか言ってましたが、ここでも何かひどいことを? 」

「はい。実は白い影が出た前の週にもお見えになったのですが、その際、わたくしづきの禿かむろ李承りしょうという娘が、粗相そそうをいたしまして」

「そそう? 」

「いえ、運んできたお茶をこぼして、唐回様のお召し物を濡らしてしまったのです」


「なんだそれだけ? そんなことならあたしも、何回か師父のお茶をこぼして頭からぶっかけたりして叱られたし」

(何回か? お前はもう少し落ち着けよ)燕青は心の中で呆れている。 


「はい、失礼ではあったのですが、李承はもちろん、わたくしや店の者も一緒に、平謝りにお詫び申し上げました。でも唐回様は何と申し上げても納得していただけず」

「どうなったのですか? 」

「唐回様が……李承りしょうを」

「ま、まさか、手籠てごめに? 」

「はい、どうせそのうち娼妓しょうぎになるんだろ、と無理やり別室に連れ込んで手籠めにしたあと……命まで奪ったのです」


「えぇ! 普通そんなことになったら、お店の若いが助けてくれるんじゃないの? 」

「はい、ですが金夢楼うち楼主ろうしゅが、お金に目がくらんだのでしょう、見て見ぬふりをしろと若い衆に言いつけて。妾も助けようとしたのですけど、この部屋に閉じ込められて」

「最低な奴らね、唐回も、ここのこうって主人も! 」

 四娘が、文字通り唾棄だきすべきもののように吐き捨てた。


「本来なら出入り禁止にするべきところなんですけれど、なにせ楼主は払うものさえ払ってくれれば、という方なので有耶無耶うやむやにされてしまったのです」

 大夫は恥ずかしげに顔を伏せた。


「小融、ひょっとしてその李承という娘の怨霊おんりょうが出てきた、ということはないか?」

「うーん、十分あり得るわね。でもその腐れ薬屋に恨みがあるのに、他の人にも出てくるというのがちょっと分からない。もちろん亡者もうじゃが理屈通りに動くとは限らないし、恨みを抱いて亡くなったからって、みんなになるわけじゃないからね。それに大夫にもこの部屋にも、それらしいれいは憑いてるように見えないし」


 それを聞いた大夫は驚き、「え、が見えるのですか? 」と聞いてきた。

 四娘は左目にかかった髪の毛を掻きあげて浄眼じょうがんを見せ、

「わたし見鬼けんきなんです。こっちの眼で鬼や魔物が見えちゃうんですよ」

とお道化どけてみせた。


 ふたりはさらに、大夫に李承という亡くなった禿の人相風体にんそうふうていの特徴を確認したが、先ほど顕現けんげんさせた、唐回に取り憑いたれいの中には李承らしき亡者はいなかった。李承が鬼になっているとしたら、一体どこにいるのか?


「李承さんはどんな方でした? 」

「妾の付き人になって3年くらいになります。とても妾になついていましたし、細々と気がついて、妾の体調なんかも気遣ってくれる優しい働き者でした。妾もそうですが、貧しい農家の娘で、口減らしに売られてきたのです。そして将来、妾のような大夫になって実家の両親に仕送りして楽をさせてやるんだ、と意気込んでいたのです。もう不憫ふびんで愛おしくて、妾も妹のようにかわいがってきました。それがあんなことになってしまい……まだ13歳だったのに」

大夫の目に大粒の涙が光っていた。


(ええ? 私と同い年なの! くそっ、ますます許せないわ! )四娘の目が吊り上がった。

「お辛いでしょうがもう少し。李承さんのお亡くなりになった様子を教えてください」

 大夫は開きかけた唇を一旦閉じ、しばらくの間固く噛み締めてから、絞り出すようにわずか答えた。


「首を……絞められたのです」

「えっ! 」


「妾が見た李承の最期は、それはひどいものでした。着ている服は乱暴に破かれ、顔は殴られてれあがり、無理矢理ことに及ばれたらしく股間こかんは血だらけで、そして首筋に指の跡がくっきりと残っていて、青黒い顔で舌を出したまま死んでいたのです」


 話し終えて耐え切れなくなったのだろう。大夫は両手で顔を覆い、声をころしながら泣き始めたのである。


「くそっ、外道め! 」

 聞いて燕青も、静かに深く怒りをこらえていた。

 四娘はもらい泣きしながら、大夫の隣に座り、優しく背中をさすっている。


「かわいそうに、県令けいさつに知らせることもなく、李承は秘密のうちに葬られてしまいました」


「ねぇ乙兄ぃ、なんで男ってそんなひどいことをするの? 」

 怒りの矛先を向けられ、少々ひるんだ燕青は

「男ってだけでくくるなよ。そういう性癖がある奴ぁ聞いたことがあるが、死ぬまで絞める奴は明らかに異常者だ。一緒にしないでくれ」

 と答えてから、大夫に

「そんなことがあった後でも、唐回の野郎は次の週に平気な顔でやってきたんですね。どれだけ厚顔無恥こうがんむちなんだ」と問うた。


「妾は唐回様を見るだけでも、李承のあのむごい様子が浮かんできて、とても辛いのでお相手をしたくないと洪楼主にお願いしたのですが、よほど大金を積まれたのでしょう。『心の内で何と思おうが、顔では笑ってみせるのが娼妓だ、お前も御職おしょくなら割り切って働け』と厳しく言われ……それで止む無くお相手をした夜に、白い影が出たのです」

「それはお辛かったですね。まったくひどい話だ」


 神妙な顔で相槌を打ってから、燕青は四娘に話を振った。

「どうだ、何かわかりそうか? 」

「うーん、今のところ李承さんのれい、というのが一番ありそうだけど、この部屋には居ないし、実際にその白い影を見てみないと何とも言えないなぁ。あともうひとつ、ひょっとしたら? ということを思いついたんだけど、どっちにしても実物を見ないと何とも」


「見るったって、大夫と客以外に誰かが近くに居たら出てこないんだろ? お前がいても出てくるかな? 」

「それは何とかなると思う。隠形術おんぎょうじゅつが効くと思うから」

「おんぎょうじゅつ?」

「うん、陽の気を極力抑えて、陰の気を強めると、陰の気の塊である妖物あやかしからはかなり見えづらくなるんだよ。人の眼には普通に見えているけど」


「それで姿を見えづらくして、どうするんだ? 」

「んー、言いづらいんだけど、せいに……乙兄いつにぃがお客の振りをして大夫と過ごしてもらったらどうかな? 」


「えぇっ! おれをおとりに使うってことか?」

「まぁぶっちゃけた話そういうこと。乙兄ぃならいまさら妖物ばけものに驚かないだろうし、危なくなってもあたしがいるし」

「んん、いいのかなそんなことして」


 四娘が向きなおって

「大夫、今までお店の人と、そういうことを試されたことはありますか? 」

「はい、実は二度ほど、若い衆に横に寝てもらったのですが、あ、寝たといっても、ことに及んだわけではありませんよ。店の者とそうなることはご法度はっとですし……まぁそもそも、禿かむろに手を出す方がよっぽどご法度なのですが」


「で、どうでした? 」

「若い衆は緊張のために、妾も何かされないかと気になってしまい、ふたりとも一睡もできずに夜が明けてしまいまして、結局二度とも白い影はでませんでした」


「今までの話からすると、恐らく大夫がお眠りにならないと出てこないんだと思います。そして大夫がお目覚めになると消えてしまうということですよね? 」

「あ! 言われてみれば確かにそうです」


 大夫が驚いたのと同時に

「何となくわかった気がします」

 と四娘がつぶやいた。

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