第五章 康永金夢楼(一)

「金夢楼」編のイメージイラスト

https://kakuyomu.jp/users/tenseiro60/news/16818093072921894011


 それを見届けてから燕青えんせいは、改めて四娘しじょうの顔をまじまじと見つめた。ふたりは元座っていた店の隅の席に戻り、小声で話しはじめた。


「おい、ちょっと教えてくれ、いったい何をしたんだお前?」

 前髪を下ろして左目を隠した四娘は、ばつの悪そうな顔つきでもじもじしながら答えた。

「あの鬼を、誰にでも見えるようにさせたんだよ」


「へぇ、そいつは道士としてはまずいのかい? 」

「当たり前じゃない。道士はや魔物をはらうのが仕事なんだから。それを嫌がらせで使うなんてもってのほかじゃない。師父しふに知れたらきっと叱られると思うんだよね、だからお願い、内緒にして」

 困ったような顔で両手を合わせる四娘を見て、燕青は微笑した。


「全然まずくないと思うんだがな」

「え? 」


「おれが思うに、道士の仕事ってのは鬼や魔物を祓うことじゃなくて、仙術を使って困っている人たちを助けること、なんじゃないか? 」

「そう……だけど? 」


「だから四娘は、難癖なんくせを付けられて困っていたあの老人とお孫さんを助けてやった。それは立派な道士としての仕事だと思うぞ。真人しんじん様もきっとよくやった、と言ってくれるんじゃないか? まぁ、黙ってるけどさ」

「だ、だよね、だよね! あたしは人助けをしたんだよね」


「うん、だからそんなに怖がらなくてもいいんじゃ」

「だ、だれが怖がってるていうのよ! 最初から計算通りなんだからね、ふんだ! 」

 赤面しながらそっぽを向いた。


「ところで、あの亡者たちはいつまであんな感じで見えてるんだ? 」

「あれはそれぞれの相手に、恨みを持ったまま死んでいったなんだよね。以前から取りついていたんだけど、生きてる人間の陽の気は、圧倒的に鬼の陰の気より強いから、取りつかれてることに気づかないんだよ」


「なるほど、取りつかれていても、気づいていなければそれほど影響は出ないのか」

「いや、やっぱり影響はあるよ。少なくともずっといんの気が身近にあれば、何となく気持ちがイライラしたり、体の調子が悪くなったりするんだよ」

「そしてイライラするからまた悪さをすると。分かりやすい悪循環だな」


「でも、ああやってこの先見える状態が続いたら、きっと誰からも相手にされなくなると思うんだ」

「そうか、今日らしめただけじゃなく、この先ずっと奴らは肩身の狭い思いして生きていくわけだ」


「多分夜も眠れないでしょうね。そのうち衰弱して死んじゃうかも」

「自業自得といえばそれまでだがな。そしてどうなる? 」


「あいつらに取りついていた鬼の恨みが晴れれば、自然と消えていくと思う」

「ふーん、うまくやったじゃないか。小融しょうゆうはすごいな」

「えへへ、当ったり前じゃない、何をいまさら」

 四娘が鼻高々に胸を張る。


「……ところで、おれにもれいっていくつか取りついているのか? 」

「んー、知りたい? うふふっ」

 なにやら背後を見つめ指を折りだしたので慌てて

「いや、やっぱりやめとくわ」

 

そのとき、

「おふたかた、ちょっとよろしいですかな? 」

 と、後ろから声をかけてきた者がいた。


 燕青が振り返ると、四十代後半くらいの、長者ちょうじゃ風の男が立っていた。ゆったりとした光沢のある黒地の布に、金糸きんし華文けもんぬいのある袍衣うわぎを着込んでいる。


 派手ではないが、隅々まで手の込んだ仕立てであることがひとめでわかる。柔和にゅうわな顔つきだが、燕青はその笑みの奥に、油断ならぬものを感じ取っていた。

「あの、どちらさまですか? 」

「これは失礼。わたしはこの先の『金夢楼きんむろう』の主人で、洪泰元こうたいげんと申します」


「金夢楼?あ、さっき手婆てばあさんにどやされた。で、そのご主人が何か」

「いえ、実はそちらの道士様にお願いがありまして」

「え、あたし? お願いってなあに」


「はい、ここでお話するのは少々はばかられることですので、よろしければ店の方でお話させていただければ」

「ねぇ、何だか知らないけど、困ってるならあたし相談にのってあげようと思うんだけど」

「とはいえ、お前を色街いろまちに連れて行くってのも、なぁ? 」

「それも江湖こうこの勉強でしょ。別にあたし娼妓しょうぎになろうってわけじゃないし」


「ん、まぁそれもそうか、では洪どの、ご同行いたします」

「ありがたい、それではこちらへ。ああ、この店のお支払いはわたしが」


 洪泰元のあとについて「金夢楼」へと向かった。


 数軒あるくるわの中でも、もっとも大きな構えの店である。


 表の朱壁あかかべには、四季の造花をあしらい、花魁おいらん廓名くるわなが書かれた「煙月牌えんげつはい」がずらりと並んでいる。裏口から入っていくと、遠客用の大きな馬屋があり、飼い葉や水をもらった白兎はくとは、満足げに尻尾を振っている。


 まだ日暮れ前であり、店に来る客は少なく、ほとんど誰にも会わずに主人の部屋へと招き入れられた。四娘は興味津々で、目を輝かせながらあちらこちらと視線を泳がせっぱなしである。


 やがて娼妓見習いの禿かむろが、茶の道具を捧げて入ってき、煮出した茶を椀に注いで出ていった。燕青も四娘も、ほんの数滴分だけ口に含み、舌の上にのせしばらく転がし、少しずつ飲み込んだ。洪は怪訝けげんそうにふたりの様子を見ていたが、やがて口を開いた。


「さて、いきなりですが、道士様へのお願いと申しますのは、この店の一室に現れる妖物ばけものを祓っていただきたいのです」


 それを聞いて四娘は燕青の方を見た。それに対して燕青はうなづいたのみである。ここは一人前の道士としての、力の見せ所だからだ。ひとりで対処してこそ成長がある。望まれれば手助けはするが、見守るのみだと目で伝えたのである。それと察した四娘は洪に向き直った。


「詳しく話を聞かせてください」

「はい。ことの始まりは三ヶ月ほど前のことでございます。この店のいちばん奥に、うちの花魁おいらんである王扇太夫おうせんだゆうの部屋がありましてな。自慢ではありませんが、王扇太夫はこの色街全ての廓の中でも並ぶ者のない、一番人気の太夫だったのです。界隈かいわいの大旦那がこぞって、ああ、それこそ先ほどもめていた唐の若旦那をはじめとして、皆様ひっきりなしに足繁あししげく通ってくださっていたものです」


「商売繁盛、めでたい話ですが、だった、とは? 」

 四娘は歳のわりに如才じょさいなく相槌あいづちを打っている。


「ここからはあとでうかがった話です。三月みつきほど前、まさしく唐の若旦那こと唐回とうかい様と、王扇太夫がおもりになられている日、夜もとっぷりと更け、おふたりとも健やかにお休みになっていたのですが、唐回様何を感じたものか、ふと目が覚めると部屋の片隅に、なにやら訳のわからぬものがうずくまっていたらしいのです」

(え! あいつなの、そりゃ呪われるわ)「それは人の形をしたものですが? それとも獣のような? 」


「最初はうっすらぼんやりと、白い何か、としか見えなかったそうですが、やがてむくむくと立ち上がり、人の背丈ほどになるとともに姿がはっきりとしてきまして、どうやら白い服を着た女の後姿らしい、ということがわかりましてな」

「なるほど」


「驚いた唐回さまが、慌てて大夫を揺り起こしたのですが、一向に目を覚まさなかったそうで、必死になって揺さぶっているうち、その女が後姿のままふっと一瞬で消えまして。それと同時に大夫が目をさましたのです。唐回様は恐ろしさのあまり、明かりをありったけつけて、そのまままんじりともせずに、夜明けまで大夫に抱きついて震えていたそうです」


(ざまぁみやがれ、自業自得だ)「ええと、そのあと唐回さんはどうなりました?」

「それにすっかり懲りてしまわれたのでしょう。このみせにはおみえにならなくなってしまいました」

(生身の人間には平気でひどいことをするのに、鬼にはからっきし意気地がないんだね)


「へぇ、それは痛手ですね」

「はい、金夢楼にとってはお金払いのよい上顧客おとくいさまでいらしたのに、本当に残念です」

「しかし、怪しい姿が見えただけで、特に何かされたわけではないのですね? 」


「まぁ、その日だけのことなら、唐回様の見間違えかもしれないわけですし、私どもとしてはそれほどおおごととは思っていなかったのですが」

「ということは、他にも? 」

「はい、次の日から、王扇大夫の部屋に、お泊りのお客がいらっしゃる時には、毎度その白い女が現れるようになったのです」

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