第二章 二仙山紫虚観(三)

 一清に連れられて祝四娘しゅくしじょうが入ってきた。

(何を叱られるのか)という顔つきである。

「あのお、師父しふ、あたしまたなんかやらかしちゃいましたか? 」


「いやいや、叱ろうと言うのではない。おぬし今でも旅に出たいと思ってるかの? 」

「えっ? だって師父、旅に出るには『誰の助けも借りずに一人ではらいを完了する』のが条件だったけど、あたし燕青えんせいさんの助けを借りちゃいましたよ? 」


「うむ。確かにあの悪党どもには危ない目にあったが、祓いそのものはひとりで完遂したではないか」


「え、じゃぁ! 」


「さすがにひとり旅は無理じゃが、この燕青どのが鏢師ひょうしとして同行してくれることになった。行き先は青州せいしゅう観山寺かんざんじ。どうじゃ、行ってみるかの? 」


 聞いた四娘、満面の笑顔で飛び上がり、

「きゃー! ありがとう燕青さーん! うれしーい! やったーやったーやったーわー」

 部屋中を狂喜乱舞し跳ね回り、挙げ句の果ては燕青の首に抱きついたものである。


「これやめんか! はしたない! 」

 一清いっせいが叱りつける。興奮冷めやらぬ四娘、やっと腕をほどき燕青から離れて、改めて袖をそろえ、神妙な顔を作ってお辞儀する。


「燕青さま、わたしの願いを聞き入れていただき、ありがとうございます。ふつつかものですが末永くどうぞよろしく」


「おいおい、それじゃ嫁入りの言葉だぞ」

 と苦笑する一清。笑顔でそれを見ていた羅真人が言う。


「小融よ、もちろん明日出発する、というわけにはいかぬ。支度やら挨拶やらいろいろ済ませてからになるから、まぁ立つのは3日後かの。まだ燕青どのには話があるから、お前はいちど女院にょいんに戻りなさい。」


「はーい! 」

 明るい声で返事をし、浮き浮きした足取りで部屋を出ていった。


「さて、そろそろ夕食にしようか、ところで最後にひとつだけ聞きたいのじゃが」

「なんでしょう? 」


「どうじゃろう一清よ、燕青どのはこの男っぷりじゃ。さぞやモテたじゃろうな」


「はい、そりゃあもう。開封かいほう遊郭ゆうかくなんぞ歩こうものなら、煙管きせるの雨が降るようで」


「い、いえ、そんなことは全然」


「ふむ。だが、それが良いのじゃ」

「と、いいますと?」


 羅真人らしんじんはよりいっそうニコニコしながら

「妙齢の女性にもてるということは、逆に考えれば、のぉ? 」

「は、はい? 」


 瞬間、羅真人の「気」が急激に膨れ上がり、細い目をくわっと見開いて一喝。

「大人にもてるならば! 小融あやつのような! 子供つるぺたに! 手を出すことはないじゃろうからな! 」


 握った払子ほっす(繊維を束ねて柄をつけた道具)が、バチバチ音を立て、青白い雷光を放っている。


「ないないないありません! 」

 燕青慌てて両手を振って否定する。それを見て、真人は目を細め、払子の雷光も消えた。


「よろしい、じゃがもしそんなことになれば……分かるな? ん? 櫓櫂ろかいの及ぶ限り追うぞ? ん? 」


 えびす顔の威嚇いかくほど不気味なものはない。もちろん燕青にはそんなつもりは全くないのだが、すっかり肝を冷やしたものである。

(親馬鹿ってやつかね。まあ、それほど小融が心配で仕方ないんだと思えば、嫌な感じはしないが)と苦笑する。


 しばらく談笑してから羅真人の部屋から出てみると、すっかり夕暮れ時であった。一清道人に伴われ食事に向かう燕青であるが、また、どこからか言い争うような声が聞こえてきた。一清は気づいていないようだが、どうも女性同士の声のようだ。(小融? と誰かか)


「兄貴、あれは? 」

「む、誰だろう。女院の方だな」


 二仙山にせんざん道観どうかんは「紫虚観しきょかん」とよばれ、中央に「元始天尊てんしげんそん」、左右に「太上老君だじょうろうくん」「太上道君だじょうどうくん」の「三清さんせい」と、周囲にその他多くの道教の神々を祭った、荘厳な本殿がある。その「三清殿」を挟んで東側に男院、西側に女院の建物が向かい合って建っている。


 ふたりが女院に続く階段を上っていくと、建物の陰で向かい合う大小の影が見えた。

「チビ小融! あんたばっかり連れてってもらって! あたいだって祓いの力を試してみたいのに! ズルいズルいズルい! 」


「チビっていうなこのデカ玉林ぎょくりん! 同い年なのにデカいからって威張るんじゃないわよ! あんたが修行さぼってばっかりいるから悪いんじゃないの」

「うーっ! 」

「やんのかこのぉ! 」


 取っ組み合いが始まった。一清道人いっせいどうじんは、やれやれといった体で近づき、ふたりの襟首えりくびをつまみ上げ

「いい加減にせんかこの馬鹿者どもが! 顔を合わせればケンカばかりしよって!」


「だって師兄、玉林がいちゃもんつけてくるんですよ! 」

「何よ、あんたが戻ってくるなり、あたし旅に出られるんだとか調子に乗ってるからじゃないのよ! 」

「何よ! 」

「何さ! 」

「フンだ! 」

 吊されたまま膨れてそっぽをむく少女道士二人。


 デカ玉林と言われた少女も、せいぜい四娘より四寸ばかり大きいくらいの、まだ子供である。痩せっぽちの四娘よりは肉付きが良く、丸顔で少し垂れ目で愛嬌がある。


「いや燕青よ、お恥ずかしいところをみせてしまったな。この娘、秦玉林しんぎょくりんといって、小融とおなどしの道士見習いなのだが、いつもケンカばかりして困っているのだ。これ玉林、お客様にご挨拶せんか」


 降ろされて玉林、襟を整え袖をそろえて

「秦玉林と申します。大変失礼いたしました」

 殊勝に挨拶をし、顔を上げて燕青を見て、なにを感じたものかぽっと顔を赤らめる。ここまでは良かった。


 その玉林を見て四娘、

「あたしこの燕青さんと一緒に旅に出るんだよ、良~いでしょぉ~」

と、余計なあおりを入れたものだから、玉林また頭に血が上る。

「なんであんたばっかりいつもいつもいい目をみるのよぉ!チビガリのくせに! 」


 四娘にとびかかると、

「なんだとこのデカデブがぁ~! 」


 四娘も応戦する。もう見ていられない。慌てて一清が間に割って入り、

翡円ひえん! 翠円すいえん! おらんのか、こいつらを何とかせい!」

 と、引っ掻き合うふたりの少女の間で大声をはりあげた。


 すると、一清の声が届いたとみえ、女院の入り口からぱたぱたとふたつの影が走り寄ってきた。少女ふたりの幼いケンカを、笑いを堪えながら見ていた燕青であったが、夕日を背景に走り寄る二人を見て「ほぉ! 」と小さく声が漏れた。


翡円、翠円と呼ばれたふたりの女性は、年の頃は燕青と同じか少し若いくらい、瓜実顔うりざねがおで、物憂い雰囲気の、切れ長の目をした、そして全く同じ顔をした美人である。ゆったりとした道服の上からも、肉感的な肢体が見て取れる。「ひなにもまれ」な、まさに「翡翠ひすい」のごとき魅惑的な双子姉妹だった。


「申し訳ございません一清師兄、あとできつく叱っておきますので」

 と片方が頭を下げ、もう一方はふたりの少女道士を一清からひきとり、

「ふたりとも夕飯は抜きです! 寝るまでに『易経えききょう』の音読二十回よ! 」

 ぴしゃりと言いつける。言われたふたりの少女は同時に「はーぃ」と尻上がりの返事をし、がっくりと肩を落とし、すごすごと女院の入口に消えた。


 姉弟子ふたりはそれを見送ってから、燕青の方に向き直った。

「燕青よ、この二人は女院の院長だ。右が翡円、左が翠円と申す。」

 ふたりの見分けはまったくつかないが、よく観ると翡円は右の目尻に、翠円は左の口元に、それぞれ黒子ほくろがある。


「翡円よ、翠円よ、こちらは羅真人様のお客で、梁山泊でわしの仲間だった男だ。名を燕青という。」


 燕青は言葉を引き取ってふたりに拱手し、

「燕青と申します。このたび縁あってこちらでご厄介になります。以後お見知りおきを」

 にこりと笑いかける。翡円、翠円両名は目をそらせ頬をぽっと朱に染めた。


林翡円りんひえんでございます。妹弟子たちが失礼をいたしまして申し訳ございません」

林翠円りんすいえんでございます。たいしたおもてなしはできませんが、どうかお寛ぎいただきたいと存じます」


 同時に袖を揃えて頭を下げる。下げた頭を上げると燕青の笑い顔。

「お美しいご姉妹のお言葉、身に余る光栄でございます」

 と言われ、さらに赤面する妙齢みょうれいな女道士ふたり。


 様子を見ていた一清が心中、

(こりゃいかん、ほっといたら女院の5人みんな色気づいてしまう!)


  慌てて

「ささ燕青よ、取りあえず食事にしよう、こちらだ。翡円、翠円、あとは頼んだぞ」

 燕青を食堂じきどうへと急ぎ足で案内する。その後ろ姿を名残惜しげに見送る双子の美女。

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