第一章 薊州顕星観(三)

「……んー、あー、え~と、……お嬢さん?」

 なんと呼びかけたらよいか戸惑いながら、小乙は声をかけた。

「ということで、こいつらは放してやっていいかな?」

 と聞くと、

「えぇ? こいつらって押し込み強盗で八人も殺した悪党なんでしょ、 放したらまた悪いことするんじゃないの? 殺しちゃったら?」

 すっかり余裕の表情を浮かべた少女は、なにやら物騒なことを言いだした。、


「んー、まぁ悪党といえば、俺も実はそれほど褒められた人間じゃないんだ……やいお前ら、これに懲りて悪さをめるか?」

「止めます止めますう」

 男たちはひざまづき地面に何度も頭をこすりつけた。


 小乙は 、こいつら絶対この場だけ取り繕えばいいと思ってやがるな、と見たが、捕まえて役人を呼ぶのも面倒だし、役人を呼ぶと、こっちも厄介なことになりかねない。かと言って五人全員殺すほど、直接害を受けたわけでなし。押し込みにあった八人は気の毒だが……と思いを巡らし、

「殺すのは御免だな。お嬢さんが殺すってんなら止めないけど。その権利もあるしな。どうする?」

 と、少女に結論を振った。


 それを聞いて少女は、わざとらしく大きな溜息をついて、

「しょうがないわね、わたしも寝覚めが悪くなるし、そもそも若いうちに人を殺すと仙術が濁るからやめとけって師父しふに言われてるし。今回は見逃してあげる。有難く思いなさいよね!」


 むふー、と小鼻を膨らませる。まぁその鼻息の荒いことといったら、意外とお調子者のようだ。


 「と、いうことだ、袁の兄い達、出ていってくんねぇ」

「わ、わかった。廟の中に俺たちの荷物が置いてあるんだ。取ってくるから待ってくれ」

 五人の男はすごすごと御廟の中に入っていった。


「危ねぇところだったな。確かにお嬢ちゃんの飛礫ひれきは大した腕前だが、子供のうちからあんまり無茶するもんじゃないぜ?」

 聞いて少女はぷっと膨れて、

「な、なによ! 別にあんな奴ら、あんたに助けてもらわなくても、あたしの飛刀ひとうでやっつけられたんだからね! そもそも子供じゃないし!」


 真っ赤になって言い張った。小乙は笑いをこらえながら、

「そうかそうか、そりゃ済まなかった。余計な手出しをしちまったようだな、お嬢ちゃん。」

「……しじょう」

「ん? 」

「私の名前! 祝四娘しゅくしじょうっていうの!」

 少女の勢いにすこし怯んで

「お、おぅ、そうかい。」

 祝四娘しゅくしじょう ……はて? 何かひっかかるものを感じたが、、


「上から四番目の子か。渾名あだなとかはあるのかい?」

「ん……あるけど、笑わないでよね」

「ふふ、俺の知り合いにも、たくさん妙な渾名の人がいるぜ。鼓上蚤こじょうそうとかよ。それよりも変なのか?」

「変じゃないけど、みんなお似合いだって笑うんだもん!」「笑わないよ、何て言うんだ?」「……しょうゆう」「しゅくしょうゆう? いい名じゃないか。どんな字なんだ?」


 少女は地面に木の枝で字を書いた。

祝小融しゅくしょうゆう

 それを見た小乙は、ついプッと吹き出してしまった。四娘は顔を真っ赤にして、握った両拳で若者の背中をぽかぽか叩く。

「もお! 笑わないって言ったのに!」

「ごめんごめん、でも確かにお似合いだ。飛刀使いの小さな祝融しゅくゆうか。ふふっ」


 祝融しゅくゆうとは、後漢の時代の戦乱を描いた「三国志」に登場する、南蛮国の王「孟獲もうかく」の妻で、飛刀ひとうを使う女豪傑の名である。

 四娘しじょうは、ふくれっつらでぷいっと小乙に背を向けてしまった。


「ははは、すまんすまん。でも祝融夫人は美人だったらしいから、小融もきっと将来美人になるんじゃないか?」

 とおだてると、四娘は少し機嫌を直したらしく、

「そ、そんなの当たり前じゃない。なにをいってんのよ今さら」

 と、また小鼻をふくらませて薄い胸をはる。


 小乙は、見た目の割には賢いようだが、案外チョロいなと、そっと胸をなで下ろした。

「ところで、私も名乗ったんだから、お兄さんも本名を教えてよ。小乙ちびすけなんてどうせ偽名でしょ?」

 小乙と名乗ったこの若者、はたと困った。確かに偽名なのだが、本名を伝えて良いものなのか。

「う~ん、まぁいいか。俺の名は」


 覚悟を決めて言いかけたその瞬間、廟の中から凄まじい絶叫が響いてきた。

「うあぁなんだこの黒いのはぁ!」「助けてくれぇアニキぃ!」「ダメだ矢が通り抜ける!」「虎二、ぶった切れぇ!」「やってるうがっぉおべごれ……」「野郎、よくも虎二を食いやがったな!くたばれこのぼごごばぐヴっぅう!」


 四娘は血相を変え、廟の階段の下まで駆け寄った。小乙も後を追う。

 突然喚き声が消え、あとから何か固いものをかじ齧る音、咀嚼そしゃくする音、すする音が二人のところまで聞こえてきた。

 ごり、ごり、ぺちゃ、ぺちゃ、じゅる、じゅる、くちゃ、くちゃ・・・・・・


 修羅場を数多く経験してきた小乙しょういつでも、聞くに堪えない身の毛もよだつ音である。だが四娘はおびえる様子もなく、妙に落ち着いている。

 さっきは大郎の話を聞くだけで青ざめていたのに、これは平気なのか?小乙は首をひねった。


「出たわね」

 四娘は、すっと表情を引き締め、背中の剣の柄を掴み、ひっこ抜いて空中に投げ出した。剣は空中でふたつに分かれて落ちてきた。

 ひとつの鞘に二本の剣が収められている「雌雄一対の剣」「双剣」と呼ばれる形のものだった。柄の部分が半円状になっていて、合わせるとひとつの柄のように見えるのだ。片方の柄は白い皮、もう片方には黒い皮が巻いてある。ところが、小乙は剣を見て驚いた。

 双剣の刀身は金属ではなく木でできていたからである。


「おいおい、木剣ぼっけんなんかでなにをしようってんだ?」

「これは魔物まもの専用の武器なの。人は切れないけど、魔物や妖物あやかしを祓うことができる剣なんだ、まぁ見ててよ。」

「おい!危ねぇぞ!」

 小乙が止めるのを振り切り、四娘は廟の階段を駆け上がっていく。

「待てったら!」


 廟の入り口で追いつくと、四娘は堂内の薄暗がりをのぞき込んでいる。

「……全部で三匹。さっきの男たちはみんな食われちゃったみたい。自業自得だけどね」

 先程までのあどけない表情は消え、愛嬌のあるくりくりとした丸い眼は細められまなじりが上がっている。だが、真剣な眼差しとは裏腹に、口角が上がり、まるで楽しんでいるかのように見えた。


 小乙も薄暗がりに目をこらすが、床一面に袁兄弟のものと思われる血だまり、腕や脚どの残骸が散乱していて、他には何も見えない。


「何も見えないんだが、やっぱり魔物がいるのか?」

「ああ、そうか」四娘は自分の左目を指さして言った。

「こっちの眼だけ青いのがわかるでしょ?」

「うむ」

「悲しいけどこれ『浄眼じょうがん』なのよね」

「じょうがん?」

「そう、あたし実は『見鬼けんき』なんだ」

「けんき?あの幽霊とかが見えるってヤツか?」

「うん、この『浄眼じょうがん』のせいで、昼間でも夜でも、や魔物が、見たくもないのにはっきり見えちゃうんだ。ねぇ、さっきの奴も言ってたけど、この眼って、やっぱり変? 気味が悪い?」 

 四娘は小乙を正面からのぞきこみ、少し不安げな、そして寂しげな表情を見せた。 


 ははあ、なるほど。この娘は、この左右違う色の眼で気味悪がられてきたのだろう。でも気にしなければ、ちょっと生意気で、年の割にチビだけど、おもしろくて可愛い女の子だ。小乙はすっかりこの祝四娘という不思議な少女に興味を引かれていた。


「いや、今言われるまですっかり忘れてた。別に気にならないぜ。将来美人になること請け合いの、飛礫ひれきの名手の女の子なんだろ?祝融しゅくゆう夫人みたいな」とからかうと、聞いた四娘はぱあっと明るい表情になり、少し頬を染めイタズラっぽい目で小乙を見た。


「ふふっ、予約するなら今のうちだからね」と笑ってから真面目な顔になり、。

「よし、夜になる前に祓っちゃいますか」

 背筋を伸ばし、二本の剣を廟内の虚空に向けた。


「ここだと日の光が届くから、奴ら簡単には出てこないけど、中に入ったら襲ってくると思うから、気をつけて」といい、廟に一歩踏み込んだのである。

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