第一章 薊州顕星観~二仙山(二)
大男は、玉砂利の上を音もなく走り寄ってきた若者に驚き、後方に跳びすさった。
(いったいどっから現れやがった、何にしてもこいつの
大男は身構えた。
少女は少女で、尻餅をついたままいきなり目の前に現れた若者の背中を、ぽっかり口を開けて見つめている。
「てめえ何者だ、そのガキの仲間か?」
大声を張り上げる男に向かい、若者は
「袁の兄ぃ、お初にお目にかかります。私は
大男は気勢をそがれ両手を下ろした。少女ははっと我に返り、急いで立ち上がって
「たまたま聞こえちまったんですが、この子は魔物退治に来ただけで、別にあなた方袁ご兄弟と揉めたいわけじゃなかった。それなのにいきなり攫うだの手籠めにするだの、売り飛ばすだの脅したあなた方にも、非があるんじゃござんせんか?」
「そうよそうよ! あんたらが悪いんじゃない、自業自得よ!」
元気を取り戻した少女が、小乙の背中から囃し立てる。
(せっかく相手を落ち着かせようとしてるのに、ちょっと黙っててくれよ)
と、背中で手をひらひらさせて制しようとしたが、少女は開放感からかますます強気になり、大男に向けて赤ん
小乙は小さくため息をついて続けた。
「それにここいらで名高い袁兄弟が、子供相手に本気にならなくても。ほんの十歳になるかならないかの小さな……痛っ!」
少女が握りこぶしで小乙の背中を叩いたのである。
「失礼ね! これでももう十三歳なんだから、子供じゃないわよ!」
(絶対十三には見えないって)小乙は心の中でぼやいた。
大男は怒りに血管が浮き出るほど顔を真っ赤にし、
「ふざけやがって、やい、小乙とか言ったな。俺ぁ
そう
(どうやら穏便に済ませられそうにないな……)
小乙は覚悟を決め、後ろ手で合図し少女を離れさせ、足場を固めた。
戦いになると見た他の四人も、てんでに若者を煽りはじめた。
「頼むぜ兄貴、そんなチビ相手にもならねえだろうがよ」
「やい色男、カッコつけてできたが、おめえ死ぬぜ」
「おいガキ、助かったとか思ってんじゃねえぞ、そいつのあとはおめえだ。俺たちのお仕置きはキツいぜえ、へ、へへ」
「やい、兄貴はでかいだけじゃねえぞ、少林拳の使い手なんだぜ」
それを聞いた小乙は構えを解き、「袁の兄ぃも少林門なのか?」と呼びかけてから、足を揃えて両手を持ち上げ、「
「開門式」とは、拳法の流派によって異なる
小乙がおこなったのは、大男と同じ少林拳の開門式である。同派であることを示せば、争いが避けられるかもしれない、と考えたのだ。
だが大男は構えを解かず、「やい小乙、てめぇの師匠は誰だ?」と問いかけてきた。
小乙は「
袁大朗は少し考え、「
「虎田の皿」は、「盧」の字を分解した一種の隠語である。もし師匠を知っていれば争いを避けられるかとも思ったが、それも叶わぬようだ。
「行くぜ!」
左、右と、次々に唸りをあげる拳が小乙の顔面、胴体を襲う。小乙は顔は避け、胴体は払い、全ての拳をいなしていく。
下から
小乙が軽く後ろに跳ぶと、大朗の蹴りは空を切った。かと思うとその足がそのまま下に降り、同時に右足が入れ替わって前に出る。そのままの勢いで大朗はさらに距離をつめ、右拳で
大朗の得意技「
「死んだ!」
見ていた少女は目をつぶった。が、肉を打つような音は聞こえない。
少女が目を開けると、小乙は大朗の両拳を「
「ちいっ!」
大朗は素早く拳を引きつけ、そのまま右手の掌底を顎に、左の掌底を胴体に突き出すとともに、右足を伸ばし小乙の
三カ所を同時に攻める技であるが、その瞬間小乙は身を屈め、下から大朗の蹴ってきた
たまらず仰向けに宙に浮いた大朗の手首を、空中で捕らえた。背中から落ちた体が、勢いで跳ねた瞬間、腕を巻き込むように背後に捻じあげ、反転させうつ伏せに押さえ込む。
「くそ、放せ、放しやがれ!」
ジタバタと
これは「
「なぁ袁の兄ぃ、こっちゃあ別にあんたと揉めたいわけじゃねぇんだ、諦めてここから立ち去っちゃぁくれねぇかい?」
背中に乗り、右手をねじり上げながら小乙が聞く。
「それとも、このままここで死ぬかい?」
小乙(しょういつ)は大郎の太い首の後ろの「
膝でも同時に背骨の「
小乙の親指が
「ぐわぁ痛てぇイテェ! わかった! 諦めて出てく! 出てくから放してくれぇ!」
どれほど痛いものなのか、大郎ほどの豪胆な大男が、耐えきれずボロボロ涙を流しながら叫んだ。
「動くな!」
少女の声が響き、「ぐふっ!」といううめき声。
小乙が振り返ると、さっきまで座り込んでいた男が腹を押さえて悶絶し、胃液を吐き散らしていた。その足下に矢をつがえたままの弓が落ちている。どうやらこの男がこっそり後ろから小乙を射ようとしたのに気づいた少女が、玉砂利を土手っ腹に打ち込んだらしい。
「他の奴らも、妙な動きをしたら同じめに遭わすよ! 」
少女が、「どうだ」と言わんばかりに、掴んでいる玉砂利を男たちに見せながら睨みつける。
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