水滸拾遺伝~飛燕の脚 青龍の眼~

天 蒸籠

第一部 第一章 薊州顕星観(一)

 初秋、好天。中国は宋国北東部、薊州けいしゅうの山道。

 第八代皇帝徽宗きそう御代みよ宣和せんわ五(一一二三)年のことであった。


 一人の若者が山間の街道を足取り軽く登っていた。

 年の頃なら二十代前半、長い髪を黒の布でくるんで頭頂でまとめ、灰色のうわぎに同色の褲子ずぼんと黒の帯という、地味だがこざっぱりした服装に、行嚢こうのうを負い、黒の半長靴はんちょうかで足拵えをしている。


 身の丈五尺三寸(百六十cm弱)と、小柄ではあるが、引き締まった体つき。色白の肌の胸元から、鍛えられた筋肉の上に極彩色の牡丹の彫り物がちらり顔を覗かせる。


 細く整えられた眉の下に切れ長の目、深い瞳の色に意志の強さがうかがえる。と同時に、何とも言えぬ色気の漂う、まさに眉目秀麗びもくしゅうれいな美丈夫。


 といって取っつきづらさは微塵みじんもなく、気安く声をかけたくなるような親しみやすさが口元に浮かぶ。

 一言で言えば、気の置けぬ小粋な色男、なのである。

 その若者の足どりが急に止まった。


 かすかに話し声が聞こえたのだ。声の方を見ると、草むらの中に苔むした石段があり、わずかに踏まれた跡がある。 


 若者は、どうせ急ぐ旅でもなしと、好奇心に任せて素早く石段を登っていったが、不思議なことに足音一つ聞こえなかった。 

 「顕星観」と書かれた石柱が草むらに倒れている。

 どうやら廃棄された道観どうかん(道教の寺院)があるらしい。


 門の前で立ち止まり、耳を澄ますと中から数人の喚き声が聞こえる。覗きこむと、武器を持った男が四人、素手の大男がひとり。その五人が一人の子供を取り囲んでいる。


 子供は身の丈四尺五寸(百三十五cm)ほど。男たちの胸ほどもない。若者に背を向けていて顔は見えないが、腰まである長い艶やかな黒髪から少女だろう。

 背に白と黒で太極図の描かれた長い濃紺の袖無し羽織を着、その下には白地に黒の袖口、裾に金糸で刺繍のある道服。濃緑の半長靴はんちょうかを履いている。そしてひときわ目を引く、羽織の上に斜めがけされた三尺ほどの長剣。


 あんな長剣を、あの小さい子が抜けるのかね?

 若者は妙なことを気にしつつ耳を澄ませた。


「だからあたしはこの道観に住みついた魔物を退治しに来たんだって、危ないから出てってよ!」

「わかんねえガキだな。俺たちが先にここで休んでたのに、後からのこのこやって来て、出て行けたぁ何様のつもりだ」


 弓矢、短槍たんそう、六尺棒、朴刀ぼくとうを持った男たちは皆、にやにやと、取り囲んだ中に立つ道士の少女を嘲り笑っている。

「じゃあいいわよ、あたしは御廟ごびょうで仕事するからそこどいて!」

  聞いて男達は顔を見合わせ、にやりと笑い手を広げ少女の行く手を阻んだ。


「おおと、そうはいかねぇ、中にゃあお宝が置いてある。行かせねえよ」

「お宝ってなによ」


「がはは、教えてやろう、俺たちがこの先の村からいただいてきた金目かねめの物よ。この界隈で押し込みの袁五兄弟えんごきょうだいと言やあ、知らぬ者のねえおあにいさんたちだ」

「気の毒に、これを聞いちまった以上お嬢ちゃんもう無事にゃあ帰れねぇぞ。見りゃあガキだし、がりがりで胸はつるぺただけど、どっかの好きもんには高く売れるだろうぜ、へへっ」

「おまけに何だか変な目の色してるけどよ。つらぁ悪くねえしな、何なら売っぱらう前に俺たちが味見してやるか。ふひひっ」


 聞いて若者は小さく舌打ちした。大体の事情と、この袁五兄弟らが押し込み強盗やらひとさらいやら、救いようのない悪党であることが分かったのだ。

 この娘を見殺しにしたんじゃ「きょう」がすたるってもんだ

 道士らしき少女を助けることに決め、飛び出そうとした瞬間、少女がこちらを向いた。

 ! 少女の顔を見た若者は一瞬動きを止めた。


 緊張のせいか歯を食いしばっているが、きりっと引き締まった顔立ちで、背丈や体格と相まって十歳くらいに見える、美しい少女だった。


 そしてその勝ち気そうに光る目は、右が黒曜石のような漆黒、左は泉のごとく透き通ったみず色の、いわゆる異色眼オッドアイだったのだ。

 話には聞いたことがあるが、珍しいな・・・・・・


 若者が気を取られたのと同時に、少女は素早くその場にかがみ込んだ。

 古道観の前庭には玉砂利が散らしてあり、その幾つかを両手で拾い上げ、少女は立ち上がった。

 周りを囲んだ男たちは、じりじりと少女との間を詰めてきた。間隔が二丈半(七m強)ほどに迫った瞬間、少女の両袖がひるがえった。

「ぐわっ!」「痛ぇっ!」


 少女の前にいた四人の男達は、得物ぶきを持った手の甲や指を押さえて、次々にその場にうずくまった。悶絶している様子から骨が砕けたらしい。


 飛礫ひれきか!

 若者は息を呑んだ。飛礫とは要は石つぶてだが、少女の飛礫の威力と正確さは目を見張るものがある。


 むう、没羽翦ぼつうせんの兄貴ほどではないが、凄い使い手だ。

 若者は、知己なじみの飛礫の名手を思い出した。没羽翦ぼつうせんとは「羽の無い矢」の意であり、それほどの威力を誇っていたのだ。


 少女は男たちの囲みを抜けて、頭目らしき大男に向き直った。

「よくもあたしの眼を馬鹿にしたわね! おまけにつるぺたって! 次は顔面にお見舞いするよ!」

 少女が眼を怒らせ、握った玉砂利を見せつける。


 そのとき、黙っていた五人目の大男が、のっそり前にのりだしてきた。

 他の四人より明らかに頭一つ大きい。六尺三寸(百九十cm弱)はあろうかという巨体である。薄汚れた白いうわぎの上に、猪か熊らしき丈夫そうな胴衣を着込んでいる。


 よく見るとうわぎのあちこちに、古いもの新しいもの入り混じって、血の跡らしき茶色い染みがついている。そのうわぎの合わせ目を押し広げるように、分厚い胸板が見えている。上腕は少女の腰ほどもあり。こぶしは何を殴ってきたものやら、ごつごつとした胼胝たこだらけ、切った張ったの荒事あらごとの中で生きてきたに違いない。


 厳つい顔に笑みを浮かべ、顎髭あごひげを掻きながら大男が少女に話しかけた。

「嬢ちゃんよ、ちいとばかしやり過ぎたな」

「何よ、あんたたちがあたしを攫うとか脅してくるから悪いんじゃない!」

「ああ、訂正するぜ。さっきまで攫って売り飛ばすつもりだったがやめた」

「え?」

「兄弟の骨を砕かれたとあっちゃ、売り飛ばすじゃ済まされねえ! なぐさ慰み者にしてから、一寸試し五分試し、バラバラに切り刻んで鍋にして食ってやらあ!」


 大男が獅子吼ししくし。両腕を持ち上げて顔の前で交差させた。

「投げてみなよ、そんな小石当てられても、頭以外なら屁でもねえ」

「だったらこれはどう!」

 少女は小石を捨て、長羽織の内側から長さ五寸ほどの「飛刀ひとう」を抜き出した。細い短剣の後ろに、短い布が結わえ付けてある暗器あんき(隠し武器)である。


 大男は一瞬怯んだ様子を見せたが、またニタリと笑った。

「いいぜ、使ってみなよ、本当にそれが打てるならな」

「何言ってんのよ! 小石なんかよりずっと打ちやすいんだからね!」

「そうかもな。だが俺が言ってるのはそういうこっちゃねえ。嬢ちゃんに人が殺せるのか、ってことよ」


 言われて少女の表情がさっとこわばった。大男がさらにたたみかける。

「そんな若さで平気で人を殺せるわきゃねえよな。当たり前だ。だが俺たちは違うぜ。人を殺すなんざぁ屁とも思わねえ。あのお宝も、昨日八人くれえ叩っ殺していだだいてきたものよ。行き掛けの駄賃でガキを一人追加してやるぜ。さあ、お前に人が殺せるのか?」


 少女は苦しい表情で言い返した。

「できるわよ! いざとなったらあんたの頭に打ち込んでやるわ!」

「嘘だね。俺を殺すつもりならなぜ背中の剣を抜かねえ? そいつははったりか?」

「こ、これは・・・・・・」

 少女は顔色を失い、飛刀ひとうを構えたまま後ずさりを始めた。


 座り込んでいた男たちは勢いを取り戻し、口々に罵声や卑猥な言葉を投げかけ始めた。

「やっちまえ兄貴!」「やいチビ、糞ガキ! てめぇの穴という穴に突っ込んでやるから覚悟しろい!」


「どうした、投げてみろ!」

 大男が大喝した瞬間、少女が雑草に足を取られて尻餅をついた。

「きゃっ!」

 いかん! 

 次の瞬間、若者は門の影から飛び出し、今にも殴りかかろうとする大男の前に立ちはだかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る