第23話 逃亡
一心はいつものハッキング情報を使ったマッチングシステムで庵宅放火事件の容疑者らしき人物を発見した。もちろん、ハッキングしたのは一心では無い静だ。
庵宅および近所の監視カメラと引地建設および高科土建の役職員をマッチングした。それで見つからなかったら高科の夜の街にいる多くの知合いも対象にする予定だった。
が、あっさりと見つかった。
引地建設の下請けの高科の部下で茂木裕也(もぎ・ゆうや)と岡山武彦(おかやま・たけひこ)のふたりだった。
茂木の住まいは文京区の南北線後楽園駅から北西へ徒歩十分ほどの古臭い二階建てのアパートの一階。
もうひとりの岡山の住まいは茂木のアパートから徒歩五分程北東方向にある同じく古いアパートの二階だ。
一心は静を連れて茂木のアパートを訪ねた。
ドアを開けたのは真っ黒に日焼けしてごっつい身体に太い腕に足、如何にも土木作業員らしい若い男だ。
名刺を渡して探偵だと名乗る。
疑うような眼差しを向けて「何の用?」不愛想に訊く。
「渋谷の茶道教室の火災のことで……」
一心がそう言った途端にバタンとドアを閉めて鍵までかけられた。
「ちょっとお話を……」ドアを叩いて声を大きくしたが返事はなく、がらがらっと窓でも開けたのか音がして砂利の弾ける音が続いた。
「あっ逃げた!」静にそう言って裏へ回る。
窓を開けっぱなしにして逃げたようだ。
アパートの前の道でどうしたものかと静と話をしていると、
「あれ、そやないか?」指差す方向に走る男の姿が見えていた。
「あいつだ! 何で逃げるんだ? 警察でもないのに……追うぞ」
静は着物の裾を端折って走り出す。
一心はあまり得意じゃないが仕方がない、ジョギング的な感じで走る。
五分も走ったら息が上がって心臓が死にそうだ。
静の姿はとっくに見えない。
電話を入れてみる。
「今、どこ?」
「なんや、知らん植物園かいなぁ。ぐるっと塀で、あんひとここに走って来よったさかい追っとります」
「へぇこんなとこに植物園なんてあるんだ。奴が中に入ったら表で待てな。俺も間も無くそこに着くから」
五分程して静から電話が入った。
「中入りよったか分かりまへんなぁ。姿見えへんようになってしもうたわ」
「じゃ正門で待って、もう着く」
一心が券売所で尋ねるとそんな男性は来てないと言われた。
「仕方ないもう一人の岡山のアパートへ行こうか」息を切らせながら一心が言う。
「あんたはん汗でびしょびしょやないか、これで拭きよし」
タオルを一枚渡してくれた。顔とか腹と腕を拭いて、「ちょっと背中拭いて」
ちょっぴり嫌な顔をしたが拭いてくれた。
「お前は?」
「こないな事くらいでは汗はでぇしまへん」とすましている。
ピンポンを鳴らすとなまくらな返事が聞こえる。
探偵とは言わずに、「岡引一心と言います。ちょっと訊きたいことあって来ました」
ドアがすっと開いて「何?」
こっちは骨が細く色黒だ、静にパンチ食らったらあっさり地獄行きだな、とこっそり思う。
「庵幸二郎さんの家で火事があって、そのことでちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
逃げるかと思ったが岡山は平然としている。
「どんな事? そっちのおばさんは? 一緒の人?」
「あぁこれは妻の静です。火事の有った六月十九日深夜前から二十日の未明にかけて現場近くにいたようなので、不審者を見てないかと思って……家族から頼まれちゃって監視カメラに写ってた何人ものひとに訊いて歩いてるんです」
「へぇ俺そんなとこにいた? 場所どこ?」
「渋谷の住宅街なんですが」
「渋谷かぁ、近くの飲み屋で梯子してたと思うんだわ。で、歩いてたか誰かの車に乗せられたかだけど……記憶がないなぁ」
「そうですか。茂木さんを知ってますよね?」
「えっ急にどうした?」
「その時、一緒に写ってたみたいなんで」
「へぇ、で?」
「訪ねたら、いきなり逃げ出しちゃって、びっくりしたんですが、何かやばい事でもしてるんですかねぇ?」
岡山の表情に特段の変化はない。こっちの方が悪っぽい。
「さあね、たまに一緒に飲むことはあっても友達って訳じゃないからなぁ……」
一心は後を警察に任せようと思って辞去した。
帰り道、茂木の家によって裏へ回ってみたが窓は開いたまま帰ってはいないようだった。
家に帰る前に渋谷署の磯垣新警部にデータを渡して状況を説明した。
警部は探偵がでしゃばるから逃げられるんだ、みたいな顔をして
「岡引さんは優秀だね。噂通りだ。あとは警察に任せてください。そのふたり逮捕に結びつけますよ」
一応礼だけは言ってくれた。
渋谷署では人物の特定がまったくできていなかったのだから礼を言われて当然なんだが、ここは大人な感じで頭を深く下げて署を後にした。
その後、事務所に戻ってから夜までかかって、これまでの幾つかの案件の調査結果を夫々経過報告書としてまとめ各家に届けた。
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