第22話 破談

 恵子殺しの容疑者がひとり浮かんだ。

美紗の作業はやはり早い。静も同様のことをやっているのだが、何せ京都で生まれ育っただけあってすべてがゆったりしていて、落ち着きがあって見ていて優雅な感じで気持は良いのだが、急ぎ働きはちょっとムズイ。

男の名を中野向義徳と言う柴田翔議員の秘書のひとりだ。

五月十四日の午後五時頃、恵子を助手席に乗せてスカイツリーの前の道を浅草方面に向かって走っていた。

隅田川に沿った通りには関係者の姿が見えなかったので範囲を広げてマッチングした結果のようだ。

それに中野向の預金口座の動きも調べてある。

二日前の十二日に二百万円が現金で振込まれていた。

そして、その前日の十一日に柴田健治の口座から二百万円が下ろされている。

これだけ証拠が揃えば、中野向を追詰めるのは簡単な事だ。

一心は彼を外へ呼び出した。

議員会館の玄関前で待ち合わせし桜田門へ向い、そこからは皇居外苑から大手門へと進む散歩コースを歩く。

「なぁ中野向さん、あんた佐田恵子っていう二十二歳の女性を知ってるだろう?」

そう話しかけると一瞬顔色を変える。返事はしない。

「俺の言いたい事分かってんだろう?」その顔色を見て一心は中野向に問いかける。

中野向は口を一文字に結んでいて何も言わない。

「そう、だんまりか。あんたが四月十四日の午後五時助手席に佐田恵子を乗せてスカイツリー前の道を浅草方面に向かった。そうだな」

一心は立ち止まって中野向の正面に立ち、目を見ながらゆっくりと喋る。

そう言っても結んだ口を開かない。

「二百万も健治から貰って何に使うんだ? まだ口座に残ってるじゃないか? えっ?」

表情を変えない中野向を見て、結構危ない橋を渡って来たんだのだろうなと思う。

「そっか、あんたの実家についても調べさせて貰ったよ。父さんは五年前に亡くなっていて、母さんはひとり暮らしみたいだね。足が悪くって、買い物が大変そうだった。料理するのに台所に立つのだってきついらしいよ。

あんた、母さん心配なら施設に入れてあげた方が良いと思うけどな。……もっとも、あんたが嫁さんと子供連れて一緒に暮らすってんだったら一番良いとは思うが、そうは行かないんだろ? あんたも可愛そうな奴だよな……あんな政治家に付いたばかりに、殺人まで犯すことになっちゃって同情するよ……」

実家と言った瞬間だけぴくりと眉を動かした。やはり母親を心配しているんだろう。

「さ、暫くは母親に会えなくなるけど、警察へ行こうか。逮捕を待ってもらってるんだ。あんたのこと考えて自首させようかと思ってさ。でも、無駄だったようだ。逃げても無駄だよ。警察の知合いにはすべて話してあるし、証拠も提出済みだ。覚悟しな」

「ふふふ、言いたいのはそれだけか?」

始めて吐いた中野向の言葉だった。正直驚いた。

「この期に及んで言い逃れしよってか?」

「俺、誰の秘書やってると思ってんだ。さっさと警察でもどこでも行こうじゃないか。夕方までには事務所に戻らないと先生に言われている仕事があるんでな」

余程の自信があるのかバカなのか?

大手門を過ぎたところでタクシーを停めて「浅草警察署」と運転手に告げた。

 

 浅草署の丘頭警部に中野向を引き渡し、その足で再び議員会館方面へ向かう。

今度は右月総理秘書の柴田健治に会うため官邸近くのレストランで待ち合わせしていたのだ。

 玄関の見える場所に陣取り待っていると、約束より少し早めに来た健治は妙な顔をしていた。

「何かあったの?」健治が席に着くなり一心は訊いた。

健治はかぶりを振ったものの「僕の人生、終わっちゃったかも」と似合わぬことを言う。

「えっだって総理の姪との結婚で将来は万全じゃないか」

半分嫌味の積りで言ったのだが

「パーさ、それがパー」

「はっ意味が分からないんだけど?」

「だから、結婚がパーになったんだ!」

一転怒り出した。

 ――なんとも情緒不安定な奴だなぁ。……

「破談ってことか?」

「あぁそうだ」そう言って頼んだコーヒーをがぶ飲みする。

「健治さんが何かやらかした?」

「まぁ、女だ。あの佐田っていう女のせいだ!」

「あぁ恋人がいたのばれたんだ」

一心はせせら笑ってやった。

「バカにしてんのか!」

真面目に怒ってきた。

「でも、政略結婚じゃそんなの当り前じゃないか?」

「お前、何しにきたんだ! 冷やかしか? 俺をバカにしに来たんか?」目に角を立てて健治が言った。

「いや、違うんだ、柴田翔議員の息子さんとの縁組を断るなんて、その姪御さん何考えてるのかなぁって思っただけですよ」腹にもないことがすらすら口から出てくるので一心自身が驚く。

「何でも、恵子の母親に偶然会ったんだと。それで恵子が俺に振られて自殺したって聞いたらしい。それで萌絵は恵子をライバルだって思ったんだろうよ、女心は分からんがな。だが、死んじゃったら競う事もできないし、俺の心の中で恵子のことを忘れられず永遠に残るだろうってよ、まして死んで間もないのに……とても勝てそうにないからって、もしも何年か置いて縁があったら、その時にはもう一度お見合いしましょうって言って、さよならだってさ」さすがの健治も落ち込んでいるようだ。

 ―― ざまぁみろ。普段の行いが悪いからそう言う事になるのさ。……ははは……

「でも、総理の声掛けならそんなに簡単には……」

「萌絵は俺に言う前に総理に会って、きちんと全部話して断ってきた、と言ってたから、総理は、おれが恋人いながら自分の姪と結婚しようとするなんて、とんでもない奴だと思ったに違いないんだ。だから、俺はもう終わったって話だ。で、お前の話は?」不貞腐れる健治が言った。

「その恵子さんなんですが、殺害されたことが分かりました」

「なにっ!」

演技でなければ、戸惑いと恐れと驚きとが入混じった目の動きをした。

「犯人は警察にいます。いずれ逮捕されるでしょう。ですが、柴田翔議員の秘書をやってる方で夕方までには帰るつもりのようですが……」

健治の目が彷徨っていて口は半開きで冷や汗を掻いている。

一心は言い過ぎると警察の調べに対する答えを用意されてしまうと思い、突っ込んだ質問をしたかったが腹に収めた。

「いや、あなたは知らなかったようなので、質問はありません。お手を煩わせ済みませんでした」

一心は頭を下げレシートを取って立ち上がったが、健治はおどおどし始め一心の事は眼中から消えたようだ。

店を出て「ざまぁ見ろ、恵子さんの復讐は完ぺきだった」にやりとして独りごちる。

 

 帰りががけ浅草署の丘頭警部から電話が入った。

「中野向の毛髪と恵子さんの川底から見つかったバッグに付着していた毛髪が一致したわ。もう言い逃れ出来ない。ありがとね一心」

「そっか良かった。奴、偉そうに夕方には事務所に帰るみたいなこと言ってたから、上層部に圧かかってどうなるのかなって思ってたんだ」

「ふふふ、あったわよその圧。でもさすがにこれだけ証拠出たら柴田議員も抵抗できないみたいで、自分は知らないことだが、犯罪者を事務所に雇い入れたとは痛恨の極みだ、みたいに言ってたわよ」

「息子が金を出したことは議員は何て言ってんだ?」

「まったく知らなかったってさ」

「息子は逮捕出来そうか?」

「金は借りたものだと言ってるから、健治がメールとかSNSとかに記録を残してるといいんだけどね」

「ふーむ、難しそうか? 息子に手を出したら議員も必死になるだろうしな」

「そうよねぇ……」警部は力ない返事をした。

「だけど、動機を何て言ってるんだ?」

「健治に別れたと聞いて、金で自分のものにしようとしたが抵抗されて、揉めてるうちに川に落ちてしまった、と言ってる。もっともらしいでしょ」

「殺人じゃなくって、事故だと言いたいのかな?」

「そう、それが狙いね。頭、それなりに良いわ」

「中野向が恵子に百万渡して別れさせようとしたカフェの従業員とか話聞いてないかな?」

「その情報どこから?」

「数馬が恵子の友人を洗い出している時にその友人から聞いたんだけど」

「そう、数馬に聞いて確認するわ」

 

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