第14話 死の連鎖

 五月の連休が過ぎて夏らしい暑さが続いたそんな日の夕方、白老の佐田研究所にいる中原洋博士の携帯が着信音を響かせ電話が入ったことを知らせる。

息子の中原隼(なかはら・はやと)だった。

「おう、どうした珍しいな、元気でやってるか?」

父親として誰もが訊くような質問をした。

二年前に「国会議員政策担当秘書」の資格試験をとり名簿に載って議員側からの問合せを半年ほど待って採用になっていたのだ。

日邦大学の物理学部に合格したので一緒に研究できると喜んだのだが、三年生になるときに息子から「俺、物理止めて政治家になる」と言われた。

 それから親子喧嘩が続いて妻のかなえまでもが息子の味方をするに至り、中原は諦めざるを得なくなったのだった。

下っ端の秘書は時々の都合で議員間を行ったり来たりで、今誰の秘書をしているのかは知る由も無い。

母親とは色々な通信手段でやり取りはあるようだが、中原とはめったに話すことは無かった。

その息子が電話してきたのだった。

「親父、親父の希望に沿って一緒に研究しなくて悪かったな」

神妙な声にドキッとした。

「何か失敗でもしたのか?」

「そうじゃないが、政治の世界は俺みたいな坊ちゃんじゃ務まらいのかなって……」

「父さんは良いぞ」

「えっ良いぞって何が?」

「だから、北海道へ帰って来てきたら、佐田博士の研究所で父さんと一緒に研究するってこと」

「……」受話器の向こうで息子のすすり泣く声が微かに聞こえる。

何か辛いことがあったんだろう。

「お前はまだ二十五歳だろう。なんぼでもやり直しは利く。だろう?」

「……初めてな気がする。父さんの優しい言葉。ありがとう。でも、もう少し頑張ってみる。それでもダメだったら帰っても良いか?」

「当たり前だ。母さんもお前が帰って来たら喜ぶぞ! だから無理すんなよ」

「うん。……ホントにありがとう……」

隼はそう言って、受話器を置いたようだった。

すぐ妻のかなえに電話を入れ息子の最近の様子を訊いた。電話があったことを伝えると首を傾げているようだった。

連絡してみると言って妻から電話を置いた。

 

 その後はなんの連絡もなく五月も終わろうとしていた日、妻から電話が入った。

始めは何を言ってるのかさっぱり要領を得なかったが

「……だから、隼が死んだって!」怒鳴る妻の声で心臓が止まるかと思った。

「何バカなことを言ってんの。冗談も休み休み言えよ!」思わず怒鳴り返す。

「違うって、渋谷警察からで、自室で首を吊って死んでたって同僚の方が発見して通報したそうなのよ」

「えーっ……」次の言葉が出なかった。少し考えて電話の事を思い出した。

「だってこないだ電話で喋って、もう少し頑張ってダメなら帰って来るって約束したんだぞ!」

「そんな怒鳴ったって、そういう電話があったもんどうしようもないでしょ!」

かなえは悲鳴のような声で言った。

「いいよ、俺すぐ行ってくる」

「私もすぐ行くわよ。あなた飛行機の手配して一番早いやつを」

 

 翌日の昼過ぎには渋谷警察署の前に妻と立っていた。

「覚悟はしとけよ」

かなえに言ったのだが、中原自身に言った言葉でもあった。

受付で名前を言うと、すぐに刑事さんが「こちらです」と案内してくれた。

かなえは中原の腕にしがみつき、震えている。

地下の遺体保管室に入ると、病院のようなベッドの上にひとが寝かされて白い布がかけられている。

頭の位置のところにふたりで並んで立つ。

「息子さんに間違いないか確認してください」警官がそう言って顔の上にかけられている布を外す。

「うわーっ、はやとぉーっ!」

見るやいなやかなえが号泣する。両手で息子の頬を挟んで自分のおでこを息子のおでこに当てて「いやぁー」

と叫んで「隼、隼、……」繰り返し息子の名を呼ぶ。

信じられない。

「本当に自殺なのか? 事故とか、誰かに殺されたんじゃないのか?」中原は動揺して立ち合いの警官に詰め寄る。

「お父さん落ち着いて、状況を説明しますので来てもらえますか?」

警官は妻の方にも目をやりそう言った。

「かなえ」声をかけて肩を抱いて立ち上がらせる。

ぼろぼろと涙を流すかなえにハンカチを渡して「上で話を訊こう」と促す。

かなえは離れがたいという風に何度も息子に視線を走らせる。

 

「先ず、息子さんの発見時の状況なんですが、仕事を無断で二日休んだので同僚が心配して見にきて、ドアが開かないので管理人に事情を話して鍵を開けて貰ったそうです。それで発見に至った訳です」

刑事が静かな口調でそう説明してくれた。

「無断で休んだって、そんな無責任なことをするような息子じゃありません!」かなえが強い調子で訴える。

刑事はそれを制して

「リビングと寝室の間に開き戸があって、寝室側のノブに長い紐の中央辺りを引っ掛け、その両端をドアの上を通してリビング側へ持って来て、中腰の姿勢で自分の首に紐を巻いてから縛って、足を前に放り出した、そんな状態でした」

「鍵は?」

「ドアのカギは二本あって、寝室のベット脇の引き出しに一本、机の上の本の下敷きになって一本ありました」

「その間のドアは開いてた?」

「いえ、息子さんの身体できっちり閉められていましたので、第三者が殺害したとしてもドアの鍵はかけられない状態です……所謂密室状態の部屋の中に鍵があったということです」

「なるほど……でも、自殺するくらいなら、家に帰ってくるはず、そう二、三週間前に電話で喋ったばっかりなのに……」

「それと、これが机の上に」刑事はそう言ってコピー用紙を一枚テーブルに置いた。

「贈収賄事件を起したのは僕です。先生に迷惑をかけてすみません。自分の事は自分で片を付けます」

という主旨の文が機械印字されている。

「これらのことから自殺だと判断したわけです」

刑事はこれで納得してくれとでも言いたげに強い視線を中原とかなえに向ける。

「それでその先生ってひとは何て言ってるんだ?」中原が訊く。

「柴田翔財務副大臣なんですが、’国会や報道等で私が追求されていましたのでどう対処したら良いのか苦慮していたところでありますが、まさか中原くんが私の名前を使ってやったとは信じられません。が、事実ならば受け入れるしかありません。そういう人物を政策秘書として採用したことは痛恨の極みであり責任を感じております’そう言うコメントを発表し、謝罪しています」と刑事が教えてくれた。

「でも、信じられません。もう一度調べ直してください」

かなえの言葉に中原が加えた。

「そうだ、死亡推定時刻の前に不審者がマンションに入っていないかだけでも確認して貰えませんか?」

夫婦でしつこく粘り刑事も困ったのだろう「ちょっと待っててください」と言って席を外した。

現れたのは磯垣新(いそがき・はじめ)という警部だった。

「ご両親の気持は良く分かります。お父さんのいう不審者を洗ってみましょう。結果は後日お知らせします」

「ありがとうございます。どうしても信じられないので無理を言って……」

中原はかなえと一緒に身体を二つに折ってお礼を言った。

 

 その後、一時間ほど手続きをしてから渋谷警察を出た中原はかなえを連れて浅草に向かった。

タクシーに乗って住所と名前を言うとすんなり連れて行ってくれた。

タクシーを降りると良い匂いが中原の鼻をくすぐる。

すぐ傍にラーメン屋がある。かなえの手を引いてそこに入る。

「俺腹減って戦えないからまず飯食おう」前日電話を貰ってから何も口にしてなかったのを思い出したのだった。

かなえもそう思ったのだろう黙ってついてきた。

注文をしてから探偵の電話にダイヤルする。

すぐ出てくれて一時間後くらいに邪魔したいと伝えた。

話を聞いていたのか店主が「岡引さんとこへ行くのかい?」と訊いてきた。

そうだと言うと「あの人は良い探偵だよ。依頼したらきっと解決してくれるよ」と言ってくれた。

有名だとは聞いていたがこんなところにまでと思う。

ラーメンを運んできた女性も「私も岡引さんに助けられて、今では私の親代わりなんですよ。出前持って行ったら十和ちゃん、十和ちゃんってご家族みんなに可愛がってもらってます」と微笑む。

 

 中原が階段を上がって事務所のドアを開けると、既に応接ソファに一家が揃って待っていてくれた。

「北海道ではお世話になりました」と岡引探偵。

挨拶をし事情を話した。警官の言った状況も話して疑問がある、調べて欲しいとお願いした。

岡引探偵はしばらく腕組みをして考えているようだったが

「良いでしょう。お引き受けします」

中原はホッとしてかなえの顔をみる。

「俺も気になるなぁ、その寝室は少なくとも密室じゃないな」

探偵が思いも寄らぬことを口にした。

「えっどうして? ドアは隼の身体できっちり閉められてたんですよ」

「もしかしてドアの下濡れてませんでした?」と探偵。

また変な事を訊かれた。

「いやぁそれは聞いてないです。なぁかなえ」

かなえもかぶりを振った。

「渋谷署は何て言う刑事?」

「済みません。動揺してて名乗ってたけど記憶にありません。お前はどうだ?」

かなえの方を向いて訊くがやはり首を横に振る。

「いや、だったら訊きに行くので大丈夫です」

「で、何が疑問で?」

「あっいや渋谷署で確認してからにしましょう。余計に期待持たせちゃ悪いから」

「わかりました」

中原が答えると、かなえがぽつりと言う。

「つい最近一緒に働いてる留市さんの息子さんが亡くなったばかりなのに、不幸って続くもんなのね」

「そうですねぇ。先日、息子さんの死に疑問があるって調査依頼を受けてるんです」

「あぁ留市さん言ってた探偵さんて岡引さんだったのか」

 

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