第13話 かぶと虫

 五月の連休、田口裕子は連日札幌のゲーセンに通い詰めていた。連休が終わっても習慣となって白老から帰った次の土日はほとんどゲーセンで過ごしていた。

ちょっとやり過ぎだとは思ったのだが、ついつい向かってしまう。

その理由は勿論バトルに燃えているからコンピューター相手に負けたくは無いし、たまに来る対戦相手がちょうど互角の戦いのできる相手なので、それもまた楽しみなのだった。

 今日は午後にその相手が声をかけてきた。根島幸祐という五十過ぎのおじさんだが話も面白いし一切手加減しない戦いについ熱が入ってしまう。

「今日、俺が勝ったら食事に付き合って貰えないかい?」

始めてのデートへのお誘いだったが、裕子は負けるはずはないと思ってたので「私が負けたらね」と言ってにやりとしてやった。

その顔を見てか根島の目が真剣に輝いた。

ちょと刺激し過ぎたかなとも思ったが負けない自信はあった。

無言の一時間が過ぎた。

「あちゃー、負けたぁー」唸り声をあげて悔しがったのは、勿論根島だ。

「へへへ、根島さん、私には勝てませんよ」

そう言って裕子は右腕でガッツポーズを見せつけた。

根島は悔しそうな顔をして「また会ったら挑戦させて下さいね」

少し項垂れ気味に背を向けて帰る根島に

「いい年して、ガキっぽい奴」呟いて裕子は近くのトンカツ屋で定食を食べてジョッキーをひとつ飲み干して帰った。

翌日も行くと、すでに根島はゲームをやっていた。

裕子は自然に笑みが浮かぶ。

素知らぬ振りをして対戦ゲームの席に着いた。

肩を叩かれはっとして振向くと満面の笑顔の根島が立っている。

挨拶を交わしたが、それ以上言葉を交わすこともなく対戦する体勢に入る。

「今日こそ勝ちます」

そう宣言されてバトルが始まる。

今日の根島は強いと感じる。

一進一退が続く。味方の宇宙船がとうとう全部撃墜されてしまった。

「あーやられたぁー」嘆く裕子に「へへへ、やっと勝てましたよ」

「根島さん、昨日からなにか特訓でもした?」

冗談で言うと「もちろん、徹夜で特訓しました」と冗談が返ってきた。

「じゃ、行きましょうか?」

根島に言われて「はっ何ですか?」

訊き返してから気が付いた。

食事に付き合うのだった。

「約束しましたよね」笑顔一杯に言われて、頷くしかないと思って「そうでした」笑顔を返す。

 

 居酒屋でご馳走になりお酒も頂いて、「次行きましょう」と言われたが「今日はご飯をご馳走になると言うお約束だったので、ごめんなさい帰ります。美味しかったし楽しかったわ。ありがとう」

「そうかい、残念だが約束だからしゃーないか」無理強いはしない根島。根はやさしいひとなのかもしれないと思いながらタクシーを停めた。

 

 裕子は少しゲーセンへ行くのを控えた。

親しくなり過ぎるのを警戒しての事だった。

 日を置いて留市かなめの息子龍生の葬儀が東京であって、留市の泣く声を聞いて裕子もさめざめと泣いた。

式の後にも佐田博士や中原博士と共に留市の話を聞いてあげた。

留市は警察の処理に不満で探偵に調べさせてると言う。

そして裕子に何かと話しかけて傍を離れようとしない。

裕子は留市に親類が少なく誰かに傍にいて欲しいのだろうと思って二泊することにした。

 

 結局、白老の仕事も初七日過ぎるまで休むと佐田博士が言ったこともあって、裕子は初七日を留市と一緒に迎えた。

涙が枯れ果てる、とはこういう事をいうのかと思うほど毎日号泣していた留市が、初七日を過ぎると満身創痍という雰囲気は拭えないが涙を堪えられるようになったようだ。

そしてたまに頬をゆるめているところを見かけるようにもなった。

 札幌へ帰る前に東京では良くいく上野駅近くのゲーセンを覗くと、根島と目が合ってしまった。

「あれ、田口さんどうしたの?」

「根島さんこそどうしてこんな所に?」

「こっちに実家あって次の土曜日まで休みなんだ。田口さんは?」

「ちょっと友人の息子さんの葬儀で明日帰るんだけど、ちょっとその前に遊んでくかなって……」

「そう、ちょいとバトルする?」

「えぇ良いわよ」

裕子はゆっくり寝てもいなかったのであっさり負けてしまった。

「今日は調子悪そうだねぇ」

「えぇあんまり寝てないの」

「じゃ止めて飯でも食わない?」

ふたりで近くの居酒屋へ行った。

「俺は物理やっててさ数年前に佐田って博士が唱えた新理論に心酔しちゃってね。応援したいんだけど一流の学者で否定するひとも多いんだよ。国だってもっと佐田博士に資金出してあげてさ、何処にでも存在する無限のエネルギーを活用したら、温暖化とか二酸化炭素がどうのって騒がなくても良いのにさ……」

珍しく根島が専門の話をしだした。酔ったのだろうか?

でも佐田博士の味方だっていうから信用できるひとなのかもしれない……そんな風に裕子は思いながら根島の話を聞いていた。

 確かに根島のいうように国の援助があったらもっと大型の飛行実験もできるだろうし、自動車や船などの実験もできるわねぇと思う。

「政府は何十年もの間不正な金の問題で騒がれて、肝心なところへ目が行ってないんだよ。俺と同じ考えの人が二十名ほど集まって何か行動を起そうって話し合ってるんだ。裕子さんもそう思わないか?」

「えぇそう思うわ。私、佐田博士のところで働いてるけどすばらしい博士よ。頭が良いっていうだけじゃなくって人としても良い方よ。もっと国には応援して欲しいと思うわね」

「へぇ裕子さん佐田博士のとこで働いてんの。凄いね」

「いえ、ゲーセンで友達とバトルやってたらスカウトされたのよ、操縦士で働かないかって」

「操縦士? って何の?」

「あっごめんなさい。それ言っちゃいけなかったんだ……忘れて」

「ふーん、何か秘密の有る女って魅力感じちゃうなぁ……」

そう言ってジョッキを握っている裕子の右手を握ってくる。

ドキッとしたが「ダメですよ根島さん」そう言って左手でその手を押しのける。

「でも、ひとりでテストとかするのは大変でしょう。休みなんかもらえるの?」

根島は何事も無かったかのように話を続ける。

「そこは博士も考えていてくれてふたりでやってるの。それに基本土日祭日は休みだし、年休もちゃんとあるのよ」

「おー良いねぇ。俺なんか研究の区切りがつくまで休み無しだから、こうやってたまに纏めて休んでゲーム三昧するのさ」

「あらそれも良いんじゃないかしら、休まなきゃいけないって言うのも集中したいときには邪魔になることもあるから」

「裕子さんシャンプー特別なもの使ってる?」

裕子の言葉に返事もせずに変な事を聞いて来る。

「いえ、ホテルにあったシャンプーよ。匂い変?」

「ちょっと頭こっちに出して」

裕子が言う通りにすると、根島は髪の毛をさらっと触って「あぁ良い匂いだ。いいホテルに泊まってるんだね……あれっイヤリング可愛いね。髪で見えなくって気付かなかった」

イヤリングをつまんで見るとき、裕子の耳たぶにも触る。

ピリッと電気が走って慌てて首を引っ込める。

「あっごめん、嫌だった?」

裕子は耳たぶが真っ赤になるのを感じて恥ずかしかった。忘れていた感触だった。

「あっ口元にタレついてるよ」

言われて裕子は慌ててティッシュで拭う。

「いや、まだだ。どれ……」

そう言って根島は手を伸ばして裕子の唇を触るか触らないか程度にさっと拭う。

またぴくっと反応してしまった。

「あぁ取れたわ。次何飲む? 俺はビールで良いかな」

そう言われて裕子もビールを頼んだ。

……

どの位いたのか分からなくなっていた。確りしていた積りだったが足下が覚束なくて根島に肩を抱かれながら歩いた。

行先も言わないまま「ここだよ」と言われて入ってから気付いた。

ドアを閉めると優しく抱きしめられ唇を奪われた。

ソフトに軽いキスだった。

唇が離れたと思ったら少し強めに唇を重ねてくる。そしてまた離れて唇に根島の舌先が優しく触れてきた。

……長い時間があって、いつの間にか下着姿にされベッドに寝かされていた。

根島のタッチはどこまでも優しい……。

 

 ホテルの部屋に戻ったのは真夜中を過ぎていた。夢だったのか良く分からなかったが、身体に明らかな違和感がある。

着替えもできず倒れるように寝入ってしまった。

 

 札幌でも待ち合わせをする様になった。

何回か関係を続けているうち気を許してしまい研究所の仕事のことを話してしまう。

<かぶと虫>の機能や性能についてもベッドの中で話した。

「そうなの、難しいんだね。俺にも操縦できるかな?」

「ふふふ、根島さんなら大丈夫よ。私何回か練習したら飛ばすだけならできたもの。バトルはちょっと時間かかったけどね」

裕子がそう言った時、根島が見たこともない不気味な薄笑いを口元に浮かべたのに気付いて、背筋に走るぞくっとした悪寒が、年甲斐もなく恋に現を抜かし高熱を発していた心臓を一気に冷やして、脳細胞が冷静に自分を観察し、男の色気に負けて喋ってしまったことを気付かせ、慚愧にたえなかった。

 

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