第5話 家族旅行

 東京の浅草ひさご通りに事務所を構える探偵岡引一心(おかびき・いっしん)は、妻の静(しずか)、長男の数馬(かずま)、妹の美紗(みさ)、それと訳あって同居している甥子の一助(いちすけ)を引きつれて、初めての北海道旅行に挑んでいる。

 千歳空港でキャンピングカーをレンタルし定山渓温泉で一泊した後、羊蹄山の裾野を半周してニセコ町を抜け、日本海に面する寿都町で民泊する。

その後日本海沿岸を走り江差を通って函館に泊まる。

翌日は太平洋側を走り洞爺湖で一泊して、支笏湖へ行く途中にある大滝のキノコ王国に寄った後、太平洋に面する白老町のウポポイに寄ろうとして道道八十六号線を走っている時に事件が起きた。

 この先は苫小牧経由で最終目的地の支笏湖で泊まるという北海道中央から西部を巡る計画だった。

五泊六日の旅だが北海道は広いし観たい食べたいものが多過ぎる。恐らく三分の一も回れていない。

 海鮮物は東京と同じものとは思えない程美味しい。味を説明すると東京でも同じ事にはなるが、この美味しさは食べてみなければ分からないだろう。一言でいえば新鮮。

野菜も全然美味しい。ちょっと時期を外したがキノコの天麩羅蕎麦は想像を絶する。何処の店も観光客で一杯でみんな笑顔で「美味しい」という言葉以外、一心は聞いたことが無い。

 

 その事件とは、キノコ王国から白老に向かう途中の山中でガソリン切れしたことだ。

たまたま佐田研究所という看板を見つけて、美紗にハンドルを握らせ残り四人で重たいキャンピングカーを押して数百メートル、道道を曲がると緩やかな上り坂になっている。

「一心、登りじゃん。無理無理諦めよう」

長男のくせに根性の足りない数馬は、資格を持った鍵師でもある。

だが、体力は父親の一心に習って全然だ。

「数馬、お気張りや。こんところでじっとしていられまへんやろ」

気合を入れるのはいつも妻の静の役割。

父親の言う事には反発する数馬も母親には逆らえない。

何故って、静はプロからスカウトされるほどのボクサーなのだ。

普段着は着物で京都弁を操り優しい雰囲気を醸し出しているのだが、一旦怒らせると目を三角にし眉を吊り上げ、岡引一族で言うところの「ボクサー色の目」になると殺されるかもしれない。実際、過去の事件絡みで闇金に乗り込んで刃物や銃を持つ輩十名ほどを五分もかからず全員<KO>した実績があるのだ。一緒にいた一心はぴくりとも身体を動かせなかった。

 

 美紗以外は全員汗だくで同所の門に辿り着く。

インターホンも無く一心がちょっと押してみたら金網製の門扉が動いたので取り敢えず車を門の中に入れて止め、建物の玄関に向かう。

守衛だという制服姿の高齢の男性がドアを開けてくれた。

事情を話すと「ちょっと待ってて」と言って姿を消し、少ししてから「どうぞ」と招き入れてくれた。

二階に案内された。

そこは会議室風な感じで言われるまま適当に椅子に座って待つ。

程無く研究所の佐田所長と中原というふたりの博士が応対してくれた。

事情を話すと守衛にガソリンの手配をさせるので、二、三時間ここで寛いでいてと言われた。

そして自販機のコーヒーをテーブルに並べてくれた。

「ここではどんな研究をしてるのですか?」

余計な事を聞いてしまったと一心はあとで後悔することになる。

「えぇちょっと難しい話なんですが……今、宇宙空間と言ってる……」

佐田博士が話し始めてから一時間ほど一心にはちんぷんかんぷんな話が続いた。

「……それで、一点に集まったエネルギーが百四十億年ほど前に大爆発して現在の我々のいる宇宙が出来てるんですね。……」

美紗だけが興味があるのか目を輝かさせて頷いている。

その反応を見て博士の話はまだまだ続く。

「……その過程で、相転移が起きて爆発的に宇宙は広がるんですが、それを人工的に起して物体を飛行させたのが、<かぶと虫>という飛行する物体で、その燃費効率はジェット燃料などより遥かに大きく最大限に使うと光速度を超えてしまうんですよ。それで……」

話の途中で「その<かぶと虫>を操縦させてもらえんか?」

一助は大学こそ出てはいないが車から船舶、航空機まで物凄い数の免許を持っている二十五歳なのだ。

ただ、喋りがちょっと……。

あらゆる運転に興味があるのでその虫も操縦したいと思ったのだろう。

「良いですよ。ちょっとなれないと難しいと思うけど、テスト機があるから、どうぞ……」

そう言って中原博士が立ち上がって一助を階下へ促す。

数馬と静がついて行った。話を聞くのが辛くなったのだろう。

その後も佐田博士の話を美紗とふたり聞かされた。

――

「……では、当然に宇宙の果ては? と疑問が起きますよね。……我々はその外には空間を作る素粒子しか存在しない<空間>が果てしなく続き、その向こうには別の宇宙が存在すると考えているんです。でも、その<空間>はエネルギーゼロつまり絶対温度零度、摂氏で言うとおよそマイナス二百七十三度以下の極超低温の世界で、人間は勿論、素粒子でさえ互いの結びつくためのエネルギーを奪われ分裂しちゃうんです。我々は絶対温度のことを記号で<K>と書いて<ケルビン>と言うので、<ゼロケルビン空間>と呼んでいます。

なので、その<ゼロケルビン空間>を通り抜けることは出来ないんです。超光速ロケットが出来たとしてもバラバラに分解されてしまうからです……」

――

 博士の話は続いていたが、一時間ほどして一助らと中原教授が戻ってきた。

一心は、内心助かったぁーと思い、一助に心の中で手を合わせた。

「すごいテスト機だ。<かぶと虫>は速い割りに小回りが利くし、レーザー光線を内蔵してて、その威力が凄いんだぜ」

一助は目を輝かせて言う。

「一助さんは飛行技術がすごいですね。あっという間に使いこなしたんで驚きました」

中原博士はそう言って笑う。

「いやー、操縦士として欲しいなぁ」と中原博士。

言われて一助は照れ笑いする。

「あっそう言えば、関係ないかもだけど、中原博士……」一助がまじな顔を向けて呼びかける。

「何でしょ?」

「<かぶと虫>を飛ばしてる時、ちらっと金網の外に変な男が双眼鏡でこっちを見てたの気付いた?」

中原博士は、えっと言う顔をしてかぶりを振って佐田博士に視線を送った。

「なんか、実験を観察っていうか監視っていうかそんなんで、俺がそっちをじろりと見たらさ、なんか慌てた感じで姿を消したんだけど、この実験ってなにか秘密なの?」

一助が言うと佐田博士が答える。

「そんなことは無いんだけど、<かぶと虫>を飛ばすのにスペシオンをスペシーノに相転移したときに発生する力を使ってるんだけど、それが新エネルギーなんだよ。でも、外から見てもそんな事分からないはずだけどなぁ……」

「ふーん、良く分かんないけどさ、なんか気を付けた方がいい様な気がするぜ」

一助がそう言うので、一心が付け加えた。

「儲かる話なら情報を盗もうとする輩は多いから、博士ホントに気を付けた方が良い」

佐田博士と中原博士は目を交わして首肯した。

そして佐田博士が時計を見て

「あぁ随分話しちゃったなぁ、岡引さん退屈だったでしょう。娘さんは興味ありそうだったけど」

そう言って微笑んだ。

「あっ、いや、ははは、ばれましたか、申し訳ない」と一心は頭を掻く。

「私は面白いと思って聞いてました。そのエネルギーの使い方次第で温暖化問題なんて割と簡単に解決できちゃうんじゃ無いかしら……」

一心は驚いた。あの美紗が普通の女の子みたいな言葉を口にしている!

「そういうことです。が、逆に兵器で使おうとしたら恐ろしい武器にもなり得ます」

佐田博士が言って中原博士も頷いた。

「私もバルドローンにそれ導入したいなぁ。そしたら何処までも飛べるし、もっと色んなことに使える気がする」

美紗は涎を垂らさんばかりに佐田博士を見詰めて言った。

「えっ、バルドローンって?」佐田博士が首を傾げて訊く。

「あぁ、私が作ったモーター付のハングライダーみたいなもんです」

「なるほど、それなら新エネルギーは役立つでしょうね。まぁ何年か待っててください」

……

 

 さらに一時間ほどが経過して、インターホンが鳴る。

「あっ来たんじゃないか?」数馬が階下に走ってゆく。

玄関付近で話し声が聞こえて数馬が階段を駆け上がってくる。

「一心、ガソリン来たから行こう」

「おう」

一心は礼を尽くして研究所を後にした。

道道に出る直前に一台の乗用車が停まっていた。

何となく気になって車を停めて運転席の窓ガラスをノックして「どうしました?」と声を掛ける。

男は返事をせずに「お前たちこそここで何をしてたんだ?」と訊き返してきた。

ガス欠の話をすると男らは鼻で笑って「さっさと消えろ!」

ドスを利かせ見下げた言い方をする。

ムッときたがこんなところで大人げないと思い黙って車に戻る。

「あんたはん、なんや怪しおますなぁ。せんせに言っといたほうがえぇちゃいますか?」

静に言われスマホを手にした。

 

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