第1話 出合

 ある日、札幌の北道大学物理学部に佐田教授宛ての封書が届いた。

朝一の講義が終わって教授室に戻った佐田は自分で淹れたインスタントのコーヒーを啜りながら席に着こうとして机の上の封書に気付く。

手を伸ばして封を開けると<佐田・中原理論>の実証実験を支援したいという内容の手紙が入っていた。

差出人は庵幸二郎(いおり・こうじろう)という茶道の家元となっている。

日本最高レベルの日邦大学の物理学研究室で宇宙物理学の一分野を研究していたが代々受け継がれてきた茶道「庵流」を継ぐためその道を諦めた、と書かれている。

 理論は机の上でも考えられるが、中原教授の実験はそうはいかない。

佐田は北海道の太平洋側西部にある白老町の山中で樽前山の裾野に百ヘクタールの土地を所有、その所有地に佐田研究所を建て、飛行実験のために山林を伐採し、大型の機械類を運び入れるためには道路が狭く空輸するしかないので、敷地内にヘリが離着陸できるスペースを整備した。

ここまでは自己資金や国の補助で出来たのだが、機器の製造等は業者見積で億単位の、それも二桁の資金が必要とされたため国の補助金だけでは賄えず支援企業を探していたのだった。

願ってもない話に早速中原博士に相談する。

「願ってもない話だが、問題は権利関係をどうしたいかじゃないかな?」中原博士が言う。

「相転移技術は特許を申請中だから問題ないが、機器を売買したいとか言い出したらな……」

「それに投資しても配当金とかないし……その辺勘違いしてるかもな」

「まぁ一度会って話だけでもしてみるか」

……

 

 結局、佐田と中原博士は東京の渋谷にあるという庵の別宅を訪問することになった。

北道大学で待ち合わせしてタクシーで札幌駅まで十五分、そこから千歳空港までは快速エアーポートで約四十分。

羽田までは一時間四十五分、そこからモノレールと電車を乗り継いで渋谷までは凡そ四十分。

札幌九時の待ち合わせで渋谷駅を出たのが午後一時半。そこから庵別邸まではタクシーで十分の距離である。

 庵の自宅は石川県の金沢市内らしい。全国に数十に上る教室を持っていると言う。

渋谷の別宅は武家屋敷を思わせるような門構え、インターホンを鳴らし家政婦さんに応接室へと案内される。

玄関、廊下、室内のどこをとっても純日本的で如何にも茶道家という感じがする佇まいだ。

ゆったりとした応接室のソファから眺める窓外の庭は、京都に見られるような水を使わず石や砂などで山水を表現した日本庭園のひとつに上げられる枯山水庭園として造られているようだ。石庭と言った方が良いのだろうか。

日本茶を啜っているとほどなく庵幸二郎本人が和服姿で現れた。

佐田と同年代か少し上といった感じの物腰の柔らかい品のある紳士だ。

一通りの挨拶を交わして佐田が口火を切る。

「お手紙の投資についてお話を……」

そこまで言うと庵が「若い頃、物理学を専攻してまして、特に宇宙について興味があって……」

と口を挟んでくる。聞いているとどうやら庵は金儲けには興味はなさそうだ。

「投資に対する見返りというか、利益となるようなものは無いのですが……」

佐田が思い切って言ってみる。

普通の投資家なら見返りを期待しているはずなので、話はここで終わってしまう。その覚悟はしていた。

「ははは、結構です。わたしは、博士らの研究を支援したいと手紙に書きました。投資するとは書いていません。この意味わかりますよね?」

そう言って庵はふたりを眺めて反応を待っているようだ。

佐田は中原博士と目を合わせて「そうですか、良かった。庵さんならこの研究の重大性やリスクをご理解いただけると思うのですが、我々一番の心配事は兵器への転用なんです。平和的エネルギー源として広めたいんですよ」

「わたしも、そう考えたので腹に一物を隠し持つ輩が投資する前にお手伝いしたいと急ぎお手紙にした訳です」

……

 大まかな話が済むと、奥さんとふたりの娘さんが姿を見せた。

二人とも母親似の小柄で背筋の綺麗な美人だ。日常的に着物を着ているらしい。

 庵自身は金沢の教室で指導しているので渋谷と毎週行き来しているようだが、妻の愛葉(あいは)と長女の華蓮(かれん)と次女の愛蓮(あいれん)は渋谷の教室で指導しているので渋谷に常駐している。

千坪はあるだろう土地に敷地面積百坪の二階建て教室兼居宅。それとは別棟で未使用のアパート風建物がその奥に見えている。

昔はそこに住み込みの、所謂内弟子がいたらしいが、時代と共にそう言った弟子は採らなくなったと言う。

娘二人はまだ二十歳を過ぎたばかり、特に妹は中学、高校とぐれて悪い仲間と付き合っていたらしいが学校の卒業と同時に悪仲間との付き合いも卒業して、進学はせずに茶道の道を選んだと言う。

何かきっかけはあったのだろうが庵はそれを口にはしなかった。

長女の華蓮は小学生の頃から茶道の道へ進みたいと自らが言って修行をしていたようで、中学生で庵流での最高段位を取得し高校生で師範の免許を取得したと言う。

そんな話をしていると庵が「華蓮、おふたりにお茶でも立ててあげなさい」と言う。

お茶なら今頂いていると言おうとして、はたと気付いた。お茶とは抹茶の事だ。

「いやぁ私頂いた経験が無いもので……」中原博士がそう言ったので、佐田も「私も同じです」と付け加えるように言った。

「それでも、話の種にでも……」そう言って庵が腰を上げて茶室へ案内すると言うので、仕方なく顔を見合わせて後について行った。

 テレビドラマでしか見たことのない茶室に入り、言われるまま座布団に正座する。

長女の立てた抹茶を作法をひとつひとつ教えられながら飲んだ。が、決して美味しいものだとは思えずふたり目を合わせて苦笑いした。

その顔を見て華蓮が可愛らしくくすくすと笑う。

庵も「初めてだと美味しいとは思えないのでしょうが、慣れてくるとそれなりに味わい深いものなんです」と笑顔一杯に言う。

奥さんも口元を隠しながら笑っている。

 

 夜は近くの料理屋でご馳走になり話は纏まったのだった。

庵は自己資産は恐らく数百億はあるだろうと言う。その内の十億程度なら何の問題も無いと言ってくれた。

物理学のかなり難しい部分まで突っ込んで質問がなされ、その受け答えを聞いたうえで庵は資金提供を約束してくれた。

そして、機器受注先への信用供与のため佐田研究所の口座に五億円を振込むので確認後発注して欲しいと言ってくれた。

佐田も中原博士も幾度も頭を下げて謝意を示す。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る