第6話 幼稚な嘘

 四時限目の終了を示すチャイムが鳴り響く。

 

「終わっっ…たぁ…」

「涼太〜一緒に飯食おうぜぇー?」

「おう健。そうだな、今日はお前と食べるか。」


 健に昼飯に誘われたので快諾した。すると、健はガッツポーズを取る。


「よっしゃ、ぼっち飯回避!」

「お前友達たくさんいるだろ…」


 健はクラスカーストでは上位に位置するクラスのリーダー格。お昼ご飯のお供なんて、募集したら立候補の嵐が巻き起こるだろう。

 一人で食べたい気分で、何回か断ったこともあるが、こうして何度も友達としてご飯に誘ってくれる健にはいつも感謝している。

 そう言うわけで、移動のため、席を立とうとした。その時、


「秋山くん?ちょっといいかしら?」

「九条さん…?」


 九条さんが話しかけてきた。珍しい。いつも学校ではそこまでコンタクトを取ってはいないのに。

 

「先ほど理科の永沢先生から伝言があって、理科室にきてほしいとのことですわ。」

「まじか。なんか出してない宿題があったのかな…」

「大丈夫か、涼太?永沢先生に呼び出しって、どんな犯罪したんだ…?」

「いやそこまでではないわ。ってわけで、ちょっと昼飯食えないかも。」

「呼び出しはしょうがないもんなぁ。寂しくぼっち飯しとくよ。」


 健はわざとらしく袖を目に当てて、悲しそうに言うが、きっと10秒後には他のクラスメイトに声をかけているだろう。健はそう言うやつだ。

 とりあえず、理科室に向かおうか。俺は席を立って、後ろの側の扉から教室を出る。

 すると、何故か九条さんも後ろについてきた。お弁当をわざわざ両手で抱えて。


「…九条さん?どうしてついてきたんだ?」

「へ⁉︎ あ、いや、これは…そう、私も呼び出されてて…」

「九条さんも?珍しいな。じゃあ一緒に行くか。」

「え、えぇ…」


 妙に声を裏返しながら返答してくる九条さんに首を傾げつつも、俺は理科室へと向かった。


 理科室のネームプレートが視界に入る。そのまま、プレートの下のドアを引いた。

 理科室を象徴する黒のテーブルや、綺麗に消しきれていないため、白い模様が浮かんだ緑の黒板には、言い得ぬ妙な安心感をうけた。

 黒いカーテンの合間を縫って降り注ぐ昼の長閑な日差しに照らされて、微かに埃が漂っているのか見える。きっと、ここの掃除当番はあまり丹念に清掃をしていないのだろう。だがこういう特別教室の掃除当番は、普段よく見る教室の掃除と違って、非日常に潜り込んだ気がしてワクワクするものだ。掃除が疎かになるのはよくないことだが、俺も気持ちはわかる。土日の間は掃除をしなかった、というのもあるだろう。

 しかし、肝心の永沢先生は見当たらず、そこにはただ無人で、落ち着いた世界が広がっているだけだった。


「永沢先生、まだきてないみたいだな。ちょっと座って待ってるか。」

「え、えぇ…」


 緊張している様子の九条さんを引き連れて、窓側の、日差しが当たる黒机に向かう。背もたれがない木製のスツールに腰掛けて、永沢先生の到着を待つことにした。九条さんも向かいのスツールへと腰掛ける。

 それにしても、ここまで顔を強張らせている九条さんは珍しい。学校では高飛車で、もっと虚勢を張っているはずなのだが、今は俺と2人きりだからか、借りてきた猫のように縮こまり、顔を赤らめていた。どうやら相当緊張しているらしい。


「あ、あの…秋山くん…」

「ん? どうした?」


 向かいに座っていた九条さんがこちらを向いて、不意に話しかけてくる。窓外の蒼を眺めていた俺が、呼びかけに気づいて振り向くと、九条さんと目が合った。2、3秒見つめあった後、九条さんは頬を苺色に染めて目線を逸らしてしまった。そんな初心な姿に、思わず笑ってしまう。


「な、何かおかしなことした…?」

「いや、そんなことない。」

「そ、そう…?」


 俺の返答に少し不満げな表情を見せる九条さん。学校ではなかなか見れない光景に、少し優越感を得る。

 しかし、しばらく待っては見たが、一向に永沢先生は現れない。その代わりに、時間が経つにつれ、九条さんがソワソワし始めた。髪をいじったり、肩を揺らしたりと、怪しげな挙動を見せ始めた。

 言及しないつもりでいたが、そろそろ限界だろう。何せ、少し前から九条さんは、俺の横顔をじっと見つめたまま惚けてしまったのだ。

 はぁ、と深くため息をこぼしつつ、俺は窓の方を向いたまま、九条さんに尋問する。


「…本当のことを言ってくれないと、バイトのことバラす。」

「そ、それは…! ひ、卑怯ですわ…!」

「それで? 何を隠してるんだ?」

「うぅ…」


 少し強めに問いただすと、九条さんはまるでハムスターのように丸くなってしょんぼりとしてしまった。やりすぎたかもしれない。


「わ、悪い。そこまで責めてるわけじゃなくって、その…」

「…です」

「え?」

「だ、だから、先生に呼び出されたっていうのは、私の嘘ですわ…!」


 何故かお嬢様言葉のまま、彼女は声を張り上げてそう主張した。その勢いに圧倒されてしばらくは沈黙したが、すぐに笑みが溢れてしまう。

 正面の九条さんは、羞恥からか、その小柄な顔を赤らめて俺を睨みつけていた。


「わ、笑わないでください…!」

「い、いや、九条さんもそういう嘘つくんだなって…くくっ…」

「ば、バカにしてるんですか!?」

「違う違う、なんだか、すごく九条さんぽくていいな、と。」

「私っぽい…?」

「そうそう。自分を魅せることに、一生懸命な感じが、すごく九条さんらしい。」

 

 彼女の裏に触れて思ったのだ。学校での彼女は、全くと言っていいほど粗が伺えない。つまり、豪華ではない実生活の片鱗を、一切見せないのだ。

 それには、相応の偽装力もとい演技力が必要になる。過度に友人たちと関われば、自宅に招がないとその品性を疑われる、かと言って、まるで目立たないとグループの尊厳を疑われる。

 しかしそれらの問題は、今まで彼女の元から起こったことはない。まさに彼女は、人間関係における達人の間合いを心得ているのだろう。

 そのせいか、彼女はこんな簡単なことにまで余計な気を回してしまう。


「一緒に食べたいならそう言ってくれればいいんだぞ?」

「うぅ…」


 どうやら思っていた通りらしい。彼女は俺と昼食を共にしたかったようだ。


「だ、だって、秋山くん、もう他の人と食べようとしてたじゃない!」

「それなら、明日でも、明後日でも、来週にだって、こっそりと伝えてくれればここで食べたが?」

「で、でも、このお弁当の感想を言えるのは、今日しかないじゃない…」

「別に、それこそ明日でも…」

「よくない!」


 再び、捲し立てられて思わず腰掛けていたスツールの前の脚を浮かす。

 九条さんがここまで激情するのは珍しい。


「これは、秋山くんに作ってもらった『初めて』のお弁当でしょ…? だから、もう2度と帰ってこないのよ?」

「へぇ…意外とロマンチストなんだな。」

「わ、悪い!?」

「別に貶してないが…」


 俺からの言葉に少し過敏になっているらしい九条さんを尻目に、俺は窓の外を見る。さっき見た時より、なんだか空が一層澄んで見えた。


「ねぇ秋山くん!聞いてるの!?」

「はいはい、お嬢様。」

「そ、その呼び方やめて!」

「ごめんごめん。つい。」

「全くもう…」

「それじゃあ、昼飯にするか。」

「…えぇ!」


 そうして、満面の笑みのまま、彼女は三毛猫の風呂敷を開き、弁当箱を取り出した。

 そしてさらにマトリョーシカのように弁当の蓋も開帳する。そして、自慢の作品たちが彼女の前に露わとなった。


「わぁ…!すっごく美味しそう…!」

「そりゃどうも。」


 自分の作ったものが褒められて、俺は素直に嬉しくなる。心があったかい何かで埋められた気がした。

 彼女の弁当箱には、半分に白く輝く米が敷き詰めてある。米の真ん中には梅干しを添えて、伝統的な日の丸をあしらっておいた。

 そして、もう半分にはぎっしりとおかずを詰め込んである。彩り豊かに染められたおかずは、こちらの食欲を確実に促進させてきた。


「そ、それじゃあ…!い、いただきます!」

「どうぞ、召し上がれ。」


 丁寧に合掌して、挨拶をする九条さん。その所作も隅から隅まで整っていて、改めて育ちの良さを感じる。

 そして、九条さんは箸を手に取り、その芸術作品へと手を伸ばす。1番最初に彼女の目に止まったのは、レタスに包まれた小さなハンバーグだった。


「これ、ハンバーグよね…!すごい小さいけど…!」

「一口で食べやすいようにそのサイズにしたんだ。九条さんはそっちの方がいいと思って。」

「…あ、ありがとう。秋山くん…!」


 料理の説明をしたら、何故か九条さんに目を逸らされてしまった。解せぬ。

 しかし、彼女の興味はすぐに箸につままれた小さなハンバーグに向けられる。そして、丁寧にそれを口の中に放った。

 九条さんは、数秒ほど咀嚼したのち、その顔を瞬く星のように煌めかせて感動の意を示す。


「美味しい…!」

「そりゃよかった。」

「本当に美味しいわ…!こんなに小さいのに、中は肉汁で満ち溢れてて、すっごい満足感…!冷め切っているはずなのに、出来立てよりも美味しい気がする…!」

「当たり前だ。冷めるのを前提に、この時間帯に美味しくなるように作ってあるからな。」


 お弁当は冷めるもの。それは常識だ。ならば、冷めても美味しい料理を作ればいい。たったそれだけだ。

 当たり前のことを言ったつもりだったが、何故か九条さんはポカンとした顔でこちらを覗いてくる。


「え、でも、そんなことできるの?」

「? 計算すればわかるだろ。」

「け、計算…?」

「あぁ。旨味成分が失われる速度、温度による平衡、その他諸々の事象を加味して計算すれば、最適な調理法がわかるだろ。」

「…秋山くんって、数学の成績はどれくらいでしたっけ…?」

「なんだ、突然? まぁ、中の下くらいだな。」

「なるほど…これが天才というやつなのね…」


 何故か九条さんに溜め息を吐かれた。さらに解せぬ。

 すると、九条さんが何かに気づいて、俺に声をかける。


「秋山くん、お弁当は?」

「あー、教室に置いてきちまった。先生との話には無粋かなぁと思ったんだよなぁ…」

「な、なんだか言葉に棘がある気がするわ…」

「まぁ、後で食べるとするよ。」


 今から取りに行く、という選択肢はなかった。というより、もっと俺の弁当を食べてコロコロと表情を変える九条さんを見ていたかった。

 九条さんは複雑そうな表情を浮かべたが、すぐに弁当の方に視線を戻す。そして、もう一度ハンバーグを掴み取り、その箸を口元に押し付けた。


 ただし、俺の口元に。


「な、なにしてんだ…!?」

「こ、これは騙したお詫びです!いいから受け取りなさい!」


 無理やり唇をこじ開けられ、その肉汁が詰まった爆弾を舌に乗せる。咀嚼するたびに爆弾は肉汁を迸らせ、脳に快感を与えてきた。

 いや、そんな食レポはどうだっていい。彼女の勢いに押し切られたが、これは…


「あーん、された…」

「い、いちいち口に出さないで…!こっちまで恥ずかしくなってきますわ…」


 もはやお嬢様言葉なのか普段のフランクな言葉なのかわからない混同言語を用いて、九条さんは俺を嗜める。その耳や額は弁当に入っているミニトマトとおんなじ色をしていた。

 こうして、俺は、世の男子が一度は彼女にされてみたいシチュエーションの一端を、この静かな2人きりの理科室で達成したのだった。



「ご馳走様でした。」

「お粗末様でした。」


 九条さんが昼食をとり終わる。結局、あのあーん事件の後、お互いに気まずくなって一言も介さなかった。俺は口に料理を入れるたび蕩けそうになる九条さんを眺めて、高鳴る心臓を誤魔化した。

 お弁当の蓋を閉め、風呂敷で包み込む。理科室に持ち込んだ時の状態へと復元されたお弁当箱は、すっかりと軽くなっていた。


「良ければここで預かるぞ?」

「いえ、洗い物くらいはするわよ。」


 すると突然、目の前の九条さんが立ち上がって俺を見下ろす。そして、深々とお辞儀をした。


「改めてありがとう。とってもおいしかった。」

「いやいや、顔を上げてくれ。そこまでされる必要はない。」

「いえ、あなたの料理は素晴らしかった。これから毎日こんな料理にありつけるなんて贅沢、天国でもできないと思うわ。」


 顔を上げた九条さんは、まるで天使のような微笑みを携えており、その凛とした清廉に、思わず見惚れてしまう。

 先ほどまで彼女が纏っていたあたふたした雰囲気は、どこかへ流れ去ってしまったらしく、今の凛々しい彼女は先程とはまるで別人に見えた。

 胸が痛む。やめてくれ。俺の料理にそんな価値はない。そう思い込んでいたいんだ。


「本当にやめてくれ。頼む。」

「とにかくありがとう。これだけは、ちゃんと伝えたくて。」

「…まぁ、礼は素直を受け取っとく。」


 俺は照れを誤魔化すために窓を向く。さらに日差しが強くなった蒼空に、思わず目を瞑る。さっきは散々彼女の幼稚な嘘を揶揄ったが、実際、慌てるとこういうことしか出来ないということを知った。

 こうして、彼女との昼食は終わりを告げる。そろそろ唾液で流されて忘れかけていた肉の旨みを、何故か今になって思い出した。

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お嬢様は今日も働く 〜お嬢様JKがコンビニでバイトしてたんだが〜 かるら @RebiRa0727

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