第5話 お返しとお弁当と

 「ったく…今日は散々な目にあった…」


 予備校の教室から出て俺はそう呟いた。

 あの後、結局午後の授業を空腹感に苛まれながら受けた。

 多少空腹の方が記憶力が増すと言う研究結果をニュースで見たことがあるが、流石に度を越した空腹には当てはまらないらしい。

 

 「とりあえず、何か腹に入れたい…もうお腹とお腹がくっつきそう…」


 と、疲労困憊で言い間違えにも気付かないほど、俺は空腹という病に侵されていたのだった。

 予備校の最寄りのコンビニで何か買おう。

 そう思い、俺はカバンを背負って、なけなしのエネルギーでコンビニへと向かった。

 コンビニに着いた。俺は自動ドアが開くやいなや、一目散に惣菜パンのコーナーへ直行する。


 「いらっしゃいませー…!?」


 とりあえず、コロッケパン…いや、サンドイッチとかもありか?それとも、パンじゃなくておにぎりにしようか。

 悩んだ末に、コロッケパンとおかかのおにぎりを買うことにした。

 レジの前に商品を持っていくと、店員さんが手慣れた動作でレジ袋に詰めてくれる。

 しかし、なぜか頼んでいないアメリカンドッグやら唐揚げ棒やらの保温コーナーの商品を入れてきた。


 「あの…頼んでないんですけど…」

 「ん?気づいてないの?私よ。九条麗華。」

 「へ…?」


 目の前の店員は九条さんだった。空腹と目の前のご馳走に気を取られて気づかなかった。

 しかし、目の前の店員が彼女であることと、買ってもいない商品を追加されることにはまるで関連性がない。


 「けど、俺これ頼んでないぞ?」

 「お昼ご飯、私が食べちゃったから。そのお詫び。私の奢りよ。ついでにこのおにぎりとかも私が払っておいてあげる。」

 「え、別にそんな。そこまでしてもらう必要は…」

 「これは私のけじめ。秋山くんがどう言おうと、私は受けた恩は必ず形で返す主義なの。」

 「や、でも…」

 「いいから。はい。どうぞ。」


 俺は商品が入ったレジ袋を手渡される。九条さんは会話しながらも完璧に袋詰め作業をこなしていた。

 しかし、流石にこれではもらいすぎな気がする。弁当一つが、保温コーナーの惣菜プラスαになるなんて、あまりにも釣り合いがとれていない。

 しかし、彼女はもう会話する気もないらしく、「ほら、次のお客さん来てるから。」と反論の隙も与えず、俺をレジ前からどかしてしまう。

 仕方なく俺はコンビニから退散することにした。もらったレジ袋から適当に何か取り出す。取り出したのは唐揚げ棒だった。

 包み紙を取り、一つ唐揚げを頬張る。ジャンキーな肉汁とカリカリした衣を口の中で堪能しながら、少しだけ軽くなった足取りで家路を辿るのだった。



 翌日、朝5時半。

 ほとんど聞こえないボリュームでセットしたアラームが鳴り、俺は布団からむっくりと起き上がる。力を振り絞って暖かい布団の誘惑を振り切り、カーテンを開けてまだぼやける視界をなんとか覚醒させる。


 「さて、と。」


 隣の部屋で寝ている妹と弟を起こさないように気をつけながら、俺はキッチンへと向かう。

 その途中、テーブルの上に書き置きがあった。それを手に取って見てみる。


 「今日も遅くなると思います。ごめんね。」


 という言葉と、可愛らしい絵文字が添えられていた。母さんの文字だ。俺は小さくりょーかい、と呟き、メモを元あった場所に置き直した。

 俺は改めてキッチンに向き直す。そして、両手で頬を叩いた。

 ここは俺なりの戦場だ。食事の質はモチベーションに影響する。妹たちに今日1日を健やかに過ごしてもらうためにも、手は抜けない。

 それに、今日からはもう1人。

 もう一つのお弁当箱を用意しながら俺は九条さんのことを考える。

 そういえば、彼女ば1年間ここに住んでいると言っていた。その割には登校や下校の時に彼女と遭遇した記憶はない。

 俺は思案する。そして、一つの可能性を考える。


 「急いで作るか。」


 俺はフライパンを持ち、年季の入ったガスコンロへとセットした。


 朝6時半。


 「にぃちゃーん…おはよー…」

 「おう、瑠奈。おはよ。ちょっと座って待っててくれ。」

 「んー…。」


 妹の瑠奈が起床して、寝ぼけ眼を擦りながら俺に挨拶する。瑠奈は朝に弱いから、いつもは弟の翔太が先に起きてくるのに。今日は珍しい。

 そして、瑠奈が起きて10秒も経たずに翔太も起きてきた。


 「おはよー!にぃに!」

 「おはよ翔太。朝から元気でよろしい!」

 「うん!」


 翔太はまさに元気溌剌といった様子で、テーブルに向かっていった。子供の体力には驚かされるばかりだ。羨ましいものだ。

 俺はフライパンに視線を戻す。ジュージューと美味しそうな舞踏曲を奏で、卵とベーコンがフライパンの上を踊っているようだ。

 そろそろ時間だと思い、俺はコンロを止める。さらにちょうど、トースターからチン、と音がして、パンが香ばしい小麦色になった。

 パンを白皿に取り、バターを塗る。黄色い朝の金塊が、ジワジワと溶けていく様は何度見ても飽きない。

 バターを満遍なく染み込ませたら、フライパンの上の踊り子たちをパンの上のステージへと移動させる。

 お手製ベーコンエッグトーストの完成だ。

 あとはプチトマトを添えて、彩りを賄った後、2人の元へ朝食を運んで行った。


 「おまちどうさま。」

 「ありがと。にぃちゃん。」

 「おいしそー!にぃに、ありがとー!」


 いつも大袈裟な反応をしてくれる涼太に思わず笑ってしまう。同時に、少し心が軋んだ気がした。

 俺は気のせいだと見て見ぬ振りをして、キッチンに戻る。白米を詰めて冷ましておいたお弁当箱に蓋をする。冷ます前に蓋をすると、熱気で米や他の具材がびちゃびちゃになってしまうのだ。

 食感を楽しむのも食事の醍醐味だ。お弁当には、元々の料理のポテンシャルを損なわないようにさまざまな工夫がなされている。

 1番わかりやすい例で言うと、よく揚げ物の下に敷かれているパスタだろう。あれは、時間経過による油の流失を防ぎ、他の品に影響を及ぼさないようにしているのだ。

 俺はそんな先人の知恵に毎度感銘を受けずにはいられない。ご飯に蓋をするその瞬間、決まっていつも感慨深い気持ちが心を覆う。

 俺はキッチン下の収納棚から、風呂敷を取り出す。瑠奈には、可愛いパンダがたくさん描かれたもの。翔太には、飛行機の絵柄がついたもの。そして、九条さんには…これかな。

 選んだ風呂敷でお弁当を包む。今日は綺麗に蝶々結びができて、少し嬉しく思った。


 「ご馳走様。」

 「ごちそーさま!」


 ちょうど2人も食事を終えたみたいだ。俺は2人のお弁当を持ってテーブルへと向かった。


 「これ、お弁当な。」

 「ありがとにぃちゃん。」

 「ありがとー!」

 

 そういうと、2人は会話しながら寝室兼自室へと戻っていく。2人とも学校に行く支度をするのだろう。

 俺は2人がさった後のテーブルに座り、自分の分の朝食を取る。うん。我ながらいい出来だ。

 鳥の囀りが聞こえる。ふと窓を向くと、朝の日差しが穏やかに窓から差し込んでいて、心を癒してくれた。多分だけど、今日もきっと頑張れる気がした。


 妹たちを見送った後、俺はキッチンに置いたままの二つのお弁当のうち、もう一つを持ってお隣さんのドアに向かう。

 インターホンを鳴らす。すぐに中から「はーい!」と言う声が聞こえ、扉が開かれる。学校でよく見るウェーブが髪の右半分にだけかかった九条さんが出てきた。


 「秋山くん!?どうしてうちに?」

 「忘れたのか?ほれ。お弁当。」

 「え、あ…そうだったわね。」


 どうやら昨日の約束を一瞬忘れていたらしい。まぁ女性の支度には時間がかかるし、仕方ないだろう。

 しかし、俺達の学校の授業開始は8時半。現在の時刻は7時12分。ここから歩いて学校に行っても、10分とかからずに着くはずだ。いくら女子の支度に時間がかかるとはいえ、いささか時間が早すぎる。

 だが、俺にはその理由に予想がついている。

 きっと、彼女のプライドが主な要因だ。こんな家に住んでいることを万が一にでも知られないように、登校する生徒が少ない時間帯に家を発つのだろう。

 だんだんと九条さんのことがわかってきた気がした。


 「味はまた理科室で聞かせてくれ。じゃあ俺も支度してから出るから。また学校でな。」

 「う、うん…ねぇ!秋山くん!」

 「ん?どうした?」


 急に呼び止められる。なんだろう。お礼とかだろうか。別に気にしなくてもいいのに。


 「秋山くんは、どうして私の素顔を知っても普通に接してくれるの…?」

 「え?」


 思ってもいない質問に、少し戸惑う。でも、自分でも驚くほどすぐに答えが声に出た。


 「眩しいから。」

 「眩しい…?こんな惨めな生活をしている私が…?」

 「いや、だからこそだ。俺は、どんな劣悪な環境に身を置こうとも、自分にできることを精一杯頑張っている今の九条さんが輝いて見えるよ。」


 彼女は言うなれば夜空の三等星。一等星や二等星に輝きでは劣っていようとも、その光を絶やすことはない。自身の星としてのプライドを誇示すべく、懸命に輝く姿のようだ。

 そんな姿を、俺はとても好ましく思った。泥まみれになりながらも足掻く様は、とても人間らしいと思う。

 それに、俺にはないものだ。


 「…そう、かしら。」

 「おう。じゃあ、俺も準備あるから。また学校でな。」


 九条さんからの返事を待たずに、俺は自宅へと戻る。

 デフォルメされた三毛猫が刺繍された風呂敷に包まれたお弁当箱を、顔を仄かに赤く染めながら、より一層強く抱き抱えた九条さんに俺が気づくことはなかった。

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