第34話 最終話

いろいろあったのだが、正当防衛が認められた僕は判事から無罪を宣告された。

 警備兵団の留置場に入れられて十日目のことである。

牢獄暮らしは大変だったけど、これでようやく外にでられるだろう。

 僕が留置場にいる間、ノイマ先輩は一日も欠かさず面会に来てくれて、食べ物や着替えなどを差し入れてくれた。

 面会時間は一回につき三分くらいのものだったけど、それでも先輩の顔が見られるだけで勇気づけられた。

 僕はこの人が好きだ、改めてそう感じたよ。

 ここから出られたら勇気を出して先輩に告白しよう、そう決めて出所の日をまった。

 そして、運命の日はやってきた。


 警備兵団の建物から外に出ると季節はすっかり夏らしくなっていた。

街路樹の上では無数の蝉がうるさく鳴いている。

 薄暗い牢獄に慣れた眼球にこの紫外線はきつすぎる。

 世界がまぶしすぎて目がくらんでしまうほどだった。


「コウガ君……」


 先輩の声が聞こえるけど、姿は光に包まれていてぼやけている。

 この人はいつだってまぶしいけど、僕はしっかり先輩の姿を見つめたい。

 しばらくすると視界がはっきりしてきた。


「先輩……」


 まぶしすぎる光の中でノイマ先輩が泣きながら笑っていた。


「コウガ君! うわあああああん」


僕の胸に飛び込んできた先輩をしっかりと抱き留めた。


「先輩、いろいろとご心配をおかけしました」

「もういいっス。こうして無事に戻ってきたんだから。ムショの飯は不味かったっスよね。出所祝いのご馳走を用意しているっス。帰って食べるっス!」

 夏と自由に幸あれ!

 先輩の姿と言葉に迎えられ僕はかつてないくらい幸福だった。


先輩のアパートまで帰ってきた。

ここを離れて随分と久しぶりな気がする。

二階の部屋に入ると、紙とインクと先輩の香りが入り混じった懐かしい匂いがした。


「コウガ君が帰ってくるから少し片づけたっス」


 言われてみれば、ダイニングは以前よりもきれいになった気がする。


「そんな気を使わなくてもいいのに」

「久しぶりに会うんだから少しくらい恥じらうっスよ」


 はにかむ先輩はかわいい。


「コウガ君の部屋も掃除をしておいたっスよ。風も通しておいたから住みやすくなっているはずっス」

「ありがとうございます。でも、いいんですか?」

「なにがっスか?」


 僕たちを脅かしていたのはスラッシャーではなくポントラックだったのだ。

 最初の襲撃以来、本物のスラッシャーは姿を見せていない。

 あれは偶発的な事故だったのだろう。

 だとしたら、僕がここに住み続ける理由は亡くなる。


「近いうちに自分の部屋を見つけるつもりです」

「…………」

「先輩?」

「いや、なんというか、寂しくなるなあ……なんて考えていたっス……」


 僕だってここを離れたいわけじゃない。

 でも、ただの先輩と後輩がいつまでも一緒に住み続けるのはおかしいだろう。


「先輩、僕がここに住んでもいいんですか?」

「いいというか、その……いてほしいっス……」


 先輩は視線を逸らして食卓に向けた。

 テーブルの上にはお皿の用意がしてあり、パンやフルーツが並んでいる。

 メインの料理はこれから仕上げるのだろう。

 濃紺と黄緑色のぶどうがやけに美味しそうに見える。

 小さく息を吸って智拳印を結んだ。


「煩悩即菩提」


 通常、このスキルを使うと視野が広くなるが、今回に限っては先輩しか見えなくなってしまった。

 きっと集中力が上がったのだろう。

 智拳印の勇気が僕の背中を押す。


「ノイマ先輩、好きです」


 何の飾りもないストレートな告白だったからだろうか、先輩はその場に固まってしまった。


「先輩、ずっと好きでした。僕と付き合ってください」


 我ながら単純な言葉だと思うけど、僕は畳みかけるように先輩にお願いする。

 先輩は先輩でおたおたしだした。


「あ、あ、あ、あの、私、がさつですよ」

「繊細なところもあります」

「美人じゃないし」

「誰よりもきれいです」

「だらしない体をしているし」

「大好きです」

「も、妄想癖もあるっス」

「ぜんぶ受け入れます」

「それから……それから……」


 自分の短所を探している先輩に僕は訊く。


「僕のこと嫌いですか?」

「…………好きっス……」

「だったら」

「よ、よろしくお願いするっス」


 一連の会話が途切れると、二人して同時に大きなため息をついてしまった。

 そのことがきっかけで僕らに笑顔が戻る。


「ハハ……、なんだか改まると照れるっスね」

「たしかに」

「付き合うことが決まったときにはすでに同棲っスよ。実録タックルズもびっくりのスピード展開っス」


 同棲って単語に心がくすぐられてしまう。

 今までは同棲っていうより同居だったもんなあ。


「さあ、ご飯にするっス! 今日はビーフシチューっスよ!」


 先輩が元気に立ち上がった。

 そして、手伝おうとする僕を手で押しとどめる。


「コウガ君はお風呂っス。料理は私がするから先にさっぱりするといいっス」


 十日間も留置場にいたので僕の体は汚れている。

 先に汗を流した方がいいだろう。


「それじゃあ遠慮なく使わせてもらいます」


 僕は浴室に向かった。

 ここで少し、この世界の一般家庭におけるお風呂について説明しておきたい。

 お風呂と言っても、ここでは浴槽に湯を張るような贅沢はしない。

 そういったものは富裕層の家か、公衆浴場しかないのである。

 あと風俗店とかね。

 大抵の家では一辺が九十センチくらいの正方形をした、排水可能な部屋をお風呂と呼んでいるのだ。

 非常に狭い浴室だけど、そこには魔力を利用する給湯器がある。

それを使って桶に湯を張り、体を洗い清めるのだ。

 石鹸やシャンプーなども存在するけど、値段はけっこうする。

 ちょっとした贅沢品って感じかな。

 家賃を二人で折半しているおかげで、僕たちの生活には余裕がある。

 おかげでシャンプーや石鹸もお風呂にはあった。


 浴室の前で僕は手早く身に着けているものを脱いでいった。

 ただ、どうしても離れないものがひとつある。

 それが妖刀ムラサメだ。

 なにをしても無駄だったから、けっきょく留置場でもずっと一緒だったもんな……。

 こいつを装備しているのにも慣れてきたよ。

 ムラサメを左右の手で持ち替えながら服を脱ぎ、裸になった。


「濡れて錆びても知らないからな」


 文句を言いつつ裸の体にムラサメを背負い浴室に入った。


 桶に湯を張って頭からかぶった。

 少しだけ肌がピリピリするけど気分は最高だ。

 留置場では洗顔の水が配られるだけだったので、髪を洗うのは久しぶりのことである。

 もうね、しばらく洗わないと頭皮は痒いを通り越して痛くなってくるのだ。

 この苦痛から解放されると思うと本当に安心できる。

 シャンプーを手でよく泡立て、髪の毛を洗っていく。

 皮脂のせいかよく泡立たないな。

 一度お湯で洗い流して、もう一度シャンプーを泡立てた。

 うん、今度はよく泡立つぞ。

 やっぱり念入りに洗っておかないとね。

 ほら、あとで先輩と何かあるかもしれないだろう?

 だって、同棲初夜だし……。

 期待に胸を膨らませながら髪を洗っていると、背中に柔らかいものが張り付いた。


 むにゅ


 この感触は……女体?

 まさか、先輩がお風呂に入ってきたのか⁉

 お、おちつけ、落ち着くんだ僕。

 こんな時こそクールにふるまわないと……。


「ど、どうしたんですか、いきなり?」

「主の背中をこすってやろうと思うてな。それとも、もっと別のところをこすられたいかえ?」


 先輩の声じゃない!

 そういえば、背中に当たっているこの感触、先輩にしては控えめだ。

 慌ててお湯をかぶって振り向くと、そこには見知らぬ美女がほほ笑んでいた。

 切りそろえられた毛先の黒髪、切れ長の目、赤い唇。

 ほっそりとした白い体は何も身に着けていない。

 なまじ体が白いだけに唇の赤と、小さく形のよい乳房の上にのった乳首の桃色がやけに目に染みる。


「ど、どちらさまですか⁉」

「何を今さら。ずぅっと一緒であったろうが。安心いたせ、湯を浴びた程度で私は錆びぬ」


 その言葉で合点がいった。


「まさか……ムラサメ?」

「そうじゃ」


 そういえば、背中にあったはずのムラサメが消えている。

 ムラサメは僕の胸筋に指を這わせながら妖艶にうなずいた。

そして僕は改めて自覚する。

なんということだろう、やはり僕は妖刀に憑りつかれてしまったのだ! 

先ほどまでバラ色に輝いていた僕の人生に再び暗雲が立ち込め始めていた。

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実録タックルズ 忍者のジョブをもらった僕は異世界でゴシップ誌の記者をはじめました 長野文三郎 @bunzaburou

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