第33話 決着


 傲然と僕に向き合い、ポントラックは自分の剣を抜いた。


「ポーター風情が俺に勝てると思っているのか?」

「…………」


 まともにやりあっても勝てる見込みはほとんどない。


「コウガ君、逃げるっス! 私のことはもういいからっ!」


 ノイマ先輩が叫んでいる。

 だけど、それだけは絶対にできない。

 先輩がスラッシャーに襲われたのは偶然だけど、ポントラックとのいざこざに巻き込んでしまったのは僕の責任だ。

 僕にとって唯一幸いなのは、ポントラックが先輩を人質に取らないことだ。

 実力差がありすぎて、僕に負けるなんて少しも考えていないのだろう。


「感心、感心、逃げ出さないのは偉いぜ」


じりじりと間合いを詰めながらポントラックはせせら笑う。


「安心しろ、お前もすぐには殺さねえ。まずは動けねえ程度に痛めつけてやる。そこで血を流しながら、大切な女が俺にヤられるのをじっくり見ながら死んでいきな」


 唸りを上げて振り下ろされた剣先が僕の左腕の皮膚を薄く切り裂いた。

 体をひねり何とか致命傷は避けたが、切られたところは焼けるように熱い。

 生まれて初めて経験する刀傷の痛みに加え、戦闘の恐怖が僕の手足を縛っていくようだ。


「どうした、動きが急に硬くなったぞ」


 実戦経験の浅さがもろに露呈していた。

 ダンジョンから脱出するために魔物と戦ったことは何度かある。

 だけど、あのときは逃走の手段として消極的な戦いをしただけだ。

 殺意を持って人間と対峙するのとはわけが違っていた。


「コウガ君、逃げるっス! 君の足なら逃げ切れるでしょう? 二人して死ぬことないっス!」

「どうするよ? お前の先輩はああ言っているぜ」

「……」


 埋めようのない戦闘力の差が僕とポントラックの間には存在する。

 どうすれば、この状況を覆せる?

 考えれば考えるほど焦りは加速する。

 智拳印を結んで落ち着きたいけど、戦闘中ではそんなことすらかなわない。

 目の前には強力な敵、裸で縛られたノイマ先輩、背中ではムラサメがオンオンと不気味な音を立てている。

 いったいどうすればいいんだ!

 ……ムラサメ?

 極限状態で忘れていたけど、そういえば僕はムラサメを装備していた。

 さっきからこいつは僕を誘うように不気味な振動を繰り返している。


 オオン……オオン……オオン……


 呪われた刀が僕にどのような影響を及ぼすかはわからない。

 だけど、このままなす術もなくやられるよりはましだろう。

 後ろに飛んでポントラックとの距離をとった。

 クナイをそのまま地面に捨てる。


「どうした、もう諦めたのか?」


 僕の行動にその場の戦闘の緊張がやや弛緩する。

 その間隙を縫って僕は智拳印を結んだ。


「煩悩即菩提! 先輩……、先輩だけは必ず助けます」

「コウガ君……?」


 ムラサメの柄に手をかけた瞬間、僕の心に訪れたのはえもいわれぬ高揚感だ。

 続いて刀身を引き抜くと、その興奮はたちまち全能感に変わってしまった。

 先ほどまで体を縛っていた恐怖が跡形もなく消えている。

 目の前のポントラックが小物に見えてきたぞ……。

 そんな僕の変化を感じ取ったのだろう、ポントラックが挑発する。


「得物が少々長くなったくらいでいい気になるなよ!」


 それまでは恐怖の対象でしかなかったポントラックだけど、いまやその姿は隙だらけに見える。

 あれ、自分の心が二つに分裂してしまったみたいになっているぞ?

 あとからあとから自信が湧いてきて、ポントラックが哀れなピエロに見えるほどだ。


「屑が、Bランクごときが粋がるなよ」

「なんだと……?」


 豹変した僕に驚いたのはポントラックだけでなく、ノイマ先輩も一緒だった。


「コウガ君?」

「もう少し待っていろ、すぐに助ける。そのときは抱いてやるからな」

「え……?」

「恐怖なんて俺が忘れさせてやる。大丈夫、すぐに終わらせるさ」


 うわっ、僕はなにを言っているんだ⁉

 心にもないことが口をついてでたぞ。

 いや、心にもないというより、僕のもう一人の人格がしゃべっている感じだ。


「このガキが! 俺はAランク冒険者で騎士爵のグイン・ポントラックだぞっ!」


 踏み込んできたポントラックの剣を見切って、下段からムラサメを振りぬいた。

 剣の切っ先はポントラックの首の頸動脈を切り裂き、血しぶきが宙を舞う。


「ばか……な……」


 どさりと音を立てポントラックは地面に倒れた。

血で汚れた死に顔は歪み、絶望の淵に沈んでいる。。

 だけど無残な死に方をしたポントラックの姿を見ても、僕の心の大半を占めるのは充足感だ。

 満たされた心のままムラサメを振って血のりを払い、刀身を鞘に納めた。

 と、それまでの興奮は潮が引くように冷めていった。


「ぼ、僕はなんてことを……」


 今頃になって膝が震えて、まともに立っていられなくなる。

 人を殺したという事実が心に重くのしかかってきた。


「コウガ君!」


 先輩の呼び声で正気に戻った。

 先輩は大きなおっぱいを露出させたまま、枝からぶら下げられたままだ。


「い、い、今助けます」


 手の中のムラサメを捨てようとしたけど、やはりくっついて離れなかった。

 仕方がないので先ほどと同じように背中に担ぐ。

 その状態でクナイを拾い上げて先輩を解放した。


「こ、このジャケットを着てください」


 着ているジャケットを脱ごうとしたのだけど、手が震えてうまくいかない。


「す、すみません。いま脱ぎますので……」


 ぎこちなくしか動かない指でなんとかボタンを外すとふわりと温かいものに包まれた。

 裸の先輩が僕に抱き着いてきたのだ。


「コウガ君、もう終わったっスよ。ありがとう……」


 先輩のぬくもりを感じながら僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。


「ごめんなさい。僕のせいで先輩を巻き込んでしまいました」

「いいの……、もう終わったことっス……」


 先輩に抱きしめられて、いつしか僕の体の震えも治まっていた。


 街道で駅馬車を捕まえることができた僕らはブリンデル市に戻った。

 そして、僕はそのまま警備兵団に出頭する。

 すぐに騎兵が派遣され、ダルーマ神殿へ続く坂道でグイン・ポントラックの死体が確認された。

 自ら出頭したためか警備兵団の僕に対する扱いは思っていたよりひどくなかった。

 顔見知りのオッタル軍曹が担当してくれたのがよかったのかもしれない。


「可哀そうだが取り調べがある。しばらく留置場に入ってもらうぞ。身に着けているものを出してもらおうか」


 クナイ、目つぶし、煙玉、などをすべてテーブルの上に並べていく。

 だけど、何をどうしてもムラサメは僕の体から離れなかった。


「やれやれ、肝心の凶器が離れんとは、まったく困ったものだ」


 オッタル軍曹はため息をついたけど、僕にだってどうすることもできなかった。

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