最終回 いったい何番めの〈G〉なのか

 車のなかから見あげると、まっ暗な夜空を背景に、灰色のコンクリートの病棟がそびえていた。あの七階に克輝くんの病室があった。いまとなっては壁のディスプレイも取りはずされ、水槽も、香月が使っていた折りたたみ式の机やノートパソコンもとっくにかたづけられて、新しい患者を入れる準備が整っているにちがいなかった。

 緊急外来のガラスばりの自動ドアからは、病院の暗い通路を、何人かの人影が忙しく歩きまわっているのが見えた。

 遠くでまたサイレンが鳴った。香月を責めたてるように。見まわしても駐車場には車が何台か停まっているだけで、だれも倒れていなかった。街灯の光で、病棟のおもてのほうから香月がいるあたりまで、ブレーキ痕のカーブがくっきりと描かれているのが見えた。街灯がやけに鮮やかに反射している部分があったので近づいてみても、血だまりなんかじゃなく、ただの水たまりだった。だれもいなかった。思い返してみれば、それは全身が白っぽくて、立体感もなく……まるで、RPGで定番の雑魚キャラが、最新作で人型にリニューアルされたみたいに見えた。

 いや、きっとただの見まちがいだった。

 まだサイレンは鳴りつづけていた。ちょっと数が増えたように思えた。火事でも起きているのかもしれなかった。

 病院のなかでだれかが叫んでいた。ドアが閉じているのでなんて叫んでいるのかまではわからなかった。だめだ! かもしれなかった。逃げろ! にも聞こえた。たすけて! だとしてもおかしくなかった。そのぜんぶをいっしょくたに叫んだのかもしれなかった。

 目をこらすと、緊急外来の奥の通路を何人かが走っていた。これはおかしい。病院のなかをあんな全力で駆けまわるなんて許されることじゃない。歩いているのもいた。こっちはけが人なのか、脚をうまく使いこなせていないようなぶかっこうな足取りだった。

 それとも……いやちがう、そんなことがあるわけがない。

 水たまりのなかでなにかが動いているのに気づいた。のぞきこんでみると……十センチくらいのヘビみたいなものがのたくっていた。全体が白っぽくて、表側はなめらかで、内側にはひだが緻密に折りかさなっていた。

 これがなんなのか知っている気がした。すぐにはなんなのか思い出せなかった。

 緊急外来の自動ドアから、とつぜん白い制服姿のスタッフが飛び出てきた。鼻血が止まらなくなっちゃったみたいに胸のあたりまで血まみれで、髪を振り乱し、目はどこを見ているのかさっぱりわからなかった。

 香月を見て、大声で叫んだ。「あいつらいったいなんなんだ!」

 ふいに背後からだれかが組みついて、そのまま病院のなかに引き戻してしまった。叫び声の音階が、つかのま耳が痛くなるほどにまで跳ねあがり、そこでとぎれた。

 ふたたび静かになった。

 気がつくと水たまりのなかの白っぽい触手は消えていた……いや、いつのまにかそこにだれかがいて、それの足にすがりつくように這いあがり、白っぽい皮膚にまぎれてしまっていた。それは水たまりのなかに裸足で立っていた。白かった。足には、むしろこぶか吸盤に見える短い指がいくつも並んでいた。香月が視線をゆっくりと上げていくと、裸足どころかなにも着ていない。酔っ払い……いや、やっぱり人型にリニューアルされたRPGの雑魚キャラに見える。となると克輝くんはついに見つけたのだ、でっかくする方法を、いったい何番めの〈G〉なのか、それとも香月の知らない新しい番号体系なのかはともかく。

 進化wだった。

 顔にくらべて不釣り合いに大きな眼球で、それは香月を見つめていた。頭をほとんど横にまっぷたつにしそうな口からは、長い牙が不揃いにはみ出していた。きっとだれにでも無差別に襲いかかるように条件設定されていた。香月だけは除外して。香月は……裏切り者だから。

 またどこかでサイレンが鳴りはじめた。これと関係しているのかは……関係していないわけがない。広がっていた。克輝くんは大きくするのと同じく、殖やす方法も見つけていた。病院のなかがさらに騒がしくなった。駐車場の外の住宅街からも悲鳴が聞こえた。香月は動けなかった。これは罰だった。裏切り者にできるのは、これがどこまでも広がるのを、ただ見ていることだけだった。

 それが身じろぎした……と思ったのはまちがいで、人間っぽく見えないこともなかった姿が、まるで完成したばかりのジグソーパズルをひっくり返してしまったみたいにあっけなく崩れた。何百もの小さな部品にわかれて地面にばらばらにこぼれ落ち、そのすべてがもがいたりくねったりしながらまたたくまに影のなかに逃げこんでいた。

 さいごに頭が残った。水たまりのなかに短い肢で立ち、不揃いな牙を見せて香月に笑いかけていた。目をせわしなく動かしていた、まるでそこに視線を読み取るカメラがあって、香月へのメッセージを入力しているみたいに。

 wwwwwww……と、自慢げに、自虐的に、責めたてるように。


おしまい。

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合成怪物の逆襲 片瀬二郎 @kts2r

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