第13回 まるで別人が打ったような文面だった
夏。
それでも、しばらくのあいだはしあわせ家族のSNSも確認していた。不気味な怪生物の存在をほのめかす、写真やコメントがあれば、香月はもういちどあの病室に面会にいくことができそうな気がしていた。まるでほんの二、三日ぶりみたいに窓辺のマイクを取って克輝くんにあいさつし、克輝くんもなんにもなかったみたいに新しい進化wについての饒舌な自慢をはじめ、ふたりはこれまでどおりに共同作業をはじめられるんじゃないかと。
そんなことにはならなかった。
本心では香月もそんなことにならないのをわかっていた。
ひさしぶりに克輝くんからメッセージが届いたのは、真夜中のドライブがてらにおでんと唐揚げを買いに遠くのコンビニまで出かけたときのことだった。コミュニティにはしばらくアクセスしていなかった。ワークグループのお誘いも、けっきょく個人的な都合とかなんとか、理由にならない理由をこじつけてことわってしまった。家にいてもやることはなかったし、出かけたからといってなにがあるわけでもなかった。
路肩に車を停めて香月はスマホの画面を見つめた。克輝くんにしてはやけに丁寧で……まるで別人が打ったような文面だった。代理とか、ご報告とか、急変とか、残念とか、知らない単語でもないのに、そういうのが並んでひとつながりの文章になると、なんのことやらぜんぜん頭に入ってこなかった。それでも手がひどく震えだしてスマホを持っていられなくなった。たぶんクラクションを鳴らした……いちどだけ、短く。なにかに強く触れすにいられなかったから。それはやけにか細くて、なんの残響もないままひとけのない真夜中の住宅街に吸いこまれるように消えてしまった。どうせそのていどのものでしかなかった、さいしょからぜんぶ、それいじょうのものじゃなかった。必死にそう思おうとした。
そんなことができるわけがなかった。
とっさにイグニッションスイッチを押すと、エンジンが始動したことをたしかめもしないうちにアクセルペダルを踏みこんでいた。法定速度なんてかるがると超えるスピードで走行しながら、どこに向かっているかは自分でもわからなかった。遠くでサイレンが聞こえた。もしかしたら香月を追いかけているのかもしれなかった。香月は気にしなかった。ひとけのない住宅街を、やみくもに走った。いま、たとえばすぐそこの角から子どもが飛び出してきたら……何人ぶんものランドセルを身体じゅうにぶら下げさせられ、こんなのはなんでもないことなんだと、だれより自分自身を納得させるために歯を食いしばり、汗だくで走ってきたら、香月はそれをかわせず、その子を高く跳ね飛ばし、一生回復することのない傷を負わせてしまっただろう。悲劇はくりかえす。いいニュースは、香月の軽自動車はだれかさんのトラックとちがって小さすぎるから、衝突の衝撃で激しくスピンし、すぐそこの石垣あたりでぺしゃんこに潰れて、すくなくとも香月にとってはなにもくりかえす心配がないことだった。
子どもは飛び出してこなかった。見かけたのは、たぶん酔っ払いが何人か、同じような白っぽいかっこうで歩道をうろついているのだけだった。ガードレールの内側にいるのならなんの問題もなかった。
……と思ったら、駐車場に乗り入れ、裏の緊急外来口まで突っ切っていると、そこにも酔っ払いがいた。とっさにブレーキペダルを踏みこんだ。まにあわなかった。ヘッドライトの強烈な光のなかに、白く、きゃしゃなわりにやけに頭が大きな姿が輝くように浮かびあがったと思ったら、ボンネットに乗り上げ、あっというまにわきに転げ落ちた。軽自動車は駐車場の突きあたりのブロック塀に突っこむ直前でやっと停まった。あわてて外に飛び出した。
そこで気づいた、克輝くんの病院の裏の、職員専用の駐車場だった。
つづく。
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