第4話
長いリノリウムばりの廊下を、二人の医師が歩きながら会話していた。
片方は40代くらい、口調や歩き方に中堅の風格を漂わせていた。もう一人は20代の若手の医師だった。ベテラン医師が若手医師に尋ねた。
「祐介くんの容態は?」
若手医師はカルテを見ながら、深刻な口調で答えた。
「手は尽くしたんですが、絶望的です。今夜がヤマでしょう。大動脈剥離で即死じゃないだけでも奇跡ですから」
ベテラン医師はため息混じりにこう言った。
「そうか。仕方がないとはいえ、若者の大病は心が痛むな」
「全くです。ご遺族になんて説明したら…」
「おい、まだ死んでないだろ。『ご家族様』だ、縁起でもない」
「あ、すみません。つい気持ちが逸って」
医師二人が連れ立って病室に入って行った。そしてそこで信じられない光景を目の当たりにした。
大動脈剥離で瀕死の患者が、何事もなかったかのように起き上がっているのだ。
「ひえっ」
若手医師は情けない悲鳴をあげ、ベテラン医師は慌てて祐介の肩を押さえた。
「祐介くん!君は重症なんだ。勝手に起きちゃいかん」
「すみません。でもどこも調子悪くないですよ」
若手医師が祐介に繋がれた様々な機械のモニターをチェックした。
「本当だ。心拍も呼吸も安定している。全てが正常だ。これは奇跡です」
「安心するのはまだ早い。君は大事な血管が破裂したんだからな。急いで検査に回せ」
若手医師は慌てて検査の依頼をしにどこかへ走って行った。ベテラン医師はベッドの横にあったスツールに腰掛け、祐介に話しかけた。
「いや信じられん。医学的に見れば君は今日死んでいるはずだった。実に喜ばしい。こう言った事例を見ると神や仏を信じたくもなる」
田嶋祐介は遠い目をして、今しがた見た不可思議な光景について語り出した。
「病室で寝てる時、黒いスーツの男の人たちが来て、僕に何かしたんです。そして気がついたら痛みも無くなっていました。あれは何だったんだろう」
「黒いスーツ?」
訝しげな表情を浮かべるベテラン医師に祐介は目を合わせ、頷いてみせた。
「ええ、黒いスーツを着たサラリーマン風の人です。最初は一人だったんですが、あとから二人きました」
ベテラン医師は首を捻りながらこう言った。
「そんな人いたかなあ?病院で黒いスーツなんて葬儀屋か刑事か死神くらいだろう」
「先生は死神を見たことがあるんですか」
目を丸くする祐介に、ベテラン医師は手を振って見せた。
「いいや、ない。ただの冗談だ。そんな非科学的なもの認められるわけないだろう」
「そうですか。きっと夢を見たんですね」
祐介とベテラン医師は互いに笑い合った。ICUには珍しい、和やかな空気が二人を包んだ。
二人の会話を聞き、祐介の枕元に立っていたムラカミが憮然としてヤマガミを振り返って言った。
「あんなこと言ってますよ」
ヤマガミは何が面白いのかニヤニヤしながら答えた。
「別に良いじゃねえか。それに存在を知られない方が俺たちも仕事がやりやすい。さあ、次の現場行くぞ」
田嶋祐介の復活が上手く行ったのを見届けて、二人の死神は祐介の元を離れた。部屋を出る直前、病室の引戸が勢いよく開き、目を泣き腫らした女性と青ざめた顔の男性が駆け込んできた。死神達の横をすれ違い、息子のもとへ走り寄った。
「祐介!大丈夫!?」
「うん、なんだかよく分からないけど元気になったよ」
「ああ良かった。電話では今夜がヤマだって言われたから…」
「奇跡が起きたんですよ」
「本当に良かった。こんなに嬉しいことはないよ。神様ありがとうございます」
その言葉を背に聞きながら、ムラカミとヤマガミはニヤリと笑った。
「たまには感謝されるのも悪くないな」
「全くです」
二人の死神は誰にも気付かれることなく、病室から姿を消した。503号室は未来ある若者の奇跡の生還に湧き、祝福の言葉で満ちていた。
その頃、電話に出ないことを不信に思ってアパートを訪ねてきた杉田愛奈によって、変わり果てた青山輝之が発見された。
愛奈は驚きのあまり床にへたり込んだ。震えながらスマートフォンを取り出し、緊急通報のパネルをタップする愛奈を、輝之の空虚な瞳がただじっと見つめていた。
〈死神の采配 ─ 完 ─〉
死神の采配 マツダセイウチ @seiuchi_m
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