応援コメント

山の端の月」への応援コメント


  • 編集済

    先日読み終えましたが、感想を書いていませんでした。

    まずは、とても興味深く面白い小説を読ませて頂きありがとうございます。福岡から少し離れた半導体会社、という事で、長崎県のソニーセミコンダクター九州か、大分の東芝(後にソニーへ売却されたのでしたっけ?)かと想像しました。舞台は大分南部だったのですね。

    最後は矢野君の話とは驚きました。そして、彼の性癖(?)に驚きました。彼のことは数学大好きの、女性には余り興味のない人間だと思っていたからです。私の高校の同級生の一人に、数学が得意で、他の科目は普通程度の学生がいました。私も数学は得意でしたが、いくら頑張っても、一位にはなれなかったのですが、総合成績10番以内の者に数学一位はいなかったので、誰なんだろうかと思っていました。二年か三年生のゼミ(私の高校でゼミをやらせる試みが始まりました)で、数学を取った時に、彼に出会い、彼が一位だと知りました。その時、同じクラスにもなったので時々話をする様になりました。物静かな、今で言うボッチのキャラでしたが、別にこちらから話しかけるのを拒む様なやつではありませんでした。帰宅部で、家に帰って何をしているのかと聞いた時に、暇な時は、電話帳から、数字を引っ張ってきて、その数字で色々と遊んでいると言いました。これを聞いた時、なんで私が一位を取れなかったのか理解しました。その頃の進学には、一発芸での特別枠での入学とかはなく、地方の国立大学へ進んだ彼でしたが、米国なら、MITとかへ進めたかも知れません。

    矢野君はそんな私のクラスメイトの様な子だと勝手に思っていました。実は、とんでもない女たらしだったのですね。知的な甘いマスクのほっそりとした男は日本ではモテるんですよんね?真逆に思われていた私は、羨ましいばかりでした。😅

    追記:小野先生と矢野君を間違えてしまって申し訳ありません(特に愛妻家の小野先生にも謝ります)。訂正しておきました。

    作者からの返信

    @fumiya57さま

    こんにちは。

    まずは、三部作すべてをお読みいただき、どうもありがとうございます。昨年の春にカクヨムに登録し、『イソヒヨドリの町で』『ハクセキレイ』『ハシボソガラス』と鳥の名前で三部作を執筆・投稿しはじめました。いろいろと問題をはらんだ作品で、考慮・配慮せねばならないことも多いですが、それなりに愛しい作品たちでもあります。読んでくださる方がいらっしゃるのは、とても嬉しいことです。

    メインの舞台は大分南部ですが、竹史の最初の就職先は福岡のどこかで、これにはモデルがありません。

    『ハシボソガラス』の最終話「山の端の月」は矢野くんの話です(「小野くん」だと、化学の小野先生になりますね (^^) この先生も興味深い方で、スピンオフ作品を書いてみたいと思ってはいます)。

    さて、この矢野くんの現状をどう形容したらよいものか、です。

    女たらしと言えるのか、まず言葉の定義を調べてみました。「女たらしとは、優しい態度や甘い言葉で女性をもてあそぶこと」「女をたらし込んで、肉慾に耽り、或は金品を捲き上げる男」でした。「もてあそぶ」や「金品を捲き上げる」にいささか違和感を抱きます。

    外から矢野くんを見ると、複数人の女性と肉体的な関係を持つことを楽しんでいるように見えるかもしれません。でも実のところ「来るもの拒まず」であって、積極的に自分から関係を構築してはいないのです。彼にとって女性との関係は洞を埋めるための手段であり、それ以上のものではありません。それはもちろん、女性の人間性をないがしろにした行為でありますが、いわゆる恋愛遊戯的なものとは違う、という感じです。

    同級生の数学マニアの方はすごいですね。本当に数字遊びが好きなんですね。いまでこそ、突出した才能を活かそうという試みも増えてきていますが、三十年、四十年前までは、能力のうち一番低いところを持ってその人の実力と見なす風潮でしたよね。

    最初から最後までお読みいただいたこと、それにいくつも応援コメントをくださったこと、どうもありがとうございました。

  • 佐藤さま、こんにちは!

    ゆっくり、ゆっくり、読ませて頂いていたのですがついに読み終えてしまいました。まずは、完結おめでとうございます…!このような重厚かつ深い物語を完結させられた佐藤さまの上質な筆力には、もう圧巻の一言では語り尽くせないのですが、読み終えた今も余韻が続き、万感の思いです。特にラストのエピソードでは彼の想いが水のように流れる文章から痛い程に伝わってきました。

    誰かを愛し、その想いを誰かに受け止めてもらうという事は奇跡のような確率で、ましてやその相手が同性ともなるとよりその壁は高くなってしまうのかもしれませんね。自分は男性が好きだと言い出す事は正に崖から飛び降りるような勇気がいる事だと思いますし、それに今の日本のような社会だと、まだ同性間の恋愛というものをそこまで寛容に受け入れられていない気がします。いつかそんな日本にも異性であろうと同性であろうとも、人を愛する自由というものを当人達やその周りの人たちが、何者にも阻害されない時代になったらいいのにな、と考えさせられました。

    本当に上質な読書時間を届けて頂きました。佐藤さま、このような素敵な物語を届けて下さり、ほんとにありがとうございます…!

    作者からの返信

    深海かやさま

    こんにちは。拙作をお読みくださり、どうもありがとうございます。

    私の作るものはどうにも読了感が良くないのです。自分自身、そのような作品を読むと、とても悲しく疲れるにもかかわらず、なぜ自分がそういうものを書いてしまうのでしょう……そのような作品に最後までお付き合いいただけましたこと、また、過分ともいえる高いご評価をいただけましたこと、本当に嬉しく思います。

    しかも拙作よりはるかに美しく格調高いレビューまでいただき、胸がいっぱいになりました。レビューを拝読いたしますと『雪忘花』の第一話を読んでうなったときの衝撃を懐かしく思い出します。

    いろんな愛があれば、苦悩もあります。伝わらないもどかしさ、理解してもらえない苦しさがこの世にはあふれています。同性間の愛は『雪忘花』とも一部重なるテーマですが、どこに救いを求めたらよいのか、自分の中でまだ答えを見いだせていません。それゆえ苦しい結末しか見えないのかもしれません。周囲の理解がなくともふたりの愛をまっすぐに貫き通そうとする新奈と沙羅の強さに共感するためには、自分自身が強くならないといけないのかもしれない、最近そう感じています。

    コメントおよびレビューをどうもありがとうございました。とても嬉しかったです。

  • こんにちは。
    完結、おつかれさまでした!
    川野くんたちの源流をたどる物語の最後に、行く末の物語が挿入されて、あっと思いました。
    彼に川野くんが惹かれる気持ちもわからなくはないですが、幸福な結末を迎えることはないのだろうなとも思います。
    佐藤さんの人物造形で興味深かったのは、身勝手な男たちに対して多くの女性がどこまでも寛容であるように見えたことでした。その寛容が最後には男を自分のものにする武器になるかのような。
    その点、川野くんの矢野くんへの思いには、女性的寛容(一般的な意味でなく、この物語の女性に通有する)が隠れているような気がしたり。
    こんな想像をしたくなるのも、人物造形の奥深さゆえなのだと思います。読み応えのある物語でした!

    作者からの返信

    久里 琳さま

    こんにちは。拙作へお越しくださりありがとうございます。思えばずいぶん失礼な誘導をして強引に拙作へお招きしたのでしたね (^^:) 思い起こすと恥ずかしくなります。それからずっとお付き合いいただけましたこと、感謝しております。

    はい、最後はぎょっとするような挿話となっています。矢野くんがこのような人間である限り、刺激に人一倍過敏に反応する川野のようなタイプ(父のアレルギー体質はこのような形で息子に引き継がれた?)はうまくいかないでしょうね。

    女性陣と男性陣にそのような特徴が現れていたこと、自分では気づいていませんでした。ご指摘ありがとうございます。何作か書いてみると、キャラクターの共通点が見えてきます。がらりと色を変えてみたいと思っても、出来上がると似ていたりと、難しいですね。もう少し意識的にならねばと思っています。

    久里 琳さまのコメントで、小説は書き手が執筆に時間を費やすだけでなく、読み手のお時間もいただくことになるということを改めて認識させられました。お時間をいただくのにふさわしい作品が書けるよう、これからも精進していきたいと思います。

    今後ともよろしくお願いいたします。

  • (人間)関係依存は行動や物質の依存よりも社会生活上で明らかになりにくくて、クローズドな中での状態で進行するために、依存症の中でも問題を周囲に認識されづらいような気がしていましたが、セックス依存はあまり考えたことがなかったので、その中でも特に問題だと識別しにくいのかもな、と考えさせられました。嗜癖ではなく嗜好と捉える向きが多いような気がします。

    当事者の内面から描かれているので、明らかに本人が問題を抱えているものとして描かれていますが、矢野くんと相手との間での認識の差が大きくて大変だろうなぁ、と思います。深く関わると厄介な男でしょうね(^_^;)

    しかし、こうなってくると、川野が彼と上手く行かなかったのは、むしろ幸いでしたね。依存症の問題、さらには、そもそもの自分の問題に向き合えていない彼と一緒にいては、巻き込まれてしまうのは必至です。冷たいようですが、専門家と彼自身以外で問題の解決を図るのは難しいでしょうね。賢くて聡明な彼なので、解決への道にリーチすることは可能な筈。ずっとこのままで居続けたら、人生を空虚なまま終えることになりかねないので、いつか、向き合うための行動が始まるといいですね。

    こちらのタイトルも気になりました。とても光明があったお話ではありませんでしたが、深い理由がありそう。読み解けませんでした(^_^;)

    作者からの返信

    カワセミさま

    こんにちは。こちらも深く読み解いていただき、ありがとうございます。

    実は「山の端の月」でセックス依存症を取り上げているという意識はありませんでした。私の中での物語の動機は「親しい人の死を目の当たりにさせられること」だったのです。それがきっかけで、結果的に恋愛あるいはセックス依存になった矢野くんですが、動機よりもその結果に光を当てれば、これは依存の問題を提起した物語ですね。

    セックス依存が一般的に嗜癖でなく、嗜好ととらえられがちというのも、なるほどと思いました。そこに問題の根深さがありますね。

    強い快楽と切り離せない欲求はそのように取り扱われがちだと思います。食なんかもそうですね。そしてそれらの欲求の持つ性質に自分は強く引き付けられているということを、今改めて認識しました。やや形を変えますが、次作で類似のテーマを取り上げます。

    矢野くんの問題は川野には歯が立たないでしょう。洞を川野の持つ苦悩で満たしたって(ゲイである川野を彼の苦悩ごとそっくり受け入れることを想定しました)、矢野くんにとってそれはひとときの満足であり、根本的な解決にはならないでしょう。

    タイトルに言及くださり、ありがとうございます。嬉しいです (^^) もちろん和泉式部のあの歌からです。出口の見えない暗がりを這いずり回るようにして生きる矢野くん、そんな彼を少しでも照らし、導いてくれる月はないものか、そういう問いかけのような祈りのようなイメージでして、それ以上の深みはないのです (^^;)

    コメントをありがとうございました。

  • こんにちは。

    ここで、「彼」の過去、思いが明かされるとは!

    「誰かがまっすぐな恋情を差し出してきたなら、拒絶しなければならない理由がどこにある?」
    なのに、「川野」の思いは受け取らなかった。
    ベッドインを望んでないと、はっきりわかったから。
    そして、「八年間ずっと好き」が信じられなかったから。

    あ〜、「川野」が、信じさせる事ができていれば……。

    作者からの返信

    加須 千花さま

    こんにちは。拙作へお越しいただき、ありがとうございます。

    最後にこっそりこんな作品を放り込みました。はい、「彼」の過去、それに川野に対する思いです。

    川野はたしかに「彼」を好きだったのですが、ゲイである自分をひたすら否定しようとしていました。「彼」に愛されたいけれど、自分をゲイとして好きになってもらいたくはない。その結果、「彼」に対するひたむきな思いは川野自身の中で変質し、まっすぐな思いとして「彼」に伝わることはありませんでした。思い起こすと苦しいですね。

    コメントをありがとうございました。