【8.家を守るー1】

家を守るー1ー1

 混乱していた。これで連続三回目だ。もう言い訳の言葉も思いつかない。でも、彼女への申し訳なさや、耐えがたい屈辱感よりも、自分自身をもはやだましとおせないその事実に彼は打ちのめされた。第一志望校の合格通知をもらったあとだったのが、せめてもの救いだった。


 いつだって直前までは、最後まで行けると自信を持って言える状態だった。抱きしめて、キスをして、服を脱がせて。彼女の滑らかな肌にそっと手を添わせていると、自分が十分に興奮しているのを確かに感じた。今日は行けると確信した。それなのに、いざ自分が服を脱ごうとするその瞬間から、力が抜けていく。慌てて服を脱ぎ捨て、彼女に覆いかぶさるようにしてぴたりと肌を合わせても、もう遅かった。ひんやりとしてどこか硬さの残る胸に頬を寄せ、目を閉じた。指で小さな胸をそっと撫で上げる。彼女が体を硬くして息を詰めたのがわかった。激しくキスをしてみる。胸を舌で舐めてみる。その行為に興奮する自分を感じるものの、没頭できず、どうやっても、よみがえらない。焦っていると、彼女がわずかに眉根を寄せて眩しそうにこちらを見た。そのまなざしにはどんな意味も込められていなかったのだが、彼はいたたまれない気分になって動きを止め、ひとこと、ごめんとつぶやき、服を手に取った。

 その一週間後、祐介は大学進学のため神奈川へと旅立った。


*     *     *


 祐介と高原がお試しで付き合い始めて一か月後、高原はそのまま付き合い続けることを受け入れた。それを伝えたときの祐介のまぶしい笑顔を見て、これでよかったんだと思った。祐介は優しくておおらかで、いつでも堂々と高原を支えてくれた。二年生になって祐介は理系クラス、高原は文系クラスと別れていたので、同じ教室で過ごすことはなくなっていたが、その分だけ昼休み、そして部活の時間を楽しみにした。祐介は高原の怜悧さに幾度も驚かされ、気の強さともろさがまじりあう繊細な表情に魅了された。高原は祐介の器の大きさを敬慕し、祐介に支えられているという気持ちが自信につながった。二年生の夏のインターハイ、冬の選抜大会ともに高原は団体戦の選手に選ばれ、選抜大会では九州大会にまで出場した。


*     *     *


 高原と「正式」に付き合い始めてすぐ、祐介は日曜日に彼女を家に招き、両親と妹の彩に紹介し、みんなで昼ご飯を食べた。


 昼食のあと、台所で、駅前の洋菓子店のロールケーキを皿に載せていた祐介に、紅茶を入れていた母が居間の高原をちらちらと見ながらささやく。


「ちょっと、祐介、えらい美人やな。本当におまえの彼女なん?」


 祐介がむくれたようにひとこと、おう、と言うと、母はため息をついてまた居間に目を向けた。


「ほら、お父さんなんち、びっくりしすぎて口もきけんようになっちょる」


 父は座卓を前に居心地わるそうな顔で座り、しきりにまばたきをしていた。それを後目に彩が高原にしゃべりかける。


「えー、容子さん、ひがし小学校出身なん? ってことは、中学は鶴谷つるやよな? いいなあ。鶴谷の制服、夏服が可愛いよな。あたしも鶴谷に行きたかったもん」


 高原が笑いながら言う。


「赤い棒タイのこと? そうかな? ああ、でも、高校の夏服に比べたら、段違いにまともやったかもな」


 彩が苦笑する。


「うん、わかるわ。あたしも、女子高生にあの制服を着させるセンスってありえねえっち思う。みんなそう言いよるよ」


 お盆にロールケーキの皿を乗せて運んできた祐介が話に割り込む。


「ええ? あの制服、そげん変か?」

「はあ? 兄ちゃん、あれ見てそう思わんの? センスねえわあ。あの微妙な色、有名よ。男は普通に学ランでいいよなあ」

「そげん変かのう? 容子があれ着ちょるん、すげえ可愛いっち思うけど」


 高原が少しだけ顔を赤くする。彩がやれやれと言った顔をする。


「兄ちゃん、バカやな。中身が良けりゃあ、何着たって可愛いん! はあ、ごちそうさま!」

「え、ケーキ食わんの? じゃ、俺がもらうで」

「冗談言わんで! 絶対やらん!」


 祐介がケーキを配り、目をしょぼしょぼとさせている父親に目をやる。やれやれ、と小さくため息をつく。


「父さん、そげん緊張せんでもいいやろ?」


 父が照れたように笑う。


「すまんの、父さん、若い女の子としゃべる機会なんてないけん、何しゃべっていいんかわからんでな」


 彩が口をとがらせる。


「もしもし、ここにも若い女性がおるんやけど?」


 祐介がちゃかす。


「お前は『女性』やのうて『子供』やろ」

「何じゃって?!!」


 高原が笑いながら祐介の父に話しかける。


「あの、お父さんは、お仕事は何をされているんですか?」


 気弱な笑みで答える。


「市役所勤めや。公務員です」


 紅茶を運んできた祐介の母がひとつずつ配りながら言い添える。


「今は市民課におるんよ。まあ、高校生やと、あまり馴染みがないわな」

「そげなことないやろ、高校二年生やったら、もう女の人は結婚できるんで。容子さん十六歳? 十七歳? 大人の男の人とやったら、今すぐにでも結婚できるし」


 彩の言葉に祐介が嫌な顔をし、高原が苦笑した。



 初めてそういう雰囲気になったのは、三年生になった春のことだった。高原が土曜日の夜、祐介を家に招いた。ピアノのコンクールに出場する高原の妹に付き添って両親は泊りがけで福岡市に行っているらしい。高原の姉はすでに就職して市外に住んでいた。


「容子は応援しに行かんの?」

 不思議そうに祐介が尋ねると、

「ピアノは好きじゃない。いっつも比べられちょったから」そう言いながら顔をしかめた。


 夕食にふたりでカレーを作って食べた。鳥の骨付きモモのぶつ切りを手渡され、炒めてと言われた祐介は驚いた。たっぷりのショウガのみじん切りと湯剥きトマトのざく切りを入れるのを見て、目を丸くした。料理良くするんと尋ねると、あんまり、と照れながら答えたものの、包丁遣いは堂に入っており、その手際のよさはいかにも容子らしかった。ショウガの香る赤いチキンカレーは祐介にはことのほかおいしく思えた。


 ご飯を食べてお風呂に入ったあと、高原の部屋で二人で宿題を済ませた。宿題を終え、しばらくもじもじしていた高原が言った。


「キスしてもいい?」


 祐介は無言で高原の隣に行き、くちびるを重ねた。誰もいない夜に家に呼ぶのはそういうことだろうと予期し、これはその許可だろうと思った。頭がくらくらするほど興奮していた。それでも、その先に進むことには、まだためらいがあった。


「いいん?」


 その言葉に高原がうなずいた瞬間、理性のタガが外れた。押し倒し、服の上から胸を触る。高原が嫌がっていないことを確認しながら何度も触れていると、高原が目を開けてこちらを見ているのに気づき、恥ずかしくなった。


「目え、閉じて」


 一瞬、意味が分からないかのように目を見開いた高原は、そのあと素直に目を閉じた。祐介はもう一度くちびるを重ね、高原のトレーナーを下着ごと首の下までたくし上げ、脱がせた。砂糖菓子のようなブラジャーが現れる。背中に手をまわし、ブラジャーのホックをさぐった。なんとか外すと、つんと固そうな胸がのぞく。


「きれい」

 そうつぶやくと、高原の顔が赤くなった。


「電気、消す?」

 祐介の問いに、消さんと答える。

「見えんと怖いけん」


 それを聞いた祐介はもう一度高原に口づけし、胸に舌を這わせた。自分がこれまでないくらいに興奮しているのが分かった。それをはっきりと見られるのは恥ずかしいという思いが一瞬頭をよぎったが、そのまま高原のズボンを、そして下着を脱がせた。自分もトレーナをぬぎ、ポケットから避妊具を取り出してズボンを脱ぎ、下着を脱ごうとしたとき、唐突に、「恥ずかしいやん」という押し殺した声が頭に響いた。「恥ずかしいやん」。


 冷たい水を浴びせられたかのように、すとんと興奮が冷めた。するすると弛緩していく。いきなり動きを止めた祐介に、高原が目を開く。口を開かず、目でどうしたんと問う。何が起きたのか理解できなかった。どうしたらよいのかわからず、焦っている間に、完全に興奮は冷めてしまった。


「ごめん」

 半ば呆然としながら祐介が謝る。

「ごめん」

 そう言うと、状況が飲み込めないでいる高原をぎゅっと抱きしめた。高原よりも、祐介自身が戸惑っていた。


 なんし、うまくいかんかったんやろう、そのあと、幾度となくその問いを反芻した。わからなかった。初めてで興奮しすぎたせいかもしれん、次はきっとうまくいくわ、そう考えようとした。

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