いそべとみたらしー2
がらりと勢いよく入口の戸が開かれた。餅を食べていた三人がはじかれたように入口を見る。祐介が立っている。
「おはよう。え、おまえら、なんしよん?」
中川がきな粉まみれの口で笑う。
「練習前の腹ごしらえじゃ。﨑里も食うじゃろ?」
祐介がずいずいと上がって来る。
「おまえんちの店の?」
「ようわかっとるじゃん」
「おまえんちの餅、うめえもんな。いいのう、俺も食いてえ」
そう言って心底嬉しそうな顔で笑う。
「﨑里が甘いもん好きなんは、よう知っちょるわあ。このみたらし餡はうちの店の一押しじゃけんな」
「お、いいやん。ちょっと待って、先に弓ん準備さして」
それを聞きながらつやつやのみたらし餅の容器に手を伸ばした疋田が舌鼓を打つ。
「中川、俺もみたらし好きなんじゃけど、なんこれ? すげえうめえ」
「ふふ、それなあ、隠し味に
「――言わん」
「はは、そうじゃろな。
「そげんいっぱい食えんわ」
祐介と疋田と中川がみたらし餡を絡めた餅の周りを取り囲み、ほおばる。
「んっ、うめえ! 柚子胡椒、入っちょるっち? かすかにぴりっとするんが甘味と合うのう。あ、俺、大福ももらっていい?」
「食って、食って。残ったら持って帰って」
「中川、俺も大福もらっていきてえ」
「疋田もどうぞ。それにしてもさあ、なんし女子、自主練には来んのやろ?」
「安東ちゃんも高原も、朝、弱えっち言っとったな。曽根先輩なんち、あまりに弱すぎて、授業でも遅刻の常習犯らしいわ。あさイチで体育の授業がある日は地獄やってさ。先週なんち、通学中にふらあっち顔からこけかけたっち言いよったで」
「﨑里、おまえ詳しいな」
「ほんと、いっつもさあ、おまえばっか女子とお話してずりいわ。あーあ、本当は女子にきゃあきゃあ言われたかったわあ」
「今日も昼から来るっち思うで」
「ほんと? ああ、でも、餅、冷えたら固うなるしな」
「ストーブ持ってきて、そん上で焼けば?」
「いいなあ、それ」
「ばかもん、射場は火気厳禁じゃ」
それに動じず、中川がのんびりと尋ねる。
「そういえばさあ、﨑里っち、中学んときから弓道やりよったんやろ? なんし始めようっち思ったん?」
祐介もおっとりとした口調で返す。
「じいちゃんが昔やりよったらしいん。アルバムで見つけた写真がむちゃくちゃカッコよくってさ、小学生のころから、じいちゃんに遊びで教えてもらいよったん。したら、おやじが弓道教室があるって教えてくれてさ、中学生になってから正式に通いはじめたん」
「へええ、そうなん。﨑里はじいちゃんっ子か。
みんなの会話をぼんやりと聞いていた竹史が中川を見る。
「ん」
「おまえはなんし始めたん?」
顔をしかめた。
「親にちったあ(少しは)運動しろっち入れられた」
「ああ……」
中川が返答に詰まり、苦笑いする。疋田がお茶を飲みながら祐介に尋ねる。
「部内で中学生んときからやりよったやつって、おまえらと、
「そうやな、いまはその三人やな」
「弓道教室っち、何人くらいおったん?」
「中学生だけで二十人くらいかな」
「そげなん、あったなんち、おまえから聞くまで知らんかったわ。知っちょったら、入部前に三年間も稽古できちょったにいの」
浮かぬ様子でそう言う疋田に祐介が気取らぬ笑みを浮かべる。
「まあ、そう言わんと。たしかに、利光先輩や俺は、入部時に三年分のアドバンテージがあったけどさ、弓道教室と部活っち、ずいぶん練習の密度が
疋田が目をすがめる。
「そげん言ってもさ、射形の美しさも的中率も、おまえにはどうやったって追いつけん――おまえ、なんし、あげん安定しちょるん?」
祐介の顔がわずかに曇るが、すぐにいつものおおらかな笑みに変わる。
「なん言っちょるん? おまえの射形はきれいやぞ。まっすぐで、バネのある射やっち思うわ。変な癖のねえんが、すげえ強みになっちょる。的中率が低いっちいうけど、まだ始めて一年にもならんのやけ、そんなことで悩む必要ねえやろ」
疋田は返事をせず、中川が人の好さそうな顔で割り込んでくる。
「﨑里、俺は? 俺は?」
「そうな、調子がいいときの中川の射には器の大きさを感じるで。おまえの強みは安定感かな。おまえんちの餅みてえにどっしりしちょん。それを軸に、細けえ動作の確度をしぼっていったらいいんじゃねえか?」
そのやり取りを見ながら竹史はようやく三個めのいそべ餅の包みを開け始める。その音に耳をとめた疋田が竹史に目を向けた。
「
竹史が疋田を見ながらいそべ餅を口に運ぶ。祐介が嬉しそうに声をあげる。
「たけの射のことか? もしかして、あれ、見れたん?」
竹史は口をもぐもぐと動かしている。疋田も何も言わない。中川が疋田の様子を見ながら、口をはさむ。
「俺もさあ、最初見たときはびっくりしたで。なんし、あげんきれいに行射できるん?」
祐介がますます嬉しそうになる。
「ほれ、たけ、見てみい。おまえのあの射がずばぬけて綺麗なこと、見た人にはわかるんじゃ」
竹史は何も言わず、もう一口、いそべを口に入れる。
「あれを疋田が見たっちことは、今日は調子がいいっちことかの? たけ?」
もぐもぐと口を動かしながらちらりと祐介を見て目をそらし、お茶を飲む。祐介は意に介さず、朗らかにしゃべる。
「俺も久しぶりに見てえなあ。おまえ、最近調子悪かったもんな。しばらくおまえらしい射は見ちょらんもん」
疋田がお茶を飲みながらぼそりと言う。
「でも、あげんきれいな射でも、必ず的中するってわけじゃねえんじゃの」
竹史が渋い顔になり、祐介と中川が苦笑した。
「うめえもんも食わしてもらったし、そろそろ片付けて始めようぜ。中川、ごちそうさま」
「ごちそうさま」
「――ごちそうさま」
「へへ、お粗末さまでした」
四人で
疋田は自分の射と向き合い弓を引きながらも、竹史の射を意識せずにはいられない。一射終えるごとに、竹史にちらりと目を向ける。竹史はすぐに射に集中し、見られていることにまるで気づかない。
二射目の途中からありありとあの雰囲気が現れはじめた。気配に気づいた祐介と疋田が行射を止める。三射目を終えた中川も気づき、四射目に進まず、前を見つめる。三人の目の前で竹史が行射する。疾風に煽られればすぐにひっくり返りそうな危うさをはらんだ、竹史の未完成の射。しかし、三人の目を奪うには十分だった。歯車がかみ合った。
細い首が的を見る。決して鋭くはない、むしろどこを見ているのかわからない、茫洋としたまなざし。その表情からは、普段の皮肉な色合いが消え失せ、彼にしか見えない何か素晴らしいものを追いかけているような柔らかな色を帯びている。かぼそい腕につながる肩がすらりと弓を押し分け、速やかに
野球部の声援も、サッカー部のホイッスルも、鳥のさえずりも、何ひとつ聞こえない。静謐さが張りつめ、満ちる。
カシュン、と澄んだ弦音とともに矢が放たれ、一瞬遅れてたあんと軽やかな音が響く。
祐介が満足げに微笑み、中川があっけにとられたように目を見張り、疋田が目をすがめる。
残心を終えた竹史が異様な雰囲気に振り返り、三人の視線に身をこわばらせ、すぐに眉をひそめる。
「――な、なん?! おまえら、引かんのやったら、ま、的貼りでもしちょけや!」
竹史の言葉に動じず、祐介が嬉しそうに目を細める。
「たけ、久しぶりに見たわ。やっぱ、おまえ、すげえな。その射形、ほれぼれする」
「
「――
その言葉に祐介が苦笑いし、中川が感心したように疋田を見る。
「ああ、そうかあ。胸がどきどきするんっち、そういうことかもなあ」
竹史がむくれたように矢取りしてくると言い捨て出て行き、俺も行くわと笑いながら祐介が後を追う。
【注.弓道用語ー3】
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