【5.県南地域弓道競技大会】

県南地域弓道競技大会

 九月末に県南地域で開催される秋の高校弓道競技大会が近づいていた。この大会は公式戦ではないが、その後行われる県の新人戦の校内選考にもかかわる試合なので、部員たちは真剣になっていた。個人戦と団体戦が行われ、個人戦には出場制限がない。団体戦は五人立ごにんたちで、男女とも、一校につき二組まで出場できる。


 六月のインターハイ県予選を突破できず、七月には三年生が実質的に引退していたので、夏休み明けのいま、弓道部には二年生と一年生しかいない。


 女子部員は二年生が四人と一年生が二人しかおらず、早い段階で二年生全員と一か月だけ入部の早かった一年生の安東がメンバーに選ばれ、高原は補欠となっていた。

 男子は二年生が三人と一年生が四人いる。二年生から利光としみつ指原さしはら、一年生から祐介がメンバーに選出されていた。残り二人を誰にするか、もう確定しなければならない。夏休み前に、そのときの仕上がり具合から、二年生の薬師寺と一年生の竹史に仮決定していたが、顧問の広津留ひろつるは最終決断を下しかねている。たちを確認する。


「薬師寺と一年生男子四人で立をやるぞ。立順たちじゅんは、薬師寺、小嗣こつぎ、中川、疋田、﨑里な」


 女子が後ろに下がり、五人の男子が横一列に射位(矢を射る場所)に並ぶ。大前おおまえの薬師寺が打ち起こし、引き分け、短いかいののち、矢を放つ。わずかに逸れた矢は的の上に刺さる。薬師寺の肩が震える。二的にてきの竹史が引き分け、ゆったりとした会を経て、離れ。ててくる。それに勢いを得た中川、疋田も中て、大落おちの祐介は悠然たる射で的中させる。二射目、緊張で頬を白くした薬師寺が何とか中てた。そ知らぬ顔で弓を構え、打ち起こした竹史は、あっさりと外した。中川はそれにつられて外し、疋田は何とか持ち直して中てた。その流れを引き継ぐように祐介は中てる。


 結局、四つ矢を終えて、薬師寺が二中、竹史が一中、中川が一中、疋田が二中、祐介が皆中だった。広津留が思案する。


 仮決定していたのは薬師寺と小嗣こつぎだ。今の様子なら、薬師寺はたとえ乱れてもすぐに立て直すだけの気力と技術がありそうだ。彼は決まりだろう。この四月から弓道を始めたばかりの疋田は、夏休み前にはまだ本格的な射技が身についておらず、的中率は小嗣こつぎをずっと下回っていた。どうやら夏休みの間にかなり成長したようだ。大会は三週間後。疋田がこのまま波に乗っていけそうなら、小嗣こつぎから疋田に変更してもいいかもしれん。


 そう考えていると、祐介が声をあげた。


「広津留先生、立順を変えて、もう一回やらせてもらえませんか?」


 広津留は考えた。確かに、疋田を入れるにしても、立順は考えどころだ。あと一度くらい様子を見ておくのも悪くはない。


「わかった。﨑里、おまえ、立順に希望あるんか?」

「薬師寺先輩と俺を入れ替えてください」

「――わかった。じゃあ、それでもう一度やってみ」


 再び五人が本座に向かおうとする。祐介が竹史に言った。

「前、よう見い」


 大前の祐介がゆっくりと行射ぎょうしゃを始める。二的の竹史がその後ろ姿を見つめる。ずしりと落ち着いた祐介の所作はあくまで基本に忠実で上品だ。その泰然とした射を見ているうちに、竹史の目から他のものはことごとく消えてしまう。祐介が力強く弓を引き分け、軽く見開かれた目が的を見据える。微笑んでいるような口もと。誘われるように竹史も弓を打ち起こす。祐介が矢を放つ。そのきっぱりとした弦音つるね(離れのときに弦が弓を打つ音)に後押しされて、竹史も大きく伸び合う。


 結果、祐介と竹史が皆中かいちゅう、疋田と中川が二中、薬師寺が三中だった。ううむ、と広津留がうなった。再び祐介が口を開く。


「広津留先生、仮決定のまま、薬師寺先輩と小嗣こつぎでいいんじゃないですか? 疋田も調子いいけど、小嗣こつぎも悪くねえんで」


 そげじゃの、と広津留が利光を見た。

「利光、今回は薬師寺と小嗣こつぎを入れるっちゅうことで、立順に希望あるか?」


 三年生の引退に伴い部長となった二年生の利光は、中学生のころから祐介と同じ市の弓道教室に通っていた。現在の部員の中で入部以前からの経験者は彼らと竹史の三人だけで、中学一年生からの弓道歴を有するのは利光と祐介だけだった。顧問の広津留は大学弓道の経験者であったが、日ごろから、このふたりの意見を尊重していた。利光が目をすがめる。


「そうっすね。大前おおまえに﨑里、二的にてきに小嗣、なかに薬師寺、落前おちまえに指原、大落おちに俺って感じっすかね。﨑里はずば抜けて安定感があって攻めもうまいんで、大前で決まりっすね。小嗣こつぎは﨑里と組ませると実力以上の力を出すことがあるんで、二的がいいっち思います。薬師寺は流れに乗るんがうまいし、指原は今ベストコンディションやし、この立順やったら、俺まで良い流れを持ってきてもらえるっち思います」


 それを聞いて祐介が無邪気な笑みを浮かべる。疋田は無言で竹史をじろりと見る。竹史はそっぽを向いている。射場しゃじょうの後方で高原が興味深げにその様子を見ている。


 二週間後の日曜日の早朝。市営弓道場の前に各校の弓道部員たちが集合していた。普段と何ら変わりない様子の祐介が緊張気味の安東と高原としゃべっている。面白くなさそうな顔をした疋田と眠たそうな顔の中川もいる。利光が腕時計を見て時間を確認したとき、竹史がやってきた。利光がじろりとにらむ。


小嗣こつぎ、おまえ、もう少し時間に余裕を持って動け?」

 利光の言葉に無言で視線を落とす竹史を祐介が小声でたしなめる。

「たけ!」

 竹史がむっつりとした顔で「はい」と返事を返した。


 今年の大会は県南地域の四校が登録し、男子五チーム、女子四チームが参加した。団体戦に出ない高原、疋田、中川は個人戦にのみ出場する。


 袴姿の部員たちが射場の奥の廊下で出番を待つ。午前中に団体戦を、午後に個人戦を行うことになっていた。一年生女子の安東がうつむき気味で震えているのを見て、祐介がのんびりと声をかけた。


「安東、そげん緊張せんでもいいっちゃ。今回の大会は場に慣れるためのもんで、大した試合じゃねえっち。気楽に、気楽に。適当に楽しんだもん勝ちや」


 安東が祐介をきっとにらんで声を荒げる。


「そんなん、自分は場慣れしちょんけん言えるんやろうけど、真面目にやっちょる人間をちゃかすような言いかた、止めてくれん?! 私にとっては初めての試合なんやけえ、そげん、いい加減な気持ちになんか、なれんわ!」


 祐介がまじめな顔になり、「俺、無神経やけん、ごめんの」と素直に頭を下げる。高原が「私は午後やけど、もう緊張しちょるよ、ほら、手、こんなに冷たい」ととりなすように話しかけ、両手で安東の手を包み込む。まだ憤りのおさまらない様子の安東の体から震えがすっかり消え失せたのを竹史は見ている。


 団体戦の試合は四つ矢二立(矢をひとり四本射る立を二回行うこと)の八射、チーム合計四十射で行われた。二的の安東は八射四中させ、大落を務めた副部長の曽根に満足げに肩を叩かれると、顔を赤くして笑った。


 男子チームの出番となった。大前の祐介はまったく動じることなく、皆中させた。続く二的の竹史と大落の利光も皆中。顧問の広津留が祐介と利光の采配に改めてうなずく。女子は四十射三十中、男子は四十射三十三中という高成績で男女とも優勝した。


 男子個人戦では利光、祐介、竹史を含む八射皆中の四人が射詰競射いづめきょうしゃを行い、祐介が優勝、竹史が二位、利光が三位となった。


 女子個人戦では高原が安定感のある射で、二位の曽根に続き三位となった。


道場の後片付けを終え、着替えようとしていた部員たちに広津留が声をかける。

「おうい、みんな、ちょっとこっちに集まり。着替える前に写真を撮るぞ」


 大会運営関係者に広津留と部員全員の集合写真を撮ってもらい、あとは広津留が男子チーム、女子チーム、個人戦の全入賞者、学年別の入賞者を手際よく撮影していった。最後に写真に納まった一年生の入賞者は、祐介と竹史のあいだに高原が押し込まれ、三人がそれぞれ賞状を胸の前に広げ、祐介は悠然と笑み、高原は鮮やかに笑い、竹史は居心地の悪そうな表情を浮かべた。




【注: 弓道について】


 これまで注釈なしで弓道用語を出してきましたが、知っておくほうが読みやすいかな、という事柄について、注を付記しておきます。


<弓道の競技形式>

 弓道のなかでも近的きんてきと呼ばれるよく目にする競技では、射場しゃじょう(矢を射る場所)から28メートル先の的場まとば(的が立っているところ)に向かって弓を引きます。

 的には白黒の同心円が描かれていますが、通常、的にたるか外れるかだけで競われ、的の中の位置は無関係です。

 矢には甲矢はや乙矢おとやの二種類があり、二本を1セットとして一手ひとてと呼び、二手ふたてを四つよつやとも呼びます。競技では二手(四つ矢)単位で行射することが多いです。

 四つ矢を射って中たりが〇、一、二、三、四本のとき、残念、一中、二中、三中、皆中と呼びます。


<射法八節>

 弓を引くためには決まった所作があります。流派により多少違いますが、射法八節という矢を射るための八つの連続した過程が基本となります。射法八節は、足踏み、胴造り、弓構ゆがまえ、打起し、引分け、会、離れ、残心の八つであり、それぞれがどういう所作なのか知りたい方は、下記へどうぞ。

https://www.kyudo.jp/howto/syaho.html


<弓道の試合について>

 試合には団体戦あるいは個人戦があります。団体戦の場合、三人ないし五人でチームを組み、それぞれ三人立さんにんたち五人立ごにんたちと呼ばれます。

 矢を射る選手のことを射手いてと呼びます。立では三人ないし五人が前から順番にひとりずつ矢を射ます。五人立の場合、一番目の射手から順に、大前おおまえ二的にてきなか落前おちまえ大落おちと呼ばれます。


<射詰競射>

個人戦の場合、決勝戦でよく行われます。予選で最も的中数が多い選手が複数人いた場合に行います。同中(中たりの数が同じ)の選手が順に一射ずつ行射し、外した選手は脱落、複数人が的中した場合はさらに延長戦として一射ずつ行射していきます。

団体戦の場合、両チームの全員が一射ずつ行射し、合計的中数で優劣を決めます。結果が同中なら、勝敗がつくまでひとり一射ずつの射詰を続けていきます。


<遠近競射>

個人戦の二位以下の順位決定などで行われます。順位決定対象者が順番に一射ずつ一つの的に行射していき、的の中心に近い選手を上位として順序を決定していきます。

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