そういえばずっと祐介さんを「裕介さん」と書いてたかもしれません…😰そんな理由があったとは…でも、裕香子ちゃんは「裕」だったと思います…!
ここまでヒートアップしていた祐介さんと容子さん、子どもの名前を決めるにあたって何があったのか…!!
作者からの返信
ジロギンさま
こんにちは。こちらへもお越しくださり、ありがとうございます。
名前って簡単に変えられないのに、常に付きまとってくるものだから、悩ましいです。名前が当人の性格に影響を及ぼすことも、あながち間違いではない気がします。
ゆかこが裕佳子になった顛末は永遠に語られないのですが、まあ、どう考えても祐介がごり押ししたとしか思えません。そこでまたひとつ、容子との間に修復困難な亀裂が……。いや、これはちょっと先走り過ぎですね。
コメントをありがとうございました。
「先祖代々のしきたり」
確かに私たちの親世代くらいまでからは良く耳にする言葉ですよね。
でもおっしゃる通りそれを押し付けられるのは辛いし重い。
連絡網もそうですが、刻々と時代は変わりますね。
作者からの返信
北川聖夜さま
こんにちは。拙作へお越しいただき、ありがとうございます!
田舎の方に行くと、あるいは家柄によっては、今でもあるかもしれませんよ、「先祖代々のしきたり」。全てを否定したくはないけれど、伝統を守りたい気持ちもないわけではないけれど、押しつけられるということには不安と反発心が湧き出てくるんですよね。
連絡網やら出席番号の順番やら体操服の名前やら、時代はどんどん変わりますね。現代の小学生ものとか、知らなさ過ぎて、うかつに書いてみることもできません (^^;)
コメントをありがとうございました。
「『何十代も続いた名家』じゃのうたって、今生きちょる人間なら、必ず、途切れることなく祖先はたどれる。」
同感です。
大体、今生きている人間は、他人を滅ぼす(殺す)のがうまかった祖先がいたから生きているんだろうと思っています。確かに、ラッキーにも、殺し合いせずに生き延びたり、仲間が殺された中生き延びた祖先も多かったでしょうが。
作者からの返信
@fumiya57さま
こんにちは。拙作にお越しいただき、どうもありがとうございました。
そうですよね、今まで生き延びているということは、大抵の場合、他を犠牲にしてきたという証となるでしょう。それを輝かしいもののようにのみ語るというのは、どうも違和感を感じてしかたありません。皇室なんかもそうですよね。
コメントをありがとうございました。
こんにちは
親の名前(漢字)を継いでいくって、私らの親の世代まではごく普通にありましたよね。
古くは徳川の将軍の名前は覚えにくいし、鎌倉時代の北条家やもっと昔は藤原家でも紛らわしくてしょうがありません。一体いつから今の様に気にしなくなったんでしょう。結構最近の話のような気がします。
推計では2120年には日本人の人口は5000万人を切るそうです。しかしこのところの人口減の加速を見ているともっと減って1/3くらいまで行くような気がします。
名前どころか血筋もかなりが途絶えるんでしょうね。でももう既にみんな混ざり合っているので、血筋という考え方自体が古いのかもですね。
作者からの返信
十三岡繁さま
こんにちは。いつもお読みいただきありがとうございます。
親の名前を継いでいくの、旧家だったら今でもやっているんじゃないでしょうか? 「旧家」という言葉に悶々とするものを感じますけれど。
名前の取り扱いかたの変遷は気になるところです。現代の日本のように子供に自由に名前を作り出して命名できるというのは、世界的にも歴史的にも、珍しいのではないでしょうか。
血筋って、わからない考え方ですよね。どの時代にアンカーを置くのかも分からなければ、その妥当性もわからず、また直系傍系の定義や意義もいまいちぴんと来ません。
コメントをどうもありがとうございました。
こんにちは。
うんうん、この「イソヒヨドリ」シリーズらしく、佐藤宇佳子さまらしくなってきました。今回の言い争いを拝読し、そう思いましたよ。
祐介さんの言い分も、容子さんの反発も、両方正しく、両方、わかります。
裕佳子ちゃんの名前……。あっ……。(;´Д`)
作者からの返信
加須 千花さま
こんにちは。いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お? 佐藤節感が出てきましたか(笑)?
祐介の言い分も、容子の反発も、100パーセント正しいわけでも、常に正しいわけでもないんですよね。頭ごなしに否定せず、うまく折り合うことだってできるのかもしれません。高校生のふたりにはまだそういう折衝は厳しいようですが。
裕佳子の名前……祐介えええ……です。そうなんです。
コメントをありがとうございました!
このようなぶつかりあいが関係を深めるきっかけになるんでしょうね。逆に疎遠となることも多いのでしょうが。今後の展開が気になります。
ところで昔読んだある本に、女性は子どもの頃から女らしくあれと言われ続けていろいろな制約を受けてきたが、男性も男らしくあれと言われ続け、それがプレッシャーになっているということが書いてありました。祐介も直接言われたわけではないでしょうが、家や血筋を残すことが自分の義務と吹き込まれていたのでしょうね。
作者からの返信
変形Pさま
こんにちは。いつもお読みいただきありがとうございます!
ふふ、そうなのです。このふたり、激しい応酬をしつつも、それで即絶交するような子供っぽさはないので、実はこれが距離を縮めるきっかけだったりします。ただ、この見解の違いはふたりの関係にずっと影を落とし続けます。
祐介に「男児たるものはー」と言い続け、あの性格を醸成したのは、じいちゃんですね。じいちゃんについては【9. 家を守る―2】で出てきますので、ここでは割愛させてもらいます。かつてステレオタイプに押し込められてきたのは男も同じなので、人によっては相当きつかったと思います。いや、地域によっては、今でも状況はさほど変わっていないんですけどね。
コメントをありがとうございました!
多様性という概念がなかった時代の話しですね。
読んでいて祐介さんは、子供の頃から”血筋”や”伝統”みたいなものを周りの大人から刷り込まれていたような気がしました。
容子さんはそんな祐介さんの考えに反発していますが、彼女が育てられた環境に何かあるのでしょうか。
男として、女としての役割をまだ当然のように思っていた時代ですからね。
続きを楽しみにしています。
作者からの返信
雀さま
こんにちは。いつもお読みいただきありがとうございます!
ご推察のとおり、祐介は周囲の人間、特に祖父の影響を色濃く受けています。幼少期の刷り込みは当人のその後の思考に大きな影響をおよぼすと思います。自分の頭で考えているつもりでも、結局は誰かの影に引きずられてるってこと、しばしばありますね。
容子の生育環境についてはあまり考えていなかったのですが、三人姉妹の二番目なので、比較的親の干渉が弱かったでしょう。「女としての在り方」という刷り込みがあまりなかったことと、彼女自身の負けん気の強さが相まって、あの性格が出来上がったのかもしれません。
コメントをありがとうございました!
唐突に急進的な会話になってしまいましたが、他者への配慮が未熟な時代には特にありがちですよね、リアルです。
二人の考え方の違い、祐介の価値観は漠然としたものとも、ステレオタイプから来ているようにも見えますが、容子にはどんな理由があるのか、気になります。
二人がどのような相互理解を経て、自分たちの娘に名前を与えるのか、先を想像すると、もう既に胸いっぱいです笑
あと、竹史が空気でかわいそぅ(^O^;)
作者からの返信
カワセミさま
こんにちは。コメントをありがとうございます。
祐介もおっとりのんびりの”できた男子”というわけではないのです。『イソヒヨドリの町で』で後継ぎにこだわった一面がちらりと登場しましたが、高校生の時にはすでにその考え方に固執していました。
容子が祐介の言葉に激しく反発した理由については特に明かされませんが、平成初期という時代性、九州の片田舎という地域性、それに三人姉妹の次女という個人的な条件もあいまって、「女であること」の社会的な意味を嫌というほど感じさせられていたのだと思います。
裕佳子の名は……名づけの前の不妊治療の段階ですでに容子との仲が……。このあたりに関わる話は、ちょっと先ですが【8. 家を守るー1】で暗示されます。
高校生たちのブレーキの利かない会話、リアルと言っていただき、嬉しいです( 〃∇〃)
蚊帳の外(苦笑)の竹史は、このあと十分出番がありますのでどうぞお楽しみになさってください!
名前ですが、きゅうけであれば伝統を守り続けたいというのはよく解ります。私も個人的にはそうしたいです。
絶対反対なのは全く同じ名前を付けること。
私自身、14代まで遡れますが、この間に同じ名前が幾つかありますね。
紛らわしく、困ったものです。
尚、私の本名の名前は日本で唯一人です。
作者からの返信
門脇 賴さま
こんにちは。いつも拙作へお越しくださり、ありがとうございます。
旧家だからというのはどうも引っかかってしまうのです。他の家と何が違うのか、と考えると、代々残してきた物的財産がその家に集約されているだけで、人間的には何も違うものはないのではないかと思えるからです。あ、古い物を見るのは大好きです。
代々同じ名前(長男が引き継ぐ)は今でもヨーロッパで見られますが、名前を個体識別タグとはみなさないのでしょうね。それなら、もう名前はいらないんじゃないの、とか言いたくなってしまいます (^^;) 門脇 賴さまのお名前、同時代では日本でたった一人ということなのですね。それは名前としてなかなか優秀ですね。
コメントをありがとうございました。