【4.文化祭】
文化祭ー1
教室棟三階の廊下に並べたパネルに祐介と大鶴がA0判のポスターを貼ろうとしている。ふたりがそれぞれ左右の端を持って椅子の上に上がり、後ろに立つ高原と泉に尋ねる。
「どげ? 曲がっちょらん?」
「右を上げて、3センチくらい。もうちょっと……、あ、そげな感じ」
祐介と大鶴のあいだに立っていた
「はい、じゃあここで留めるで? はい、オッケー」
「おっしゃ、貼り終わった。これで全部やな?」
祐介の声に近くにいた生徒たちが口々にお疲れさまと声をかける。高原が制服の胸元をつまんでぱたぱたと風を送り込みながら、廊下のパネルをぐるりと見渡す。
「結局、全部で六枚? よう、まとめたよなあ。これ、端から端まできちんと読んでくれる人なんち、おるんかな?」
泉が苦笑する。
「容子、それ言ったらお終いやけん」
少し離れたところで竹史が手持ち無沙汰にしている。
「たけ、椅子、教室に戻しちょって」
祐介に指示され、無言で椅子を運んでいった。
* * *
夏休み明けの九月上旬に二日間の学祭がある。一日目に体育祭、二日目に文化祭が行われる。文化祭はクラスや部活単位で参加することになっており、一年生はクラス展示、二年生は飲食系の模擬店、三年生は飲食系以外の模擬店を行うのが通例だった。祐介たちのクラスでは男女平等の現状というテーマで、一年八組のクラスメイトたちの家庭を対象に、仕事、結婚、子育てなどについて、身近な現状を調査することにした。
夏休み前に調査方法についての話し合いがあった。各家庭にアンケート用紙を配って回答してもらおうという調査方法に、祐介が疑問を呈する。
「その家庭の調査って、ちょっとまじいんじゃねえん? だってさ、言いたくねえやつだって、おろう?」
議長の大鶴が尋ねる。
「言いたくねえって、何を?」
「たとえばやけど、離婚しちょるとか片親やとかさ。自分の家のこと、みんなに知られるの嫌なやつだっておるやろ」
「ああ、なるほど、そげんこともあるかもしれんな」
そのやり取りに、赤嶺が口をはさむ。
「でもさあ、そげなん、クラス名簿の情報を見たら大体わかるで? それ見て本人に確認してさ、どうしても統計に入れてもらいたくねえっち言われたら、そんとき考えたらいいんじゃねえ?」
それを聞いて高原が口を出した。
「それよりさあ、もう、対象の『自分たちの家族』っちゅう枠を外したらいいんじゃない?」
「じゃあ誰に聞くん? 」
「『市内在住の人』ぐらいにしたら? 自分の家族でもいいし、親戚や知り合いでもいい。匿名で情報提供に応じてくれる、市内在住の人、で、どげ?」
祐介が隣で、賛成と大声をあげる。
結局、市内在住の既婚ペア五十組と未婚の成人男女五十人ずつを調査対象として、仕事、結婚、家事分担、育児、教育に関するアンケートを実施した。集まった情報は、カテゴリごとに班に割り振り、集計、解析および考察することになった。祐介、竹史、高原、泉は同じ班になり、
* * *
集まった資料を集計しながら、祐介がときおり声をあげる。
「おお? こん
大鶴が笑って言う。
「結婚した年齢にもよるんじゃねえ? うちのじいちゃんは九人きょうだいっち言っとった。でも父ちゃんは三人やし。俺は四人やけど」
祐介は目を見張る。
「え、おまえ四人きょうだいなん? すげえな」
「すごくはなかろ? な、
「うん」
「そうなんや」
祐介は隣で電卓を使って集計をしていた竹史を見た。
「たけ、おまえ一人っ子よな?」
「ん」
竹史の横でノートに数値をまとめていた高原と泉の方を向く。
「高原、おまえ何人きょうだい? 泉は?」
高原が答える。
「うちは私入れて三人。みんな女」
泉がノートから目を上げて答える。
「うちは五人。兄ちゃんがふたりと姉ちゃんがふたりおるよ」
その答えに祐介がうなずく。
「五人きょうだいの末っ子か、おまえそれっぽい性格やわ」
「うん? どげんこと?」
「まあ、なんちゅうかな……」
笑って言葉を濁した祐介に、高原がすかさず横槍を入れる。
「千絵は甘えんぼ、ってことやわ」
泉が人の好さげな顔で笑う。
「ええ、ひどいなあ」
「ひどくはないやろ? 甘え上手は悪くないやん?」
クラス名簿を見ていた竹史が声をあげた。
「ゆう、おまえんちの父ちゃん、名前の漢字、間違ってねえ?」
みんなが一斉に名簿をのぞき込む。
「あれ、ほんとや、﨑里くんは『祐介』やのに、お父さんは『裕一郎』になっちょるな」
祐介は苦笑いしている。あ、聞かんほうがよかったんやろか、竹史はちょっと焦った。祐介はそんな竹史の様子を見て、口を開く。
「まあ、ひでえ話があるんよ。うちのじいちゃん、
泉がたずねる。
「﨑里くんのお母さん、なんし、そげなことしちゃったん?」
祐介がおもしろくなさそうな顔で答える。
「嫌がらせよ、じいちゃんととことん仲悪かったけんの。おふくろは、そういう『先祖代々』受け継ぐっちことを小ばかにしちょる。子供の名前にも、『代々』の呪いを取り込みたくなかったんやってさ」
高原がぽつりとつぶやく。
「でもさ、お母さんが嫌がる気持ち、わかるよ」
祐介が目をすがめて高原を見た。その視線を真っ向から受け止めつつ、言葉を続ける。
「先祖代々のしきたりを押し付けられるのって、辛いよ。重いやん。自分がそれを受け入れるっちことは、無意識のうちに自分の子供にもその圧力をかけるっちことになるよ」
祐介が目を見開く。
「でも、続けてきたものが一回でも途切れたら、それで終わってしまうんで。復活させても、途切れたところは繋がらんので。今まで祖先が一所懸命守ってきたなんかをさ、自分が絶ち切るのって、嫌じゃねえ? 俺は、できる間はしっかり守り継ぐべきやっち思うわ」
高原が容赦なく突っ込む。
「たかが名前やろ? なんし、守り継がんといけんの?」
祐介の表情がかたくなる。
「たかが名前っちゅうけどな、名前はそん人の顔や。代々引き継ぐ名前やったら、それはもう、その一族の結束を促すアイデンティティでもあるんじゃねえか? でも、たしかにな、高原が言うように、名前が本質っちゅうわけじゃねえ。名前を代々受け継いでいくっちゅうのは象徴で、本当に大事なんは一族の血を代々継いでいくことじゃ。生きてるものが死んだらお終いなんと同じで、血筋だって途切れたら終わりやん? その重要さを説き、つなぎとめていくための名前よ」
高原が聞きとがめた。
「血筋が途絶えたらいけんっち、なんで?」
「それは、はっきり説明はできんけど。でも、古い建築物や古来の慣習みたいに、古くから残ってきたもの、長く続いてきたものって、もうそれだけで価値があろう? 家や血筋を守るっていうのは、それと同じやろ?」
「でも、その家が途切れたって、別の家ができたら、結局人間の数は変わらんやん? 血筋、血筋、って言うけど、血筋ってなん? 血筋が途絶えるとか、繋がるとか、その概念が意味するところも分からんし、それに固執する意味もやっぱり分からん――」
祐介の声が高くなる。
「血筋が繋がっちょるっちことは、先祖と自分たちが繋がっちょるっちゅう明白な証拠じゃ。高原だって、親やじいちゃんばあちゃんは他人とはなんか違うっち思わんか? その結束感っち、バカにでけんもんじゃ。血が繋がっちょる血族をずっと昔までたどっていけるのって、先祖に感謝する気持ちとか、伝統や文化を守る気持ちに直結すると思うわ」
高原が顔をこわばらせる。
「ちょっと待って、話がかみ合っちょらんよ。何を持って血が繋がるとか繋がらないとかっち言うん? 私の家はたいした『血筋』じゃないけど、私が今ここに存在するっちゅうことは、間違いなく、人類が誕生した大昔にだって私の祖先がおったってことやわな? 『何十代も続いた名家』じゃのうたって、今生きちょる人間なら、必ず、途切れることなく祖先はたどれる。違う? それに植物みたいに自家受粉するんじゃなきゃ、必ずよその血が入るよな? それやねえ、繋がっちょる、繋がっちょらんっち、何を根拠に言うん? それってつまり、男が血筋を継いでいくって考え? それなら――」
一歩も譲ろうとしないふたりに
「なあ、そろそろ今日の作業、終わりの時間や。もう片付けよう?」
祐介は興奮に顔を赤らめ、高原はきゅっと眉を寄せている。竹史はふたりの顔にちらりと目を走らせながら、電卓とノートを片付けた。
注1) 平成初期の想定です。当時は携帯電話が普及しておらず、もちろん、メールやラインのサービスもありませんでした。緊急連絡は各家庭の固定電話に順番にかけて行っていたので、クラスごとに生徒の名前、保護者名、住所、電話番号等々が掲載された名簿がまとめられ、全員に配布されていました。
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