三つ編みー2

小嗣こつぎくん」

 着替えを終え、帰り支度をしていた竹史は急に声をかけられて飛び上がりそうになった。振り返ると、制服姿でカバンを持った高原が立っている。

「なん?」

 どぎまぎしながらぶっきらぼうに聞く。

「もう、帰るんやろ?」

「ん」

 高原がきょろきょろとあたりを見回す。

「﨑里くんは?」

 何でそげなこと聞くんじゃ、と竹史は不快になる。

「今日は用事があるって、先に帰った」

 高原はくっきりとした笑みを頬に刻んだ。

「じゃあ、途中まで一緒に帰ろ?」

 竹史はげんなりした。高原の、心の奥底まで見透かすような鋭い目つきや、歯に衣着せぬ物言いが苦手なのだ。しかし、断るうまい言い訳も思いつかず、ふたりで自転車置き場へと向かう。竹史の戸惑いなどまるで気にかける様子もなく、高原がしゃべりかける。

小嗣こつぎくん、いつから弓道やりよるん?」

 自転車の鍵を外し、引っ張り出しながら答える。

「中三んときから」

「中学? 部活で?」

「いや、市の弓道教室」

「ああ、そうなんや」

 自転車を押しながら高原と並んで歩く。高原が歌うように言う。

「なあ、小嗣こつぎくんって、好きな子おらんの?」

 ずきり、と胸が痛むのを感じた。身構える。高原はそんな竹史の様子を見て、ちょっと笑う。

「そげな怖い顔、せんでよ。クラスの女子の間でさ、小嗣こつぎくん、密かに人気あるにい。ちっちゃくって、可愛いって」

 はあ?! ちっちゃい?! 余計なお世話じゃ! 知らんところで密かに噂されとるなんち、気味わりいわ、憤りながら竹史は無言で歩く。

「なあ、おらんの?」

 わずかに低くなった声で高原が繰り返した。

「おらん」

 無愛想に竹史は答えた。

「じゃあさ、﨑里くんは?」

 ――ああ、はいはい、こっちが本題っちことな。竹史はほっとしつつも別の不快感に顔をしかめる。

「ゆうのことは、俺は知らん。本人に聞けや」

 高原は明るい声で笑う。

「あはは、本人に聞けんけえ、小嗣こつぎくんに聞きよるんやん。小嗣こつぎくん、﨑里くんと一番仲いいやん? 誰かと付きおちょるとか、好きな子がおるとか、中学んとき付き合いよったがおるとか、そういう話聞いたことないん?」

「ねえな」

「どういう子がタイプとか、知らん?」

「知らん」

 高原は竹史の木で鼻をくくったような返答も意に介さず、楽し気に話を続ける。

「八月の番匠川ばんじょうがわの花火大会、いっしょに見に行かん? 小嗣こつぎくんと﨑里くんと、千絵と私で」

 竹史が横目で高原を見る。

「千絵?」

「うん。泉千絵。私が一緒にお弁当を食べよる、背の高い子」

 竹史はうつむき、無言のまま歩く。

「﨑里くんのこと、誘いたいんよ。そやけん、小嗣こつぎくんも協力してくれん? みんなで一緒に花火見に行ってくれるだけでいいん。特に何かしてっちゅうわけやないきい。だめ?」

 なぜその時すぐに断らなかったのか、あとで思い返しても竹史には自分の気持ちがよくわからなかった。とにかく、高原のお願いに竹史は応じてしまった。高原がカンナの花のような笑顔で言う。

「ありがとう! じゃあ、明日、小嗣こつぎくんも行くけえっち、﨑里くん、誘ってみるわ」

 それから、やや声をひそめて言い添える。

小嗣こつぎくん、もし、本当は好きな子がおるんやったら、おしえてな!」

 そう言うと、じゃあ私の家こっちやけえ、と身をひるがえして去っていった。三つ編みを揺らしながら駆けていく後姿を竹史は苦い顔で見送った。


 翌日も、翌々日も、部活の時間、高原は何度となく祐介と話をしていた。祐介もまんざらではない顔をしている。もともと、来るもの拒まずの祐介だったが、高原の目から鼻に抜けるような利発さや機転の利く受け答えにかなり惹きつけられていると竹史の目には映った。何じゃ、普通に話できるんやったら四人で花火大会なんか行く必要ないじゃろ、二人で行けや、心の中でそう罵りながら、どこかで、祐介と見る花火はどんなに美しいだろうと思い巡らせている自分に気づいた。


 花火大会の夕方、待ち合わせ場所に時間ちょうどに行くと、すでに三人が待っていた。まず頭一つ高い祐介の姿が目に入った。それから、その正面にいる女子ふたり。祐介は白いポロシャツにジーンズ姿だったが、高原と泉千絵は浴衣姿だ。小柄な高原は、生成り地に大ぶりの赤い花を散らした浴衣に紺の帯。背の高い泉は、小花を白く染め抜いた薄紫の浴衣に橙色の帯。

 二人に挟まれた祐介が竹史を見て少しほっとしたような表情をした。祐介を見つけた瞬間和らぎかけた竹史の顔が、その表情を見たとたん、なぜだかこわばった。思いもよらぬ言葉が飛び出す。

「なん、ゆう、おまえ、両手に花で鼻の下伸ばしちょんの? 俺、おらんほうがいいんやねえ?」

 祐介が苦笑する。

「たけ、おまえ、来るなりその悪たれは止めや。照れ隠しやっち、分かっちょっても、みっともねえ」

 竹史はむっとしたが、自分を見る祐介の目が思いのほか冷ややかな色を帯びているのに気づき、黙った。高原が小嗣こつぎくんは相変わらずやなあと、とりなすように笑う。泉が仲いいんやなあと祐介にのんびりと笑いかける。祐介が、たけの子供っぽいんには困ったもんじゃと、女子二人の方を向いて大げさに肩をすくめる。

「ほら、もう屋台も出とるし、もうじき盆踊りも始まるけん、行こう?」

 そう言って、高原が竹史の横に並び、背中をぽんぽんと叩いた。竹史は身をよじると高原をにらむ。祐介と泉は並んで歩き始め、自然、高原と竹史がそのまま並んで歩くことになった。


 なんしこうなっちょんの(どうしてこうなっているの)、竹史は腑に落ちない。


 四人は屋台を見ながらそぞろ歩く。風船屋、お面屋、細工物屋、金魚すくいにヨーヨー釣りの屋台、それにおもちゃ屋やアクセサリー屋まである。端から端まで店をのぞいたあと、食べ物を買って土手に座って花火が上がるのを待つことにした。ラムネ、かき氷、綿菓子、鈴カステラ、べっ甲飴、リンゴ飴やイチゴ飴、焼きそば、焼き鳥、お好み焼き、たこ焼き、焼きイカ。食べ物の屋台の一角に近づくと、甘いかおりや香ばしいにおい、盛大な湯気を上げ軽快な音をたてながら炒められる音に足が引き寄せられる。わあ、何にしようかと女子二人が目を輝かせる。

「やっぱり、リンゴ飴がいいかなあ」

「鈴カステラにする」

「俺は焼きイカ買ってくるわ」

 そう口々に言って店に向かう。


 竹史がふらふらと祐介についていこうとすると、祐介が顔をしかめた。

「たけ、おまえイカはアレルギーじゃったろ」

 竹史がきょとんとした顔で返す。

「え? そげか? じゃあ、焼きそば?」

「焼きそばとお好み焼きは、豚肉はいっちょるけど、食えるん?」

「……」

 祐介は屋台をもう一度見渡しながら、

「焼き鳥か、ラムネか、あめえもんやな、あ、リンゴ飴とイチゴ飴は駄目やぞ、喉、腫れるぞ」

「鶏肉もあめえもんも好かん」

「ラムネにしちょいたら? あめえけど、ほかん食いもんよりは、よかろ?」

「ん」

 そのやり取りを見ていた女子二人が笑い、泉が言う。

「﨑里くん、小嗣こつぎくんのお母さんみたい」

 高原も言う。

小嗣こつぎくん、アレルギーと偏食、ひどいなあ。安心して食べられるもんがあまりないんじゃないん?」

 竹史は非難がましい目で高原を一瞥すると、ラムネの屋台に向かって行った。


 落ち合って河川敷まで歩いてくるとき、屋台をひやかすとき、河川敷の土手に座って食べたり飲んだりするとき、そして花火を見るとき、竹史の横にはいつも高原がいた。おまえ、俺の横にきてどげすんの、ゆうの横に行かんかい、そう言いたくてたまらなかったが、高原だけにそう告げられるほど他のふたりと離れることはなく、結局最後まで竹史の横には三つ編みのしっぽを指でもてあそぶ高原がいた。


 土手に並んで座り間近で見上げる花火は後ろ首が痛くなるくらいの高みで咲き誇り、ゆっくりと暗い川面に散った。打ち上げを見ているうちにあたりにもうと霞がかかり、火薬のにおいが満ちる。屋台の橙色や赤色の照明がよどんだ薄闇に潤んでいく。そこかしこでうなりを上げる発電機、大音量で流れる盆踊りの歌、静かな田舎町のどこから集まったのだろうと思われるほどの群衆の嬌声、そのさざめきに負けないほどの夏虫の声。

 花火が打ち上げられるたびに左隣で高原が手を叩き、何か言っている。その左隣にいる泉が笑いながらうなずいている。ときどき祐介も正面を指さしては口を開いている。祐介の白い顔が赤や緑の閃光に照らし出されては闇に沈む。

 何もかもが自分のいるのとは別世界の出来事のように思えて、竹史は苦しくなる。蒸し暑いはずなのに背筋がぞくぞくし、手足が重くなり、思わず強く目をつぶった。

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