【2.三つ編み】

三つ編み-1

 五月の弓道場には、すぐそばまで黄緑色の影を張り出す白山のスダジイのかおりが漂う。入梅を予感させる湿り気を帯びた空気の中で、そのかおりはむせ返るほど濃くなり、高校生たちを当惑させる。


 祐介と竹史は今日も放課後の部活に勤しむ。中学生のころから弓道教室に通っていた祐介と竹史は、入部後すぐに的前まとまえに立つ(注1)ことを認められている。祐介の射は力強く隙がない。どっしりとした体幹が射の精密さを支え、物怖じしない性格が射の正確さを後押ししている。本格的な弓道の練習と筋トレを始めた竹史は、まだ的中率は低いものの、射にゆとりが生まれてきた。中学生のころから祐介に嫉妬を覚えさせた竹史の射形の美しさは、安定感が増すにつれ磨き上げられていった。


 祐介は竹史の成長ぶりに目じりを下げる。それでも、貧相な体格の竹史には限界がある。部活の終わりには、いつも、ふらふらとねらいが定まらぬ状態になっていた。そんな竹史を見ながら祐介は繰り返す。

「たけ、あともうちょいじゃな。もうちょい、体力が付いたら、怖いもんなしじゃ」

 竹史が口をとがらせる。

「嘘つけ、あともうちょいなんち。そげんうまくいくかよ。本気でそげんこと思っちょんの?」

 おまえ小学生かよ、と祐介は笑う。

「おう、思っちょる。的中率だって上がって来たし、なにより、たけの射形は綺麗じゃ。コンディションの変化に柔軟に対応しながら、常にそのときどきに合った美を無意識のうちに達成しちょる。それに体力が伴ったら、もう、誰もかなわんごとなる」

 竹史が自嘲気味に繰り返す。

「体力が伴ったら、な」


 祐介がふとプール棟を振り向いた。

「ああ、また見よるわ」

 竹史も目をやる。プール棟の二階の窓には、長い三つ編みの端を指でくるくるともてあそびながら弓道場を見下ろす少女がいた。大きな目で練習している部員を眺めている。

「高原やな。あいつさあ、いつも見ちょるくらいなら、入部せんかな? 誘ってみろうか?」

 楽し気にそう言うや、祐介は窓に向かって大きく両手を振る。高原が大きな目をさらに見開く。気づいた、と思った祐介は、来い、来いと手招きした。高原は眉をひそめてそんな祐介を見ていたが、くるりと身をひるがえすと、プール棟から出てきた。


 出てきた高原を祐介が弓道場へと連れてきた。

「興味あるんやろ? きちんとこっちで見学したらいいやん。ちゅうかさ、もう、入部せん? 一週間くらい、いっつも見よるやん?」

 祐介が屈託なく勧誘する。

「今日は、じゃあここで見学させてもらうわ」

 三つ編みのしっぽをいじりながら、きっぱりとした口調で、高原が言う。

「お、了解。じゃあ、見学者のノートに名前書いとくな」

 祐介はいそいそと射場の壁の隅にぶら下げられているノートを開き、記入する。

「五月十三日水曜日、一年八組、高原……、高原、下の名前、なんちゅうん(何て言うの)?」

「ようこ」

「どんな字?」

「……容疑者の容」

 祐介が吹き出した。おまえ、実はおもしれえんやな、と笑う。竹史はふたりを無視して他の部員たちと稽古を続けていた。


 数日後、高原容子は弓道部に入部した。全くの初心者だったが、体のしなやかさ、意外なほど強い筋力、それになにより、勝ち気で積極的な性格がものを言い、めきめきと上達していった。六月中旬には先に入部していた一年生たちとともに的前に立てるようになっていた。





【注1: 的前まとまえに立つ】

弓道場内で的に向かい弓で矢を射る練習をすることです。射場に立ち28メートル先の的場にかけられている的に向かって矢を射ます。弓道を始めて的前に立てるようになるまで、一か月から三か月くらいかかることが多いです。

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