自転車旅行ー5

「夏休みに入ったらさ、自転車で県内一周しようと思っとるんじゃ」

 期末試験が終わったころ、祐介は竹史にそう言った。

「俺も行きてえ」

 すかさず竹史が返す。祐介は眉を寄せてぶっきらぼうに言う。

「結構、きちいで。あちいし、日差しはつええし、山ん方も通るけんな。一日50キロくらい走るぞ?」

 それでも竹史は強情に付いて行くと言って譲らない。祐介だって、竹史が食いついてくることを期待して言っているのだ、いつまでも反対はしなかった。祐介にはわかってる。竹史は一度口にしたことはひるがえさない。やる、と言わせてしまえば、あいつは絶対にやり遂げる。これで、夏休みのよい体力づくりになろう。


 部活が自主練期間に入った翌日、ふたりは出発した。二日目までは順調だった。三日目の山越えの日に竹史の体力が尽きて峠で動けなくなり、一時間ほど休憩を余儀なくされた。四日目は快晴で、強い日差しに一日中照りつけられた祐介が真っ赤に日焼けし、夕方には水膨れができた。五日目以降はふたりとも要領と自分たちのペースをつかみ、大きなトラブルなくサイクリングを楽しんだ。七日目に海辺の最終宿泊地に到着し、八日目の朝に故郷の市街地へと向けて人気のない町を出発した。


 ふたりの自転車は市街地に差し掛かり、白山の脇を風となって抜ける。頭上からふりそそいだ蝉時雨がかげろうとなってゆらゆらと地面から立ち上る。


 ふたりは祐介の家に着いた。玄関に入るとすぐに妹の彩が出てきて、ふたりを見るなり、汗臭い、と悲鳴をあげて逃げた。誰か来たんと母が尋ねているのが聞こえたかと思うと、玄関に姿を現した。

「ああ、お帰り、ふたりとも! 疲れたやろ、ほれ、上がり、上がり、竹史くんも、ほれ」


 その声に促されるまでもなく祐介は靴を脱ぎ捨てて上がっていく。竹史はそれを見ながらもじもじとしている。

「たけ、上がりや。疲れたろ、ちょっと休んでから帰りや」

 祐介が振り向いてそう促すが、竹史は動こうとしない。

「いや、俺、このまま帰るわ。座ったら、もう動けんもん」

 そう言うと、こちらを心配そうに見ていた祐介の母親に恥ずかしそうに笑って見せた。


「じゃあ、さ、きゅうりかじってけ」

 祐介がサンダルをつっかけて玄関から出ると、家の左手に広がる畑に行き、きゅうりを二本もいできた。

「ほれ」

「ありがと」

 麦茶のコップを二つ持ってきた母親が、祐介が竹史に渡そうとしていたきゅうりを、呆れ顔で横から奪い取った。

「こら、祐介、こんまんま、渡すんじゃないわ。竹史くん、ちょっと待っちょり、洗ってくるけん。で、本当にきゅうりがいいん? トマトも冷えちょるんがあるで?」

 祐介が横から口をはさむ。

「母さん、たけはトマトはアレルギーじゃけん」

「そうか、竹史くん、ごめんな」


 戻って来た母はつややかなきゅうりを竹史に渡した。竹史は受け取ると、すぐに一本を口元に持っていく。かりり、と小気味よい音とともに、青い香りが広がる。咀嚼するくぐもった音。上下するのどぼとけ。黙々ときゅうりをかじる竹史を祐介は無言で見ていたが、

「あ、そうや、最後の一枚、撮らんと」

 そう言うと、まだきゅうりをかじっている竹史を促し母親を連れて畑に行く。

「母さん、最後の一枚、ここで撮ってや」

 ふたりできゅうり畑の前に並ぶ。

「はい、じゃあ、撮るで」

 母親がファインダーをのぞきながらそう声をかけた瞬間、竹史が祐介の背後に回り込んで、両頬を左右に引っ張る。祐介はむっとしながらも、声を立てて笑う竹史を振り払わなかった。


「写真、できたらちょうだいな」

 そう言うと、竹史はきゅうりを左手に持って自転車にまたがり、去っていった。見送る祐介を振り返ることはない。きゅうりをかじる竹史のふくらはぎがゆっくりと上下しながら遠ざかっていくのを祐介は黙って見ていた。

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