自転車旅行ー3

 祐介が竹史と出会ったのは中学三年に進級したすぐのことだった。中学校に上がると同時に通い始めていた市の弓道教室に、ある日竹史がやってきたのだ。小さかった。三歳違いの妹、あやと背格好が変わらないほどだった。腕力もなかった。弓道教室では中学生クラスではなく、小学六年生がメインの体験クラスに放り込まれた。弓を引かせてもらえるようになったのは、それから三か月後のことだった。


 ある日、見るともなしに竹史に目をやった祐介は目を奪われた。弓を引き分ける竹史の姿に、ちらりと奇妙な凄みが見えたのだ。ほんの一瞬だった。すぐに、子供っぽいがむしゃらな所作にとってかわり、ちょうど目を向けた指導員が苦笑しながら手を添えた。

 なんじゃ、今の? 見間違えじゃろうか? 祐介は首をひねった。しかし、そののちも、まれに、ほんの一瞬、竹史の射には祐介を瞠目させる何かがのぞいた。まだ弱い弓しか引けない。すぐに力が入らなくなり、的を狙えなくなる。的中率はいつまでたっても上がらなかった。

 指導員たちはそんな竹史に対し、いつまでも子ども扱いを止めなかった。実際、小学六年生のグループの中にいても、竹史は小さいほうだったのだから。でも、祐介は竹史の射に潜むものを感じ取っていた。美のあだ花の固いつぼみ。自分にはないもの、おそらく、決して自分が手にすることはないものを、ごくまれにではあったが彼の頼りない射に認めるたびに、祐介はかすかな苛立ちを覚えた。

 学区が違ったので、顔を合わせるのは週二回の弓道教室の時だけだった。大柄な小学生たちに埋もれ、もくもくと稽古をこなす竹史と言葉を交わすことは一度もなかった。


 初めて竹史としゃべったのは、高校の入学式の日だった。式の前にプール棟の二階の教室に入り、出席番号順に割り振られた座席に座った。ひとつ前の座席に見知った小さな姿が座っていた。竹史だった。入学式直前の高揚感から、祐介はその後ろ姿に向かってしゃべりかける。


「なあ、なあ、おまえ……」


 その呼びかけに竹史が振り返る。神経質そうな浅黒い顔。坊主頭から伸ばし始めたばかりの短さでもわかる、くせの強い真っ黒な髪の毛。初めて間近で見た竹史の瞳の色の薄さに、祐介は一瞬たじろぐが、すぐに気を取り直して話しかける。

「おまえ、市の弓道教室に来ちょったやつやねえ?」

 竹史はわずかに眉根を寄せて答える。

「そうやけど」

 おうちょった(合っていた)、おうちょった、と祐介は笑いながら言う。

「俺んこと覚えちょる?」

「覚えちょん、﨑里さきさと祐介。中学生ん中でいっちゃんうまかった」

 竹史の警戒する目つきも祐介は意に介さない。誉めてもらったことに気をよくし、嬉々としてしゃべり続ける。

「おまえ、名前なんじゃったっけ? 弓道部、入るんじゃろ? あとでいっしょに見学しに行こうや」

小嗣こつぎ。部活は考え中」

 あっさり水をかけられ、ちょっと鼻白む。

「え、なしか(どうして)? せっかく弓道しちょったねえ。弓道好かんの? そげんことねえよな? おまえ、ずっと稽古に来ちょったもんな? 他にやりてえこと、あるん?」

 竹史は目をそらして言った。

「﨑里も知っとろう? 俺は体力がねえ。弓を引き続ける筋力がねえ」

 祐介はからりと笑った。

「なに言っちょんのか、そげなん、今からつけりゃあいい。やってみらんと、できるかでけんかなんち、わからんじゃろ? な、一緒に行ってみろう? 小嗣こつぎ――って下の名前は?」

「竹史」

「じゃ、たけ、な。俺も名前でいいぞ」

「ゆう」

「お、よろしくな」


 結局ふたりはそろって弓道部に入部した。


 竹史は呆れるほど筋力がなかった。弓を引くのにことさら腕力を要するわけではないとはいえ、それにも程度がある。見かねた祐介は、中学時代に行っていたトレーニングのうち、上半身の筋力アップにつながるものと体幹を鍛えるものをいくつか教えてあげた。世話好きな祐介があれこれ口出しすると、竹史はうるさそうに顔をしかめるものの、意外にもすんなりと提案を受け入れ、もくもくとトレーニングメニューをこなすようになった。


 入学して数日後、通常授業となり、昼休みをはさんで午後も授業が始まった。給食や学食はないので、生徒たちは昼休みに、各自持ち寄った弁当あるいは購買で購入したパンなどを食べる。席が前後だった祐介と竹史は、自然と一緒に昼食を食べるようになった。


「たけ、飯食おうぜ」

 大きな弁当箱を取り出しながら祐介が竹史に声をかける。竹史は小さな包みを取り出す。それを見た祐介が怪訝な顔をする。

「なあ、おまえ、またおむすびだけ?」

 竹史は表情を変えない。

「ん」

「それ、中味なんか入っちょるん?」

「いや、なんも」

 祐介が目を見開いた。

「はあ? 白むすびっちこと? おまえ、毎日昼は白むすびふたつなん?」

「いや、塩むすび」

「同じじゃ、ばか」

 祐介は小鼻をふくらませた。

「あのさ、俺だって偉そうなことは言えんけど、それって、そうとう栄養偏っちょらん? もしかして、おまえんちの親、弁当作れんくらい、忙しいん?」

「いや。俺がこれがいいけん、これにしてもらっちょる」

「どげんこと?」

「――」

「もしかして、好き嫌いがすげえ激しいっちこと?」

「――」

 答えず塩むすびをほおばる竹史に祐介はため息をついた。

「たけ、おまえ、もっと食生活に気を配れ。筋肉付けるにはタンパク質が不可欠やぞ? わかっちょる?」

「――」

 うっとおしそうに目をそらす竹史に祐介は再度ため息を漏らした。祐介は竹史にバランスよく食材を食べる必要性を説く。とはいえ、祐介だってうろ覚えの知識しかない。しどろもどろの説明をしていると、隣で弁当を食べながらちらちらと様子を窺っていた二人組の女子のうち、長い髪の毛を二本の三つ編みにしていたほうが、箸を置くと、机から本を取り出し、開いて差し出してきた。祐介が本と女子の顔を交互に見る。

「なん、これ?」

 三つ編みが答える。

「家庭科の教科書。五大栄養素とそれを含む食材」

「お、そうか、ありがと!」


 祐介は教科書を竹史に示しながら、食べるべき食材を書き出して渡す。隣でくすくすと控えめに笑いあう声がする。竹史は舌打ちした。

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