【1.自転車旅行】

自転車旅行-1

 県内一周の自転車旅、その最終日は最勝海にいなめ海岸近くの民宿に泊まった。県南の海辺の町から時計回りに回って、七日目のことだった。

 西の山に日が沈むと、とたんに海辺の町は磯のかおりに包まれる。そのかおりに出迎えられるようにふたりは小さな民宿にたどり着き、シャワーを浴びてようやく一息ついた。早く晩飯食おうぜとせかす祐介ゆうすけに竹史が不承不承ついていく。その気乗りなさげな様子に、祐介が信じられんと言った顔で尋ねる。

「たけ、おまえ、腹すかんの?」

 竹史は顔をしかめて答える。

「そげんわけねえわ。でも、疲れすぎるとさ、もう、腹すいたんなんか、どげでもようなろ?」

 祐介が真っ赤に日焼けした顔で豪快に笑う。

「んなわけねえわ、どげん疲れとったっち、腹はすくわ。おまえも、食えば腹すいとんの思い出すじゃろ」

 竹史がしかめっつらのまま、ぽつりと言う。

「きゅうり、食いてえ」

 祐介が足を止める。

「は?」

「おまえんちの畑のきゅうり。川で冷やしてさ。塩、ちょっと付けてさ」

 祐介は詰まらなさそうな顔をして歩き始めた。

「おまえは河童か」


 ふたりは暮れなずむ海岸沿いにうす暗い蛍光灯をにじませている小さな食堂に入る。民宿を経営する夫婦が営む食堂だ。年季の入ったテーブルが五つ並ぶ店の奥に小さなテレビが置かれ、その正面のテーブルで、真っ黒に日焼けしたがたいの良いおいちゃんが三人、アジの刺身、小アジのから揚げ、イカの一夜干しを並べてビールを飲んでいた。

 メニューは定食一択。お茶を持ってきてくれた花柄かっぽう着の小さなおばちゃんに祐介が定食の内容を確認し、じゃあそれを二人前、と明るい声で頼む。ふたりがお茶をすすっていると、さっそく湯気のもうと立つ料理をお盆に載せておばちゃんがやってきた。皮膚の薄そうなまるまるとした手で、ふたりの前に料理を並べる。見事な照りのハゲ(カワハギ)の煮つけ、豪快に盛り合されたアジとハンサコ(イサキ)の刺身、ワカメと玉ねぎの味噌汁、つわぶきと厚揚げの炊き合わせ。いただきますとおざなりに挨拶すると、祐介は分厚く切られたアジの刺身に真っ先に手を伸ばす。うめえ、と声をあげ、ハンサコの刺身を食べ、飯をかきこむ。しばらくそんな祐介をげんなりした目で見ていた竹史も、箸を取ると刺身に手をのばし、むっつりした顔で口に放り込む。

「どげか? うめえじゃろ?」

 食べながら祐介がたずねる。

「ん、思ったよりうめえ」

「ほれ、見てみい!」

 祐介が嬉しそうに笑った。竹史はむっつりしたまま、刺身をもう一切れ口に入れた。

「米、いらん。やる」

 そう言うと、まだ箸をつけていない、大きな茶碗にてんこ盛りの飯を祐介に突き出す。祐介が顔をしかめる。

「食べ」

「いらん」

「食え」

「いらん」

 祐介が箸を置いて竹史を見すえる。

「半分、もらう。残りは食え。いいか、残りは食えや? おまえ、本当にまたよう動かんごとなるぞ。動けんごとなったら、今度はもう置いてくぞ」

 そう言うと、竹史の茶碗から飯を半分だけ自分の茶碗に取り分けた。竹史は戻ってきた半分の飯をしばらくいまいましげに見ていたが、しぶしぶ、ハゲの煮つけをのせて食べ始めた。その様子を見て祐介は頬を緩めた。


「よう、兄ちゃん」

 テレビの野球中継を見ながらビールを飲んでいたおいちゃんたちが、祐介たちに声をかける。

「高校生か? 自転車で来たっち? どけえ行くんか?」

 祐介がにこにこしながら、ほろ酔い加減のおいちゃんに負けない大声で、県内一周してもう明日帰るところですと答える。三人のおいちゃんたちからどよめきが上がる。

「はあ、自転車で県内一周かあ。また、えれえことしよるもんじゃのう。はあ、わけえのう」

「兄ちゃん、ちょっとこっちで飲まんか? 飲めるんじゃろ?」

「おめえ、高校生っち言いよるにい、それはやめちょけ。それより、兄ちゃん、ほれ、これ食わんか? さっき釣ったアジを揚げてもらったんじゃ。こっちん皿はまだ手えつけちょらんけえの。若えもんにゃ、煮付けよりゃ、こんなんほうが良かろ? そっちに持ってって、そっちん兄ちゃん――ん? 弟か? ふたりで一緒に食え」

 弟呼ばわりされた竹史はあからさまに不機嫌な顔をしている。祐介は苦笑しながら立ち上がると、首にタオルをかけたランニングシャツのおいちゃんから、きつね色の小アジの唐揚げが五、六個のった皿を頂戴し、さらに二、三言、言葉を交わす。その時、テレビから大歓声が上がる。おいちゃんたちの目がテレビにくぎ付けになる。

「おおっ、入った入った! おっしゃ、これで決まりやの」

「今年はえれえ調子がええのう。こんまんま、優勝するんやねえか?」

「まあだ、わからんわ。まあ、見ちょれ。いっつも、こっから崩れるんじゃきい」

 祐介が、もらった小アジの唐揚げの皿をテーブルの真ん中に置く。揚げたての香ばしいかおりがぷうんと広がる。

「たけ、せっかくやけ、食べ」

 竹史がうんざりした目で皿を一瞥する。

「無理」

「一番小せえやつなら、入らんか? 二人で食べえっちもらったんやけ、ひとつ、食べ。どうしても、無理か?」

 祐介がそう言ってうながすように竹史の顔を見る。しばらく顔をしかめていた竹史が祐介の顔をちらりと見ると、のろのろと皿に手を伸ばし、一番小さな唐揚げを取った。さく、と竹史の歯が唐揚げをかじり、もそもそと咀嚼する。祐介はそれを嬉しそうに眺めると、残りを平らげた。


 宿に戻ったふたりはもう一度シャワーを浴びると、黄色くそそけた畳の上に敷布団を二枚並べて敷いた。祐介が海に向いて開け放たれている窓際の布団の上に寝そべると、すぐに竹史が「ちょう、ずりい(ちょっと、ずるい)」と抗議の声を上げて同じ布団の上に寝そべる。祐介がけだるげに声を上げる。

「たけ、寄んな。っちいんじゃ。おまえは、向こう」

 そう言いながら窓の方へと寝返り、竹史に背を向ける。

「俺も窓側んほうがいいもん。こっちんほうが涼しいじゃろが」

 そう言って、背中で祐介の背中を布団から押し出そうとする。とたんに祐介が悲鳴をあげる。

「うわっ、なにすん? おまえ暑っちいわ、背中つけんなや!」

 そう言いながら、窓辺のほうに身をよじるが、竹史がさらに背中でぐいぐいと押しのけようとする。祐介ももうくたくたで、力ずくで竹史を追い出そうとはせず、ただ声を荒げる。

「なんすん、暑ちい! きしょい! こそばいい! おい、止めやあ、たけ!」

 その声に苛立ちが混じり始める寸前に竹史は背中を離す。ぐるりと寝転がって腹ばいになり、ぽつりと言う。

「ゆう、九月の団体戦さあ、俺、やっぱり無理じゃと思う」

 祐介は湿ったTシャツの胸元をパタパタと動かしながら答える。

「ああん? ありゃあ部内選抜の結果じゃけん、おまえがどうこう言うんは差し出がましいわ。ましてや、他んやつに文句言われる筋合いはねえ。誰じゃ? 先輩たちか? それとも疋田か? 中川か? なん言われた?」

 竹史は答えない。

「たけ?」

「誰にもなんも言われとらん。俺が自分で無理じゃって思っちょるん。俺、人前で行射ぎょうしゃすんの、好きじゃねえ」

「なしか? 緊張するんか?」

「緊張はせん。でも人にじろじろ見られるんが気持ちわりい」

「そげなん、すぐ慣れるっち。九月の大会に出てみたら、わかるわ」

 その言葉に竹史は返事をせず、無言で隣の布団へと転がり、うつ伏せになる。

「ちょい、たけ、聞いちょん?」

 首を回して竹史を見るが、竹史は顔をそむけたまま答えない。祐介は布団の上をごろりと転がって自分の布団の端にくると、腕を伸ばして竹史の猫っ毛を荒っぽくかき回す。

「おまえ、メンタルつええんか、よええんか、全然わからんな。――あんな、大会に出ることで成長する部分って、絶対あるんよ。おまえが人前で行射するんが嫌っち言うんなら、人に見せるんじゃのうて、俺に見せるつもりで行射し? 俺はたけの射が大好きじゃ。学校でも、大会でも、いろんな経験を積むことで、おまえの射がどげん磨かれていくんか、俺は見ていきてえんよ。わかったか? わかったら、ガキみてえにすねんな」

 照れくさそうに言うと、竹史の頭を軽くはたいた。

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