第10話 虎穴に入らずんば虎児を得ず
いくら静かで落ち着いたメロディを選んだとしても、目覚ましのアラームに設定した途端、耳障りな印象が増すのは何故だろう。
「ああ……っ、だりぃ……」
だけど――シーツから香る残り香が、なづなの鼻を甘くくすぐる。
どんな道を選んでもミゼリアさんは支えてくれると言っていた。寝る前にした会話をぼんやりと振り返りながら服を着替える。
一階へ下りると、なづなよりも早く起きていた三人が朝食の支度を整えていた。
「……シオン。目を閉じたまま歩かれると、さすがに危なっかしいのだけれど」
「一応、うっすらと開けていますよ。間取りや家具の配置も記憶しましたし――」テーブルに食器を並べ終えるとあくびをひとつ、「……いけませんね、この街の朝は。あまり慣れたくありません」
「フッ……まったくそう思うよ。朝は苦手かい?」
「ええ。具体的には早起きの方が」
「あ、それめっちゃわかります。だるいっすよね早起き」
飲み物を運ぶなづなにシオンさんは「だるいですね」と、砕けた口調を添えて微笑みかけてくれる。正直、意外だった。けれどミゼリアさんと同じで、共通点が見つかると途端に親近感が湧いてくる。
タオジェンは、まだ寝てんのかな。
あいつだけはまだ顔を合わせてないし、厨房にも一階のフロアにもいない。
朝食を食べようとした時に浮かんだ疑問が、窓ガラスを叩く音でかき消された。
『――、――!』
「……なづな」
「りょーかいっす。ほら、入ってこ~い――っと……」
間近で見るタオジェンの体は思いのほか大きい。翼を器用に羽ばたかせて、ライモンがテーブルの傍に置いたポールハンガーを止まり木にする。
『サンキュー! 今から朝メシ? なあ、オレの分ある?』
「ええ、もちろん。話を聞くのは……食後にしましょうか」
話――って、なんの話だろう。
首を傾げるなづなをよそに、それぞれが同意するように頷き返す。はたしてシオンさんの言葉通り、疑問にメスが入れられたのは朝食を終えた後だった。
「……見張ってた? あいつらを?」
問いかけるとタオジェンが翼を掻いてから、
『おうよ。シオンちゃんの指示無視して、おまけにこっちまで怒鳴り込んできやがったろ? だからこいつァヤベェぜって事で、念のためオレちゃんが夜通し見張ってたつうワケよ』
「それから……なづなさんの安全を確保するため、という目的もありました」
「なづなの?」
「……タオジェンの言ったことと重なるけど。あの人達は言いつけを破って、しかもわたし達の行動を推測した上で後をつけてきた。子供に会うためとはいえ、少し手段が強引過ぎるし……なづなには申し訳ないけれど、そこまでする人間を信じきる事はできなかった。ごめんなさい」
謝る必要はどこにもなかった。むしろあいつらの身勝手な行動を考えれば、ミゼリアさん達の懸念はごく
心遣いに胸があたたかくなり、感謝の言葉が自然と口をついて出る。空気が若干やわらぐ中、しかし、ライモンだけは一人
「……命令無視に的確な推理、尾行」
「どした? ライモン」
顎先をつまんでいた指を離して息を吐きだし、
「素直にシオンの言う事を聞いていれば、彼らは普通に案内されたハズだ。……なのにどうして、わざわざ急ぐようなマネをしたんだろう」
『それ
「そうですね。直接顔を見合わせてのやり取りは、必ず互いの意思を確認してから行う事――そのような決まりが設けられていますので」
なづなと、なづなの両親が互いに「会いたい」という意思表示をしていなければ、原則引き合わせてはいけない事になっている。考えられる理由としては、やはり無用なトラブルを避けるためだろうか。
一方で、あいつらがなづなに会おうとした心当たりは、正直なところまったくと言っていいほど思い浮かばない。
金がある訳でも、それに値するような価値ある物を持っているわけでもない。異世界に転移してからのなづなは、ライモンの下で普通に暮らしていただけだ。
それに、タオジェンの指摘は的を射ている。
仮にシオンさんから「両親が会いたがっています」とあらかじめ聞かされていたなら、なづなはまず間違いなく拒否を選んでいる。でもあいつらはそうじゃない――?
考えれば考えるほど分からない。こんな事、朝っぱらから考えさせんなよ。迷路のように入り組んだ思考を投げ捨てて、なづなは背もたれにどっかりと腰を預けた。
「そういえば……なづなのお父さんはまるで、お母さんを従えてるみたいだったね。昔からああだったのかい?」
ライモンの頭は、まだ回り続けていた。
「うん、まあ……うまくは言えんけど、従えてるって
「……気の毒ね。察しはついていたけれど、とてもいい関係だとは思えない」
なづなを含め、その言葉には誰もが同意するところだった。健全だとは口が裂けても言えないし、一般的な家族像からはかけ離れているという自覚もある。
どうしてあいつらは結婚して、その上なづなを生んだんだろう。
家庭を築こうと思ったんだろう。
結局最後には、ぜんぶ捨てるのに――
「なづなさん」
窓辺に置かれた古時計、その秒針が十二時を回る。
「あらかじめ、今から言う事がすべて私の主観に基づくものであることを伝えておきます」テーブルについた頬杖の上に顎を乗せ、「仮にあなた達が本当の親子であったとして。共に暮らしていいのかという点について、私は大いに疑問を持っています」
「……でも家族だから、無理にでも暮らさなきゃいけない決まりがある、とか」
勝手な推論、勝手なルールを組み立てて
「いいえ、そのような決まりは私も知りません。……なづなさんは、どうしたいですか」
「……会いたいです。あいつらに」
「そこから先は?」
「もう関わんなって、言ってやりたい」
問いかけはいくつか続いた。
なづなと両親の三人は、異世界に転移する前から面識があるか。
なづなの知る限り、全員が偽名ではないかどうか――その全てに正直に、自分なりの誠実さをもって答えていく。
一連の質問が両親との顔合わせ前に行う意思確認なのだろうかと直感した時、タオジェンが呟いた。
『ウソかホントか知りたいなら、シオンちゃんの力使えば一発じゃねえの?』
冗談めかした声に対し、なづなの言葉を
「誠実な態度に誠実な態度で向き合わなければ、それこそすべてが嘘になる。人を信じる為に悩むのに、力を使う必要はありません」
――シオンさんが優しい人で良かった。
言葉の真偽を図るのにわざわざ自分で考え、判断しようとしてくれている。そこに感じた信頼は、なづなにとって紛れもない本物だった。
「わかりました」頬杖を解き、姿勢が正される。「では支度を済ませた後、なづなさんのご両親が宿泊する宿へと向かいます」
「シオン、向こうに了解は?」
「昨日、既に。いかがでしょう? なづなさん」
両親との再会をこんなに待ち望んだことはない。心はもう、決まっていた。
「ありがとうございます。いい加減、ケリつけてやる……!」
あいつらとの決別がなづなを変えるきっかけになる。何かを変えるきっかけ、自分なりの歩き方。ふと脳裏に声が響いた。
――辛かったよね。
瑠稀はなづなに寄り添ってくれた。逃げずに、向き合ってくれた。
誰かを想える優しさを持つことは、きっとなづなには難しい。
それでも、立ち向かってやる。
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