第5話 灯台下暗し


 ライモンと知り合いたての頃、この街の時計塔が一時間おきに鐘を鳴らして、そのたびに夜空が変化するという話を聞かされた事がある。


 なづなは空を気にしながら歩くことはほとんどないし、普段から下を向いて歩いているからなんとなくでしか分からない。


 でもマスカルーナの街に戻ってきた時、心なしか星と月の配置が変わっている気がした。


 ギルドへ依頼達成の報告をしてカフェへと戻る。道中では軽い挨拶と、自己紹介を交えた会話をしていた。


 シオンさんのボディガードとして付き添っているミゼリアさんと、そのペットであるタオジェン。ミゼリアさんはともかく、ぱっと見ではカラスにしか見えないタオジェンが人の言葉を離せているのはちょっとしたミステリーだ。


 怪奇現象か、突然変異か。元の世界ならまず間違いなく珍獣扱いされるだろうけど、ここは異世界。会話するうちに違和感は薄れ、この世界にはそういう奴もいるんだと適応力が仕事をする。


 ミゼリアさんは――本当にどういう訳か、さっきからなづなに対して優しく声を掛けてくれる。


 怪我はしていないかとか、ご飯はもう食べたかとか、初対面なのになんでそこまで気を遣うんだろう。生暖かい疑問が晴れたのは、みんなでなづな達のカフェのテーブルを囲んでいる時だった。


「――私たちはなづなさんに用事がありまして。顔合わせがスムーズに進むよう、あらかじめ情報を共有しておいたのです」

「……迷惑だったかしら。距離感を間違えていたのなら、ごめんなさい」


 申し訳なさそうに呟いて、はす向かいに座るミゼリアさんは横髪を左耳の上にかけなおす。耳は逆だけど、見覚えのある仕草だった。


「あ、いや全然……大丈夫っす」


 瑠稀に抱きかけたのと同じ、下種げすな思考がよぎりそうになる。


 さっきまで隣を歩いていたから分かる。

 この人から漂う香りはそれだけで酔えそうなほど甘くて――冗談だろと言いたくなるくらい整ったスタイルは、特に男の目を惹きつけてやまない筈だ。おまけに駄目押しと言わんばかりに、ツラまでがいい。


 何気ない仕草に、佇まいに、無自覚なつやっぽさがまとわりついて見える。淡い微笑みに会釈を返すと、コーヒーを口にしていたライモンがカップを置いた。


「シオン。なづなに用事があると言っていたけど、それは聞いても?」

「……そうですね」口を湿らせる程度に紅茶を含み、「少々お時間を頂きますが、よろしいでしょうか? 都合が悪ければ、ある程度はずらせますが」

「問題ない。今日はお客さんが来ないし、いまいちやる気も出なくてね」

『イカれてたもんなァ転移石チャン。まあ、そういう日もあらァな』


 カフェを出る時に“準備中”にひっくり返しておいた入り口のドアプレートは、今もそのままだ。当然店内に客はいないし、窓の外を見ても今日は人通りが少ない。やる気が出ないのはなづなも同じだった。


 わかりました。では――手短に前置きを挟んでから、シオンさんは話を切り出した。


「先日、ギルドで受付をしていた私のもとを、男女の二人組が尋ねてきました。見た感じでは三十代前後、装いはそれぞれ異なりますが、おおむね転移者であると見受けられる風貌です」

「転移者……それで、その二人はキミになんて?」


 窓際に置かれた古時計、その長針と短針が視界の端で重なり合う。


「紅白なづなという子供を探している。その子は俺たちの子供だから、見つけて会わせてくれ――男性の方が、そうおっしゃっていました」


 耳を疑った。

 今、自分の顔を鏡で見たらどんな表情を浮かべている事だろう。同時にシオンさん達がここに来た理由に察しがついてしまった。


 その方達からは名前も伺っています。なづなが欲している情報をつぶさに読み取って、シオンさんは続けた。


「男性は紅白運日べにしろはこび様、女性は紅白芹愛べにしろせりあ様。……なづなさん、聞き覚えは?」

「……っ、ああ。ある、ありまくりだよ。あのクソったれ……!」


 そいつらに様付けする必要なんてない。ふつふつと煮えたぎる感情の底には、まだあんな奴らの名前を憶えていたのかという他人行儀な驚きがあった。

 なづなはあいつらに、捨てられたようなもんなのに。


「なづな。何があったのか分からないけれど、親に向かってそんな――」

「るっせぇよ、どうでもいい」


 すぐ、罪悪感に駆られた。

 さっきまで優しくしてもらってた人間にお前、何様だよ。


 つい重なった視線から戸惑いと悲しみが伝わってくる。自分がなんて言葉をぶつけてしまったのか、その時はじめて理解できた。


「……すいません、でした」

「……いいえ。わたしの方こそ、よく知りもしないで……ごめんなさい」


 紅茶を飲み干したところで暗い炎は消えやしない。埋もれていた記憶がフラッシュバックして、その一枚一枚がまきのようにくべられて炎を大きく燃え上がらせる。


 あいつらは、いやあいつらも、異世界に来てたのか。


 なづなの前から姿を消したあの日から、どこへ行ったのか考えなかったわけじゃない。遠い土地に住んでいるのかもしれないし、あるいは国を越えて、海外にでも移り住んでいるんじゃないかとも考えた。どこまでも視界の悪い、思考の迷路をさまよった。


 灯台下暗し――いつか学校で習ったことわざは、こんな時に使うのだろうか。


 それこそどうでもいい。一年ぶりの答え合わせに、ただ「くだらない」という感情以外湧いてこない。


「……その人達は、本当になづなの親なのかい?」


 重苦しい沈黙にライモンの言葉が落ちてくる。


「この世界に迷い込んだ転移者の親をかたる者がいる……以前、小耳に挟んだことがあってね。まあ、そんなことをする奴はおおかた詐欺師だったり、ロクでもない事を企む連中なんだろうけどさ」

『いやオレちゃん達もズバリ、そこを確かめたくてやってきたワケよ。ライモンちゃん』ポールハンガーを止まり木にしたタオジェンが翼を広げ、『けど名前がビンゴっちまってんなら、こりゃもうアタリなのかもな』


 異世界に転移してからあいつらの名前を誰かに言った覚えはない。街中で呟いたことも、世話になっているライモンにさえ。


 なのに、もっとも知りようがなく騙りようがない名前という情報を、そいつらは一字違わず言ってのけた。


「……シオンさん。そいつら、今どこにいるんすか」


 実際目にするまで信じる事はできない。

 会いたいという気持ちも微塵もない。


 それでもなづなが問いかけたのは、どちらかと言えば確認しておきたいという気持ちが勝っていたからだ。シオンさんは指先で髪をもてあそびながら、


「今はこの街の宿に宿泊させています。万が一、なづなさんに危害を加えようとする可能性も考慮しなくてはなりませんから。……では、まずは私がコンタクトを――」


 不意にティーカップの中に注がれていた視線が持ち上がる。二度鳴り響いたノックの音は入口のドアから。シオンさんが目配せして「どうぞ」と意思表示をすると、視線のパスを受け取ったライモンが立ち上がる。


 こんな時にどこのどいつだよ。苛立いらだちはため息となり、乱暴に鳴り響いたドアベルの音が悪寒を走らせた。


「――おぉい、なづなぁ!」


 来たのは客じゃない。

 この声は、あいつの声だ。

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