第4話 見境ナシ男


 大型の魔物の頭部に魔力が凝縮され、ほとばしる閃光がシオンのすぐ横を通り過ぎる。だというのに彼女は一瞥いちべつもくれず、澄ました表情を崩さぬまま微動だにしない。


 あまつさえ着物と帯の隙間から取り出した小説を読み始めたとくれば、魔物とシオンの間で右往左往していたなづなが一目散に駆け出すのも無理もなかった。


「ちょ待ッ――待て待て待てオイ! 岩塊防壁ロックウォール!」


 岩壁の隔たりに背中を押し付ける。魔法によるノックが壁ごと体を揺らしていたが知った事ではない。今は、状況の整理が先決だ。


「っ、久しぶりっすねぇシオンさん! え、てかなんでこんなトコに!? あとあのデカいヤツ気を付けてください、見境ナシ男なんで!」

「ええ、お久しぶりです。ですが」小説に目を落としたままページをめくり、「――“左へずれてください”」


 自分の意志とは無関係になづなは体を動かした、いや直後、熱を帯びた閃光が岩壁を下から上に焼き切った。


 シオンの声には魔力が乗り、同時に不可抗力じみた強制力を働かせて人の動きや感情を操作することができる。


 彼女から直々じきじきに“しつけ”を受けたなづなだからこそ思い出すのに時間はかからなかったが、目下のところ、気にすべき問題はそこではなかった。今は再会を喜ぶ時間も、見知らぬ者同士で意気投合を図るいとますらない。


「……あなたが紅白べにしろなづなね」

「は……? そう、っすけど……」


 桜色の瞳と困惑の滲む視線が交差する。


「わたしはミゼリア、こっちはタオジェン。……シオン、すぐに片付けた方が良いと思うのだけど」

「ええ、あまり待たせるのもよくないでしょうしね」

『なあなあシオンちゃん、こんな時に読書してたらページ全部ぶっ飛んじまうぜ?』

「ご心配なく。次は百三十九ページ、十一行目――」


 言葉だけのしおりを挟んだ直後、左方より迫りくる切っ先をシオンは素早く本で挟み込み、顔の横へと受け流す。


「“お引き取りを”――息吹ブレス


 鋭い槍の穂先ほさきでは、本のしおりになりはすまい。


 どん、と、のしかかるような圧力が魔物の体を硬直させ、軽やかな吐息がガラス玉を撫でると尋常ではない速度で後方へと吹き飛ばされる。


 一瞬魔物がたじろいで見えたのは果たしてなづなの気のせいだろうか。

 目を疑う彼女をよそに、ミゼリアは伸ばした腕からタオジェンを離陸させて追撃を指示した。


雷光突撃ライトブリッツ――! ッヘヘァ、ご愁傷しゅうしょうサマァ!』

「なづな、まだ休憩が必要かい?」狙う斬撃で敵を斬り上げ、無防備な体へかかと落としを叩きこみ、「そろそろ動いてくれると助かるなぁオレは……!」

「……早く終わらせましょうか。あなたの為にも」


 ライモンの言葉はともかく、何故ミゼリアと名乗るこの女性が親身しんみに接してくれるのかわからない。優しげな視線の意味も、やけに協力的な姿勢も。


 だが――頭数なら揃っている。


 なづなはろくろを回すようなジェスチャーを交えながら、


「えっと、敵、まとめるんで。そこをばーっとやっちゃったりとか?」

「……ええ、任せてちょうだい」

「っひひ、あざーっす! ――疾風柱フローピラー雷光鎖縛ライトチェーン!」


 地面に着弾した弾丸が気流の渦を発生させ、吸い寄せられた魔物たちを稲妻の鎖で根こそぎ一ヶ所に縛り上げる。威力は大きくないが、直接的なダメージを期待していた訳ではなかった。


水流疾走アクアダッシュ……ブレイド


 水を分ける爪先と、飛沫と混ざり合う桜の花弁はなびら。漲らせた水に乗って爽快に滑る様は、氷上を舞う踊り子のように華麗そのものだ。


 鮮やかな水流が軌跡を描き、地面と水平に上げた片足に刃が形作られる。さらに一回転、二回転と体が宙で回転を刻み、


「――散りなさい!」


 三回転。桜色の凶刃が、美しくも残酷に魔物の束を刈り取った。


 攻撃はまだ終わらない。さらにミゼリアは地面に手をつき、逆立ちの姿勢を維持したまま両足に携えた刃を振るい始める。


「いやマジかあの動き!? クッソ、動画撮りたい、けど……!」


 好奇心は猫を殺す。シオンが見ている手前、ポケットにあるスマホを取り出すような真似はできなかった。


 脚で刃を振るうという挙動は常人では到底成し得ず、もはや大道芸の域に達していると言っても過言ではない。桜色の剣閃が舞い踊り、魔物たちの太刀筋を縫うようにしてその体躯を斬り裂いてゆく。


「あの子を含め、キミたちはサーカス団にでもいたのかい?」


 仕込み刀を逆手に持ち替えて×バツ字に斬撃を飛ばし、


『いいや! でもスカウトが来たら考えてやらなくもねェ!』


 真上に吐き出された、雨の如く降り注ぐ火炎が魔物をとどまらせる。口元の残火が革靴の足元に垂れ、突き立てられた一刀が熱を吸い上げ燃え盛り――


「もし引き受けたら人気間違いなし、だろうなッ!」

『おうよ! 火炎流波フレイムウェイブッ!』 


 振り上げられた刀と黒翼が波を生む。

 灼熱、業火が入り混じり、うねる緋色あかいろが魔を討ちはらう。弾ける火花は、やがて魔力の残滓と溶け合った。


 残る魔物は、あと一体。


 かお無き顔面かおが光を放ち、刃に変容した剛腕が大地を裂く。動作は緩慢だが、派手に飛び散る焼けた土塊つちくれは威力の大きさを十分にうかがわせる。


 大型の魔物との圧倒的な質量差を考えれば、真っ向からかち合う選択肢はない。


 ならば――剛腕を振るうために足を踏み出すその瞬間を、彼らは待っていた。


岩塊絨毯ロックカーペット……!」『水流絨毯アクアカーペット!』


 魔物の足元で土と水とが混ざり合い、瞬く間に液状化を引き起こす。ぬかるんだ地面で無理に動こうとすればどうなるかは想像に難くないだろう。


 前のめりに魔物が倒れ込んだ途端、大地が鳴動する。己の影に己の巨体がのしかかり、天から伸びる影は間抜けな有り様を見下ろしていた。


「うお、たっけ……!?」

「しっかり掴まっていてくださいね」


 重力に逆らって、自分は今、シオンの腕に抱きかかえられている。

 目の前には端正な顔立ちがあり、栗色の髪から香る色香のある匂いが、戦いである事を忘れさせる。


 いわゆる“お姫様抱っこ”と呼ばれる姿勢でなづなは抱えられ、シオンは風の魔力を足元で炸裂させる事で宙に高く跳躍していた。


 空からは無防備な背中が丸見えだ。煮るなり焼くなり好きにできる。一見しただけで分かる共通認識は、互いのやるべき事を明確に導き出した。


「とどめをどうぞ。“期待していますよ”」


 声に乗せられていた魔力は、しかし今までとは毛色が違った。例えるなら応援に近い、眠っている力を余さず励起れいきするような――


 内に沸いた強固なイメージがなづなの心に火を灯す。やれる。

 あとは己の“スキル”を、引き出すだけだ――!


「“まる”」宙をなぞる指先が巨大な正円を描き、「からの降ってこい! “岩塊球体ロックスフィア”!」


 正円の内にある、空間のあな。そこから現れたものを岩石と呼ぶにはあまりにも小さすぎた。


 隆々りゅうりゅうたるいわおが顔を覗かせ、やがてそれはの一角であると知る。誰よりもスケールの大きさに驚いていたのはなづなだったが、それはおくびにも出さず力強く手を振り下ろし、鉄槌を下した。


「ぶっ潰れとけ――!」


 隕石のように降り注ぐ岩塊が魔物の背中にのしかかる。

 雄大な大地がそれらすべてを受け止めて、しかし、間に挟まる異物のみが耐えきれずに光となって霧散していく。


 いかに巨体を誇ろうと、規格外の質量を前にすればそれも形無しこの上ない。すべての光が大気に溶け込み消えた時、役割を果たした岩山は同じく形を失った。


「――お疲れさまでした。なづなさんも、みなさんも」

「っはは……そっすね。ありがとうございます……」


 足元に風の力場を形成し、雪が舞い落ちるように軟着陸する。


 「味方であればこれほどまでに頼もしいのか」という戦々恐々入り混じった感想を抱いたのは、やはりなづなだからだろうか。口にはしなかったものの、心中の戸惑いは口元の緩みとして表れていた。


 辺りに魔物はもういない。騎士団の人間からお礼を言われたところで、ようやく落ち着きがやってくる。


 シオン達がなぜこの場にやってきたのか。

 何故、ミゼリアがなづなの事を知っているのか。


 数々の疑問に“保留”の付箋ふせんを張り付けて、なづな達は再び太陽が昇らない街へと戻る。

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