第3話 白日


 三回寝て、三回起きる。

 同じことを繰り返せば、辛さも悲しみも記憶の底に溶けてゆく。


 瑠稀との別れも思い出と呼べるくらいには整理がついて、今では心のアルバムに飾られている。そうだ。思い出と言えば、なづなにはもうひとつ。


『なづな』

『急だけど明日会える?』

『おう』

『いけるけど何か用事?』


 イセスタアプリのチャットルーム、瑠稀と会う前日に交わしたやり取りがまだ残っていた。チャット欄を上にスクロールしていけば、過去の会話までさかのぼれる。


 その内容も大半は寝る前の雑談とかで、なづなの方から一方的に話しかける事の方が多かった。先に寝るのはいつも瑠稀。過ぎ去った日常に思いふけっていると、耳馴染みのある声が厨房から聞こえてきた。


「来ないな、お客さん」

「だな」なづなは窓越しに外を見て、「今日はそういう日なんじゃね? 休日だけど人来ませんっていう」

「いやいやなづな、休みの日こそ繁盛してくれないと……参ったな、今日は何かイベントでもあったか――?」


 特に何もなかったように記憶してるけど、エプロンを着けたこのカフェのオーナー――ライモンは、顎に手を当てて考え込んでいる。


 百八十センチもある身長は見上げる程で、なづなとはだいたい三十センチも背丈が違う。海のように青い紺碧こんぺきの髪は後ろで結び、遊ばせるようなヘアアレンジがこなれた雰囲気を演出する。


 初めて会った時は二十代真ん中くらいかなと思っていたのに、実年齢を聞いて「いや、今年で三十四歳。この間の誕生日はお祝いにぶどうのタルトを食べた」と言われた時の内心はビビるってレベルじゃなかった。


 ライモンの外見は詐欺だ。それも逆詐欺。大多数の異性から見て、たぶん嬉しい方の詐欺。けど、


「ふぅん……やっぱり今日は何もないな。祝日でもないし、単に日が悪いのか」


 エプロンを外して几帳面に折りたたむと、『松竹梅』と達筆な字でプリントされたシャツが顔を出す。


 隠すという選択肢はないらしく、ポールハンガーに掛けていたジャケットを羽織っている今も、字が隠れないよう微調整までしている。

 ライモンのファッションセンスは独特だ。なづなが火を点けた側面もあるけど、それを差し引いてもやっぱりどうかと思う。


「この前着てたシャツは飽きたの?」

「アレはもう殿堂入り。そろそろ開拓の時期かなって」


 “推ッス!あの”シャツ、いつの間に殿堂入りしたんだよ。開拓に関しては理解の範疇はんちゅうを越えていたから、悪いけど触れないでおく。


「さて、と」


 レザーの黒い手袋を手にはめ、ライモンは壁に立てかけていたL字型の杖を取る。


「このまま閑古鳥に付き合っていても仕方ない。なづな」

「あ、行く?」スマホをポケットにしまい、「依頼、良さそうなのあっかなぁ」

「そこはまあ追々――はい、今日の分」


 紫と水色、桃色と黄色のツートンカラーが一本ずつ。そして毒々しい、赤黒い色をした棒付き飴が懐から取り出される。


 その中から赤黒い飴の包装紙を破いて口に放り込み、残りの飴はボディバッグの中に突っ込んだ。


「っひひ。さんきゅ、ライモン」


 どういたしまして。笑みを含んだ声が返ってくると、ざくろと林檎の甘酸っぱい風味が口中に広がった。

 なんの依頼があるのかと道中は話していたけれど、割のいい臨時募集の依頼を見つければ迷う必要はなかった。


 “――街の周辺に魔物の群れが現れたため、転移石の稼働に影響が出ています――”


 依頼書の文言を見た時、客が来ない原因を見つけた気がした。





 街の外に出た瞬間、昼夜が逆転した。


 太陽が昇らない街マスカルーナも、外から見ればうっすらとした半球状のまくに覆われた街でしかない。安易にはりぼてと言い切ってしまえば、あの美しい夜空も陳腐なものになるだろう。


 うららかな陽射しが目を慣らしてくれる。すると、見るべき対象がじわりと見えてきた。


「人すっくな……騎士団の人寝てんの?」

「彼らは街の反対側で戦っているんだろう。比率が偏ってるのはまあ、否定しないが」

「じゃあやっぱ、半分くらい寝てんじゃね」

「フッ……かもしれないな」


 その性質上、マスカルーナの街では非常に体内時計が狂いやすい。夜だと思っていたつもりがまだ昼間であったり、逆もまた然り。ゆえに予期せぬ時間帯に睡魔に襲われてしまう者も少なくなかった。


 さらに――多勢に無勢という程でもないが、戦っている人間の数は魔物に比べ、明らかに劣っていた。


 人型を模した四肢ししとガラス玉のようにつるりとした頭部、似たような特徴を備えた魔物が数を頼りに戦いを繰り広げている。中には七、八メートルはあろうかという巨体を携えた魔物までもがそびえ立ち、剛腕が、剛脚が、荒々しく大地をえぐっていた。


「聞くまでもないが……どうする? なづな」

「どうするも何も――」なづなは素早く右手を振り抜き、「横一列に“立方体キューブ”!」


 弾丸、刃、飛槍、様々な形を与えられた魔法の雨を、無機質な立方体の箱が受け止める。敵意の矛先は既に二人へと向けられていた。


 列すそれらを扇状に射出し、なづなは敵方へと駆けながら咆哮する。


「全員、ぶっ倒すか! なあライモン!」

「オーケー、なづな……ッ!」


 狙うは魔物ではなく、魔物目掛けて直進する数々の立方体。ライモンは脇に構えた杖を、いや、を目にもとまらぬ速さで抜き打った。


 魔力を斬撃にして飛ばせばなづなにまで被害が及ぶのは明白だ。しかしそのような心配は互いにはなからしていない。


 神速の抜刀術と空間魔法を組み合わせたライモンの斬撃は飛ぶのではなく――捉えた一点のみを斬り貫く、“狙う斬撃”なのだから。


 幾重にも閃きがほとばしり、立方体が砕かれる。散弾のように襲い掛かる鋭利なつぶてに魔物たちは足を止め、生じた隙をなづなが見逃すはずもない。


「“四角錐”、火炎フレイムピラミッド――からの疾風疾走フローダッシュ!」


 自身を囲うように形成した四角錐に炎を纏わせて突貫、じゃじゃ馬じみた加速力を制御しながら次々に魔物をき飛ばす。四角錐の頂点はブレーキにちょうどいい。底辺の角を地面にこすり付け、強引にドリフトをかけながら再度、炎熱の壁が驀進ばくしんを開始した。


 その背後から大地に刻まれた残火のわだちを踏みつけて、ひと筋の影が跳躍する。


雷光ライト――脚撃シュートッ!」


 大地を抉る剛腕の一撃も、それをかわして放たれた稲妻迸る回し蹴りも、尋常じんじょうならざる威力を誇っていた。しかしライモンの左足は、大型の魔物の頭部を捉えることなく止まってしまう。


「なるほど、目聡めざといな……!」


 好奇心に満ちた視線が、眼前で魔力の障壁を展開している魔物に注がれた。


「みんなが戦う中でただ一人、キミはオレがこう来ることを見越して動いていたってワケだ! いや賢い! その冷静さは見習わなくっちゃあいけないな!」

「ライモン! 上、上っ! あ、下からもきてるわ」

「ああわかってる――ッ!」


 なづなの警告に先んじてライモンの目は動いていた。振り上げられた左の剛腕と、真下から突き上げられるように迫る魔法の嵐。


 あわや質量と魔力のサンドイッチが完成しようかというタイミングで魔力の障壁を蹴り、ライモンはひるがえりざま、魔力の刃を数発飛ばす。


「ああクソ、熱っちぃなコレ……!」なづなは炎熱のピラミッドを脱ぎ捨てて、「こいつはもういい! 脚撃シュート――岩塊弾丸ロックバレット!」


 炎を帯びた壁の内側にいれば、熱にさらされるのは避けられない。こいつはちょっと失敗だな。ちっぽけな後悔ごとピラミッドを蹴り飛ばして撃ち抜き、手榴弾のように爆発させて魔物を吹き飛ばした。


 形成した“×《バツ》”字の記号を回転させて丸鋸まるのこのように操り、他方、魔力の刃をさやが受け止め、蹴飛ばした胴体に無数の太刀筋が刻まれる。


 肉薄する魔物を相手にする間も暴力の嵐は止まらない。


「――っぶねぇっ!? 見境ナシ男かよコイツ!」


 咄嗟に飛び退いたおかげで難を逃れたものの、頭上から横薙ぎに振るわれる拳は魔物ごと地面をえぐり飛ばしていた。


 魔物の数は間違いなく減っている。


 だがやはり大型の魔物と、先ほどからライモンと鍔迫り合っている魔物など、一部の魔物の強さが抜きん出ているのは否めなかった。


 時間を掛ければじきに騎士団の援軍が来るだろう。ならばそれまで耐えるのもひとつの手だろうか――なづなに言えばじれったさに怒る事請け合いであろう考えがライモンの頭をよぎる。しかし方針を決めた方が、今は連携を取りやすいかもしれない。


 魔力の刃を押しのけて、言葉を発しようとした時だった。


『――ヒヒッハハハァッ!』


 頭上を飛び去る、漆黒の影が哄笑こうしょうする。


『いたいたいたァ、ここにいたぜェミゼリアちゃん! シオンちゃんも探偵になれっかもなァ! オレちゃん助手やれっけどどうするゥ? あ、でもコーヒーには期待すンな!』

「ああ……? シオン……?」


 黒鳥が呟いた人物と、今しがた脳裏に思い浮かんだ女性の輪郭。はたして答え合わせをするように、清らかな声が半信半疑に染まる顔を振り返らせた。


「――留守のお店と調子の悪い転移石。足を運んで正解でしたね」


 黒を基調とした着物にあでやかな栗色の髪、鹿のような二本の角――間違いない。


 シオンの傍らに控えるもう一人の女性は露出の目立つ装いに身を包んでおり、白く、か細い腕に黒鳥がとまる。

 思いもよらぬ再会になづなは目を丸くした。

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