おせっかい

日乃本 出(ひのもと いずる)

おせっかい


 七十パーセントほどの乗車率の快速電車の座席に、一人の男が座っていた。


 男の名はリュウジ。年齢は二十代の後半といったところ。短く刈り上げた頭に鍛え上げられた大柄な体つきという風貌だ。性格もその風貌に見合った、なんとも粗野なものであり、それを証明するかのように、リュウジは今までに数度、傷害罪で刑務所に収監されていたこともある。


 座席の前に置かれた時分の荷物を見ながら、リュウジは考えていた。


(今まで俺はあまりよくない連中と付き合ったり、生まれながらの短気がたたってケンカばかりして、色んな人たちに迷惑をかけてきた。もうこれ以上、刑務所のご厄介になるのもコリゴリだし、これからは気持ちを入れ替えて、正義のために生きていくことにしよう)


 決意を新たにリュウジが顔をあげると、いつのまにかリュウジの目の前に一人の女性が立っていた。


 年齢は二十代前半といったところだろう。整った顔立ちに、それに合わせたような整ったスタイル。ピシっと体にフィットしたスーツ姿にタイトスカートというファッションが、そのスタイルのよさを強調しており、趣味のよいオーデコロンの香りがそんな女性の魅力をさらに際立たせているかのようだった。


 顔をあげたリュウジと目の合った女性は、少し伏目がちになりながらも、軽い会釈をリュウジにした。リュウジもそれにつられて、ぎこちない会釈を返した。


 女性はリュウジから目線を外すと、ブランド品らしきハンドバッグから携帯を取り出して、それを操作することに熱中しだした。そんな様子を見ながら、リュウジは誰にも見咎められないように小さく鼻で笑った。


(良い女だ。ほんの少し前の俺だったら、まず間違いなく口説いているところだろう。だが、俺はもうさっきまでの俺じゃない。俺はもう、正義の人なんだ。正義の人は、こんな公衆の面前で女性を口説くことなんかしやしない)


 そんな生まれ変わった自分の考え陶酔していると、ふとリュウジの耳に小さな悲鳴のようなものが聞こえた。


 リュウジが我に返って目の前の女性に目をやると、いつのまにか冴えない中年の男が女性の真後ろにピタっと密着するようにして立っていた。密着されている女性の表情には困惑の色が浮かんでいる。


(このオッサン……ひょっとして……)


 リュウジの頭の中に、ある疑いが浮かんだ。そしてその疑いは、電車が強く揺れた時に確信へと変わった。


 電車が揺れた時、中年男の右手が女性のお尻にかすかに触れたのを、リュウジはその目で見たのだ。


(こいつ、痴漢だ!!)


 リュウジが心の中で叫ぶと、またも電車が強く揺れた。それに合わせてまたも中年男の右手が動いた。女性は身をよじって抵抗しているようだったが、中年男はそんなことを意に介さずといった調子で痴漢行為を続けていた。その動作には長い経験によって培われた一種の匠の業といった印象すら受ける。


 目の前でそのような許されざる行為が行われているのを見て、リュウジの心の中に今までの人生の中で一度も感じたことのないような思いが沸き起こってきているのを感じていた。それは義憤である。


(女の弱みにつけこむ、なんて卑怯なヤツ!! こんなヤツは正義の名の下に、このリュウジ様が痛い目にあわせてやる!!)


 ほんの数分前まではただのチンピラであったリュウジだが、今やその全身には正義を愛する熱き血の奔流が駆け巡っているのだ。その熱き血がリュウジを座席から立ち上がらせ、中年の男のそばへと体を移動させた。


「おい、てめえ! さっきから見てりゃあ、好き放題しやがって! てめえのその悪行、お天道様がお許しになっても、このリュウジが許しやしねえぜ!」


 そう叫ぶやいなや、リュウジは正義のこぶしを中年男の頬に叩き込んだ。予想もしていなかった一撃に、中年男はなすすべもなく吹っ飛んだ。中年男が吹っ飛んだ先には三人組の女子高生のグループがあり、中年男はその中の一人の胸元に顔をうずめてしまう格好となってしまった。


「きゃぁ?!」


 突然の衝撃に女子高生が悲鳴をあげた。その悲鳴がリュウジの義憤をさらに高まらせていく。


「やろう! まだ懲りねえとみえる! てめえのその腐った性根、徹底的に叩きなおしてやらなきゃあ気がすまねえぜ!!」


 リュウジはその中年男を女子高生の胸元から引き剥がし、今度は中年男が吹っ飛んだりしないよう、胸倉をつかんだまま殴る蹴るの折檻をくわえはじめた。


「許してください! 許してください!」


 中年男は涙声で訴えたが、それで許してやるほどリュウジの正義を愛する心は甘くない。


「てめえは、そういっててめえのやってることに許しを請う女を許したことがあんのかよ?!」


 リュウジはぐいっと中年男を自分の顔へと引き寄せた。


「いや……あの、それは……」


「だろう? じゃあ許すわけにゃあいかねえな!」


 そうして折檻は再開された。その様子を先ほどの女性と女子高生達は呆気にとられた様子で見つめていたが、折檻が進むにつれて、女性と女子高生達の表情は段々とひきつっていった。


 やがて、周囲から悲鳴のようなものが響き始めた頃、電車が次の停車駅へと停まった。異常に気づいていた運転手が急いでリュウジの元へと駆け寄ってきた。


「お客様、いったい何の騒ぎです?!」


「騒ぎもクソもあるかよ! この痴漢やろうをこのリュウジ様が成敗してやってたのよ!」


 そういってリュウジが中年男を運転手へと突き出した。中年男の顔面はリュウジの厳しい折檻によってボコボコにされ、その瞳はすでに虚ろなものへと変貌していた。


「ああ、なんということだ! 誰か! 誰か警察を呼んでくれ!」


 駅のホームは騒然たる様相をしめしはじめた。そんな中でも、リュウジは満足気な表情を浮かべていた。弱者を助ける正義の執行というのが、かくも心地よいものかと感嘆たる思いがリュウジの全身を駆け巡っていたからだ。ホームのベンチでうなだれて座っている中年男を見ると、リュウジのそんな思いはなおさら強くなっていくようだった。


 やがて慌しい人ごみを警察がかきわけながら駆けつけてきた。そしてうなだれている中年男とリュウジを見比べたあと、リュウジに問いかけた。


「これは、君がやったんだね?」


「もちろんでさあ!」


 リュウジは得意げにそうこたえた。


「そうか――」


 警察はそう呟くと、リュウジの手に手錠をかけた。


「暴行傷害の現行犯で逮捕する!」


「なっ、何をしやがんだ?!」


「それはこっちのセリフだ! 今、君は自白したろうに! おい、早く被害者男性を運んで安静にさせてやれ!」


「被害者だぁ?! あんたら、お門違いもはなはだしいぜ! 被害者は電車の中に乗ってる女達だぜ?! ちゃんと聞いてみろよ! そうすりゃはっきりするからよ!」


 今さら言い逃れか、と警察は思わなくもなかったが、一応被疑者の言葉も聞いておかなければ後々面倒なことになる。警察は電車の中にいた女性と女子高生達に聞いてみた。


「どうか、ご協力をお願いいたします。あの暴行をはたらいた男性がいうには、あなたがたこそが被害者だと言っていますが、あなたがたは何か車内で暴行された男性から何か被害をこうむるようなことがございましたか?」


 すると、女性はおびえた表情になって言った。


「い、いえ。わたくしは何もされておりません」


 この言葉に思わずリュウジは叫んだ。


「はあ?! ウソついてんじゃねえよ姉ちゃん!!」


 女性はひっ、と小さく悲鳴をあげ体をこわばらせた。警察がリュウジに「静かにしろ!」と怒号をあげたので渋々リュウジはそれに従った。


「それでは、そこの君達はどうだね?」


 警察の言葉に、女子高生達は落ち着かない素振りで答えた。


「べ、別に。なにもされてないよ」


 リュウジは頭の中が真っ白になった。いったい、こいつらは何をいってやがるんだ。助けてやった俺への恩を返すどころか、俺をハメようとしてやがる――。


「わかりました。ご協力、感謝します。おい、いくぞ!」


 そうして、リュウジはそのまま警察に連行されていった。その連行されていった姿を女性と女子高生達が見届けると、各々ほっとしたようなため息をはいた。


(ああ、びっくりした。わたくしは、痴漢趣味のある人たちの欲を満たすために派遣された風俗嬢。お互い同意の上にやってることではあるけれど、本物の電車内でやっているから、もし警察のご厄介になってしまってはわたくしもお客さも犯罪者として捕まってしまう。そうならないためにも、あの場合はああやって知らぬ存ぜぬが一番。ああ、だけど、あのお客様は不運な方。もし、次があるのなら、特別なサービスをしてさしあげなければならないわね。もう! あのおせっかい焼きのせいで、散々よ!)


(やばかったよね~。クスリを買ってこれからみんなで楽しもうってところに、あんなことが起こるなんてさ。巻き込まれるだけでもウザイのに、そこにマッポのご登場だなんて冗談じゃないよね~。ほんっと、あのおせっかい焼きのバカのせいで冷や冷やしたよね~。ま、でも仲間達に話すいいネタができたじゃん? マッポがマヌケなおせっかい焼きをとっつかまえて、クスリ持ってたアタシたちを見逃したな~んてさ)


 結局、リュウジは連行された後、暴行傷害の現行犯で正式に逮捕されてしまい、またも刑務所のご厄介になってしまうことになったのであった。


 ああ、哀れなるかな正義の人よ。


 複雑な事情が絡む今のご時世、余計なおせっかいはよしたほうがいいのかもしれない。

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