エピローグ

竜の誓い



「それでね、その時お兄様は大変でしたのよ。お呼びしたのに部屋から一切出なかったものですから」

「へえ」

「アラン兄様も流石にあの時はお怒りで、お兄様の部屋に殴り込みをかけましたの。そしたらお兄様が泣いてしまわれて……」

 エルザの話に、ティティはくすくすと笑みを零した。


 アラシアの大地に、抜けるような青空が広がっている。

 戴冠式である。国賓として招かれたティティは、エルザの塔にお呼ばれしていた。

 エルザの塔からは城下が一望できる。石畳の街並みに、聳え立つアラシアの壁。その壁には足場が組まれ、取り壊されるのを待つばかりとなっている。

「ティティ」

 客室の入り口で扉が叩かれ、ロンドがひょいと顔をのぞかせる。

「ロンド! 忙しいんじゃないの?」

「忙しいですとも。でも、こうして話をする時間くらいはあります」

 その後ろでダグラスが不貞腐れている。正式にロンド付きの侍従になったばかりの忠実な臣下を説き伏せて、無理矢理時間をひねり出したことは明白である。

 エルザは扇子を口元に当て、ほほと笑った。

「準備は順調ですの?」

「ええ。ヴォルクが張り切っています。色々なところで彼にも迷惑をかけたのに、ありがたいことです」

 そういうと、ロンドは部屋に入りこむ。

「島の皆さんはお元気ですか?」

「ああ。ロンドのおかげで、食糧のことも片が付きそう」

 ケラの木や岩の藻を食材に変える方法については、流石の島民も難色を示したらしい。ティティがいくら安全だと言っても、今まで毒と認識していたものを口にするのは難しい。それでは、とティティが実食をしてみせようとしたときに、名乗りを挙げた者がいる。

「最初に食べたのは驚くなかれ。ユマなんだ。次にガルダだな」

 ティティは楽しそうにけらけらと笑った。

「島長に毒見をさせるわけにはいかない、と言って。……ありがたいことだなと思っている」

「そうですね」

 ロンドも目を細めた。

「魚や貝が取れるようになるまで時間がかかるかもしれない。アラシアの壁を撤去したとしても、きっと途方もない年月がかかるでしょう」

 アラシアの壁の取り壊しも一長一短ではいかないだろう。反対意見もすでに出ている。

 ロンドは全身全霊をかけてその声に誠実であろうと思っている。

 未来のためにやらなければならないことだ。しかし、それを決行したことで、不利益を被るのは今の国民なのである。なれば、ロンドにできることはその声を聴き、自らの目で確かめ、判断することだ。少しでも良い方向に向くように、できることをこつこつとやるしかない。

 ラウルのことは決して他人事ではない。これからも忘れてはならない戒めとして、ロンドの施政に影響を与え続けることになるだろう。

「そう……話しておかなければと思いまして。ライオネルのことです」

 ティティの顔が引き締まった。

「彼のしたことは許されることではありません。しかし、その背景には王族の失態があったことは明白でした。よって、僕の一存で命は助けることにしました」

 そこまで言うと、ロンドは苦い笑みを浮かべる。

「甘いと思われますか」

「ううん」

 ティティは呟く。

「ライオネル……いや、ラウルは、私たちミツチの民を導いてくれたマレ人だった。彼のおかげで沢山のミツチの民が助かり、父ケチャの苦しみも少なく旅立たせることができた。それに……」

 慎重に唇を舐め、ティティは言葉を落とす。

「多分、ラウルは島の民を傷つける気も、私を殺す気も、なかったんだと思う」

「――どうしてそう思われるのです?」

「殺そうと思えば、いつでも殺せたはずなのにそうはしなかったから、かな。島の民に飲ませた薬は一過性のものだったし、私もそうだ。薬が切れない量を計算することなんて、きっとラウルには朝飯前のはずなのに」

 ティティの首に小刀を突き付けたとき、既に彼女の薬は切れかけていた。それに、拘束するのに後ろ手に縛るだけだったのも不可解である。

「それに、ラウルは私たちに素晴らしいものを贈ってくれた」

 そう言って、ティティは懐から硝子瓶を取り出した。中には小さな丸薬がいくつも入っている。ラウルが去り際に残したものだ。

 ヒルユメの実の麻痺成分だけを抽出して作られた丸薬は、今は海の竜の鎮痛剤として使われている。

「海の竜と、私たちは一心同体だ。だから、この丸薬を使って、私たちは海の竜の治療を続ける。海の回復を待ち、竜の症状がなくなるまで。また魚が取れるようになる日まで。辛抱強く生きようと思っている」

 ティティはにこりと笑った。ロンドもつられて笑みを零す。

 おそらく、口で言うほど簡単なことではない。それはお互い分かっている。しかし、やれることを、できることをやるしかない。その覚悟を決めた者同士の笑みだった。

 扉が鳴る。レミリアが頭を一つ下げ、ロンドに声を変えた。

「ヴォルク様です。お時間が迫られているとのこと。急ぎ戻ってきてほしいとのご伝言を承りました」

「わかった。――ダグラス、行こう」

「御意」

「わたくしたちも行きましょう」

「ああ」




 大聖堂で戴冠式が始まる。

 祭壇に立つのは聖なる乙女として儀式を象徴するエルザと、そしてもう一人。髪は黒く、瞳も黒い。褐色の肌に極彩色の衣装を着こみ、異彩を放つ少女が立っている。

 騒めく堂内に気にも留めず、ロンドは大聖堂の中央をゆっくりと歩く。後ろにはヴォルクが付き従った。

 祭壇の前に立つ。エルザが口を開いた。

「ここに新たなる王の誕生を祝い、竜の誓いを執り行う」

「その前に」

 ロンドは正面を向く。

「我が国の新たなる友人を紹介したい。かねてからの因縁もあろう。思うことがある者も多いであろう。しかしながら、今一度胸に手を当て、考えてほしい。アラシアの壁のことは皆も聞き及んでいるかと思う。その壁が与えた様々な苦しみを、我々は忘れてはいけない。この同盟は、お互いの国を、命を守るものだと心得よ。今を見据え、将来を見据え、それでもなお異論のあるものは僕が直接話を聞こう」

 堂々たる言葉に、堂内はしんと静まり返った。

「我が国アラシアはミツチの島と同盟の誓いを執り行う。この同盟は竜の誓いに則り、互いが互いを信頼し、平等であり、困難を共に乗り越える者として結ぶものである」

「島長ティティ、異論がなければ誓いの言葉を述べよ」

 厳かなエルザの声に、ティティは手を前に組み、丁寧に拝した。

「竜に誓って」

「アラシア国国王ロンド、異論がなければ誓いの言葉を述べよ」

「竜に誓って」

 ロンドとティティは瞳を見合わせ、こくりと同時に頷き合った。




 ここから、新しい物語が始まる。

 忙しい日々になりそうだった。



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毒薬王子と竜使いの娘 野月よひら @yohira-azuma

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